「ゆりかごのうた」の枇杷と白秋の母
「ゆりかごのうた」の作者北原白秋にとって、枇杷の実は母そのものだったようだ。
白秋は、1885年(明治18年)生まれ。
母シケとの間では幸福な日々だったようだが、家業の酒造りが忙しく、乳母のシカの手に渡されて時を過ごすことになった。
母の愛からは遠ざかり、乳母の愛の中で育てられてゆく。
詩集「思ひ出」の中で、母への思いが歌われている。
母に抱かれて心が満たされていた記憶(があったかどうかわからないが)が枇杷の実とともにある。
短歌にもまた、枇杷が歌われている。
普通なら枇杷の実の黄色を見ただけで、そんなにひっくり返るほど驚くこともなかろう。それほどまでに驚いたのは、この枇杷の実の輝きに、亡き母の存在を感じたからなのであろう。
そして、「ゆりかごのうた」の第二連、
この枇杷の実こそ、揺り籠の中にいる赤ちゃんの母親、もしくは母親の乳そのものではないだろうか。
(岡田 耕)
☆「ゆりかごのうた」を ゆっこらんどのゆた〜とぶろぐ さんが歌われています。ご紹介します。
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