サイエンスに出会った初めての瞬間

昔話。

私が学んだ東北大学理学部は仙台市の青葉山の北側に当時も今もある。
そこからは、かなりの距離がある松島の方角に太平洋が輝いて見える。

年末から春先にかけては卒論、修論、博論を纏める時期に入り、多くの大学がそうであるように、そして、おそらく今もそうであると思われるが、理系の研究室は不夜城と化す。

卒論の時期だった。

当時は有機化合物の光触媒を使った反応機構の解明が研究テーマだった。
ある有機物質に光触媒を使って光を照射すると別の物質に変わる化学反応があって、そのメカニズムを解明するというものだった。

条件をいろいろ変えてみて、その様子がどう変わるのかを調べて、考察する。
推理小説の脚本を自分で書いて、実験結果をもとにそれを修正するといったことを繰り返す。
そして、推理小説ではなく事実のレポートとして仕上げる。

化学反応は瞬間の出来事なのだが、ナノ秒レベルの時間スケールで化学構造が変化する様を解明する。
どうしたかというと、同じ時間スケールで変化する別の化学反応を時計として使う。
競争反応だ。

50m走のタイムを知りたい人を8秒で走る人と10秒で走る人と同時に走らせる。
その人が真ん中を走ってきたら9秒台で走ったことになる。
数学のε-δの挟み撃ち。まあ、そんなとこだ。

太平洋から昇る御来光を何度か拝んだ頃、
そのカラクリが分かった。
サイエンスが生まれた瞬間に初めて出会った。
分かってしまえば呆気ない。
幽霊の 正体見たり 枯れ尾花。

その結果が何の役に立つのかって?
野暮な質問だねぇ、
いつか何処かで役立つのさ。

1つは小さくとも、考え方や手法が積み上げられて大きなサイエンスとなる。

学生は研究の仕方を体得する。

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