中世に詠まれた「初浅間」
【スキ御礼】「謹賀新年」
新年は、新暦ならば二十四節気の冬至から小寒までの冬のさなかにあたるが、新年が立春の前後になる旧暦では、新年と春の到来がほぼ重なる。
俳諧で、新年に初めて見る浅間山、という「初浅間」という季語も、旧暦の時代ならば、晩冬、早春の頃に見る浅間山ということになる。
平安時代末期の公卿・歌人の藤原良経の歌に、
春はなほ浅間の嶽に空さえて曇るけぶりはゆきげなりけり
『続後撰集』
がある。
春は依然として浅い時期の浅間山であるが、冴えわたる空を曇らす噴煙が出ているということはもう雪解けもしているのだ、という意味だろうか。
これは、正治二年(1200年)九月二十七日に後鳥羽院初度百首として、院に詠進したもに含まれる春廿首のうちの一首。
初度百首は、春・秋各二十首、夏・冬各十五首、恋十首ほかの構成になっている。
浅間山は和歌でたびたび詠われる歌枕の地。
春二十首は、はじめから「天の香久山」、「吉野山」、「浅間の嶽」(本歌)、「春日野」と歌枕の歌に始まる。
その後も「松島」「初瀬山」などの歌があり、春二十首のうち六首が歌枕のある歌になっている。
良経は、前年の正治元年に朝廷の最高機関のひとつである左大臣に就任している。
また、この百首を詠進する二か月ほど前の七月十三日に、妻を亡くしている。
良経は三十二歳のときである。
公私ともに大きな変化があった時期でもある。
解説書では、
と述べられている。
良経は、京にいて浅間山を見ることなく、信濃の早春の「初浅間」を想像して詠んだのだろうか。
☆良経のこの歌について、kei さんが解説されています。ご紹介します。
(岡田 耕)
*参考文献
青木賢豪『藤原良経全歌集とその研究』笠間叢書 1976年
写真/岡田 耕
(浅間山 2023.1.1撮影)
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