見出し画像

アッシジの「聖五月」

【御礼】記事「フィレンツェの「聖五月」」にうれしいお知らせを頂きました。(後掲)


ヨーロッパの各地で行われていた五月祭に、「五月の女王」を選ぶ行事がある。これもまた農作物の豊穣を願う儀礼に由来する。

古い記録によれば、五月一日の夜明けに、村の若者たちは「五月の花嫁、花婿」を探しに森にゆく。そこに隠れていた二人を見つけると、編んだ花環を頭にかぶせ、緑の葉を身にまとわせ、意気揚々と村に帰ってゆく。ここから「五月祭」がはじまり、歌を歌い、踊るようになる。五月伯夫人、五月伯ともいい、あるいは五月女王、五月領主ともいう。五月花嫁、花婿が馬車に乗り、町や村を行列を作って練る。

植田重雄『ヨーロッパ歳時記』岩波新書 1983年

男女の一対は、植物の雌雄の一対のことで、自然の精霊の擬人化なのだという。

イタリアのアッシジでは、第二次大戦後に観光と町おこしを兼ねて、カレンディマッジョ(五月祭)が復活した。
 町が上の区(ソプラ)と下の区(ソット)の2つに分かれ、綱引き、旗ふり、歌、舞踊、中世の衣装を身にまとってのパレード、マドンナプリマヴェーラ(春の女王)のコンテストなどが行われる。

フランチェスカ さんが、アッシジの春祭りを記事にされていますので、ご紹介します。

(岡田 耕)


この記事が参加している募集

世界史がすき

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?