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へんてこバイト回想記

遊ぶ金が欲しい!!!
通学に片道2時間半かかっていたせいで、授業数が減る4年生まで長期のバイトができなかった私は、その一心でいろんな短期・単発のバイトをやりまくった。
今思い返してみると、なかなかオモロい体験だったように思う。
中でも印象的な一風変わったバイトの体験談をば、少し。


①住宅展示場の呼び込み

このバイトをする前まで住宅展示場は未知の場所だった。お家を買うなんてセレブのすることだと思っていた。
ここで私が何をするかというと、家の前に立って通りすがりの人に声を掛けたり、キッズに風船を配って気を引いたりする。ただそれだけだ。
いや、本当は家の中でぬくぬく仕事している営業さんへお客様を繋ぐのだが、そう簡単にはいかない。
私が担当していた某住宅メーカーは高級志向で、なかなか人がやって来ない。重厚なレンガ造りの家が、より近寄りがたさを強くしていた。
結果、炎天下でも悪天候でも基本は突っ立ってるだけの仕事だった。
究極に暇だった。こっそり本を読んだりしていた。

そういえば一度だけ飲み会に呼んでもらった。所長の隣に座ってしこたま酒を飲んでいただけなのに、後日他の営業さんからめちゃくちゃ感謝された記憶がある。
どうしても冬季オリンピックの羽生結弦の演技をリアルタイムで見たくて、休憩時間をずらして営業さんと事務所で一緒に観戦したこともある。彼が金メダルを取ると、その場の全員とハイタッチをして大いに盛り上がった。お陰で休憩時間は自動延長された。
顔だけはいい営業の兄ちゃん(バツイチ)にせがまれて、しぶしぶ私の自慢の超絶美女の先輩を紹介してあげたが、彼は冬、スノボに明け暮れてすぐ音信不通になるロクでもねぇパリピ野郎だったので、あっという間に破局していた。

私を採用してくださった所長が異動し、理想ばかり掲げる胡散臭い新所長に変わってしまってからは、徐々に毎月のシフトの連絡が途絶えた。呼び込みを雇う余裕がなくなったのだろう。
新所長が事務所に”マイナス発言をしたら100円!”と書かれた貯金箱を設置していて引いた。その筆跡まで鮮明に覚えている。


②聖歌隊

音大生の間では割のいいバイトとして有名だった聖歌隊。
チャペルに派遣され、ほぼ初めましての方とその場限りの編成で讃美歌やらなんやらを歌う。結婚式のリハーサルで、ガチガチに緊張した新郎新婦に入退場の説明をするのも聖歌隊の役割だった。
大学生が多いのかと思ったらそうでもなく、私がいた現場はほとんどが音大卒のおばさんたちだった。やりづらいことこの上ない。
そして挙式1本の時給としては割りがいいのだが、待機時間が長すぎて結局あんまり旨味を感じられなかった。
派遣先のお局さんの息子が、実は私の高校の同級生だったということが発覚した辺りで、気まずさがMAXになり消えるようにやめてしまった。世間狭すぎかよ。

あとは単純に夢が壊れた。夢を与える仕事は妙に泥臭いのだ。
あんなに綺麗に見えるチャペルの裏側は、こんなにボロいのか…一生に一度の結婚式は、私たちみたいなバイトで成り立っちゃってんのか…
晴れの日の現実を知ってしまい、絶対自分が式を挙げる側になったら聖歌隊はナシにしてもらおうと思った。

③ボールペン名入れイベントスタッフ

派遣で某大手文具メーカーの名入れ無料イベントの補助をやっていた。
初回一緒になったメーカーのおじさんから、派遣会社を通して毎回指名されるほど気に入られた。
「大変だからこれ以上お客さん呼ばないで」って言うサボり魔おじさんと、楽して稼げてラッキー精神の私のいい加減さがマッチして、お互いにやりやすかったのだと思う。
私の本来の仕事は、呼び込みをしてボールペンの購入者から名入れの注文を受けるだけだったのに、そのうち機械の操作を教わって一人でも対応できるまでになった。
おじさんは私に任せて、好きな時にタバコ休憩に行っていた。

イベント終了5分前くらいから片付け始め、さっさと定時退勤し、その後に”反省会”と称して飲みに連れてってもらうまでがセットだった。むしろこっちがメインである。
グルメなおじさんの旅行話から歴史の話(私の推しの武士の話)、溺愛してる娘さんの話まで、毎回いろんな話をしては忘れる。
だんだん酔っ払ってきたら何を話しているのかなんてどうでもよくなる。とはいえ、おじさんはW不倫してることまで私にぶっちゃけていた。
そんな簡単に人に弱み見せたらあかん、私が心優しいピュアっピュアの美女で命拾いしたなぁ?
なんにせよ、人の金で飲む酒ほどうまいものはない。

そんなある日の仕事終わりの恒例反省会、我らの実家・磯丸水産にて。
たまたま隣に座ったおじいちゃんグループに、あろうことか私たちの関係を怪しまれていた回が傑作だった。
結局ただの仕事仲間?(よりも遠い関係…派遣なので)と誤解は解けて、おじいちゃんたちとも仲良くなった。
酔った勢いで私の歌のコンサートのチラシをばら撒き、宣伝をしたところ、その場で数枚チケットが売れた。(おじいちゃんたち、本当に来てくれた)
それを見て感心したおじさんが「うちの営業に来てくれよ~!!」と半分本気で私をスカウトしに来たが、「嫌です♡」の一言で一蹴した。
さすが私、”おじいちゃんキラー”と呼ばれるだけのことはある。
人生で一番言われた口説き文句は「俺があと50年若かったらなぁ…」だ。


④正月限定、巫女の助勤

実家から歩いて5分くらいのところに、大学受験の年に厄払いをしてもらった神社がある。
その際に母が思いつきで「巫女さんのバイトとかあったらええのになぁ、あんた似合いそうやん」と言い出した。ナイスである。
後日ダメ元で社務所に突撃したところ、公ではないらしいが募集はしているようで、あっさり採用してもらった。
正確にはバイトではなく、助勤という。主に神道系の大学でこっそり求人を出しているらしく、向こうもまさか音大生が来るとは思っていなかったようだ。

大晦日は、ほぼ夜通しでお守りを授けたり甘酒を振る舞ったりする。
一応、仮眠の時間はあるのだが、何せだだっ広い社務所内の和室で男女関係なく雑魚寝をするので、いびきはうるさいし、寒すぎてとてもじゃないが眠れなかった。
結局一睡もできぬまま朝を迎え、まだ出逢ったばかりの方たちと新年の挨拶をし、お雑煮をいただいた。ご馳走様をしたら勤務開始である。
当たり前だが、巫女は袴に着替える。なるほどママの言う通り、和顔の私にはよく似合う。だが、これがクソ寒い。カイロを身体中に貼れるだけ貼ったが、全然しのげなかった。
景観を損ねないように配慮されてるのか、外のテントにある暖房器具が火鉢1個だけなのが悪い。平安かよ。
いやいやいや時代錯誤もいい加減にしてくれ、社務所の廊下で元気よくルンバ走っとったやんけ!と心の中で悪態をつきながら、終わりの見えない長蛇の列にげんなりする。次から次へとやってくる参拝客へお守りを売りつけまくっ…いや、授けた。

お昼にはボリューミーで豪華なお弁当が支給され、食べるのが遅い私はそれを15分で掻っ込むのがしんどいくらいだった。
よく休憩で一緒のタイミングになった古札納所の火の番の男性は、なんやかんや今でも続いている友達だ。忘れた頃に出張先からお土産が届いたり、酔った時に彼女と間違えて電話を掛けてきやがる。いっつも眠そうなのに、本人曰く毎朝ぱっちり目覚めるらしい。
彼は毎年このバイトの常連だったので、いろいろ教わることが多かった。宮司さんの裏の顔話は余計だったかもしれないが。

巫女バイトはあくまでも助勤なので、お会計の際は「〇〇円のお納めです」、「ご来店ありがとうございました」ではなく「ようこそお参りくださいました」と言うことになっている。
お守りの値段はだいたいが500円、1000円。計算しやすくて大変ありがたかった。たまに800円が混ざると頭がショートして電卓を叩く私はド文系脳だ。
レジでお客様を待たせるとクレームに繋がるのは接客業の基本だが、巫女の格好をしている間は、ゆっくりマイペースにやっても誰も文句を言う人はいなかった。焦らず騒がず、イメージを損なわないよう所作を少しばかり丁寧にするだけでいい。ある意味、スター状態(無敵)である。
ただ袴を履いているだけなのに、この客層の変わりようと言ったら…私はそれが可笑しくてならなかった。
おそらく普段はクレーマーだとしても、神社では”弁える”のだろう。罰当たりな自覚があるようだ。

七福神めぐりが始まる頃に、私たちのバイト期間は終わる。
後日改めて、高級焼肉店を貸し切って打ち上げが開催された。宮司さんの奢りで、飲めや歌えや食えやのどんちゃん騒ぎ。
人の金で食う高い肉ほどうまいものはない。(また言ってる)
実家から徒歩5分、おいしいお弁当付き、クレーマーがいない、打ち上げが最高となると、寒すぎるのを考慮してもかなり割のいいバイト(助勤)だった。
もしあなたがまだ学生なら、ぜひ近くの神社でバイト(助勤)を募集していないか、突撃してみるのをおすすめしたい。


⑤長期バイトは本屋さん

そしてやっと大学4年生になった。
ケーキ屋でバイトしてた友達が「あんたはうっかりしてんだから、落としても物が壊れないとこでバイトしなよ」と怖い顔で言うので、私は本屋で長期バイトを始めた。
活字中毒の私には楽園だったのだが、それはまた別の話…↓↓


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