見出し画像

広島市民がビビった愛媛の奇祭!


ちょっと前に愛媛のイベント(祭など)で私が驚いた事を記事にさせて頂いたのだが、南予の風習を漏らしていた事に気がついたので是非ともお読み頂きたい。

愛媛県は東予、中予、南予と大まかにエリア分けされる。

この事自体も私は知らなかった。ただ地元の人に聞いてもきっちり何処から何処までが東予で、ここからこっちは中予だという区別は判然としていない様子だ。

新居浜や西条は間違いなく東予だが、今治は微妙。

同じく南予は宇和島や八幡浜は間違いないのだが、伊予市や大洲あたりはどうかな…という感じ。あまり気にする必要もないだろう。

伊予松山藩 由来

愛媛の古い呼び名が「伊予」だと思ってる人はとても多い。だがそこは大きな誤解がある。

元々、古事記の記載には「愛比売(命)」(エヒメ)の記載がありイザナギとイザナミの国産みの二番目に造られた四国の4人の神として女神「愛比売」が登場する。

47都道府県で唯一神様の名前を拝してるのが愛媛なのだ。

また4人の神様(正確には一つの身体に四つの顔)の本体が伊予之二名島(いよのふたなのしま)である事から伊予と呼ばれてる説もあるが、それだと四国全体が伊予になる。

実は九州や本州から愛媛に渡る船が目印にした山が松山市北条にあり、その山頂の大きな岩が太陽を反射して遠くからでも光り輝いて見えた事が関係あると聞いた事がある。

伊(素晴らしいもの)がある場所、空間「世(予)」で伊予だ。

素晴らしいものというのは、母性の象徴としての女性器であり生命の源である。

要するに、松山市北条の山頂に太陽を反射して光輝く女性器のような大岩がある場所=伊予という訳だ。

そして私はそれを見つけようと散々、北条界隈の山を登って探した。

なんせ江戸だか室町だかの古い話であるから相当大変だったが、それはあった。

北条界隈が見渡せる
北条の鹿島が見えるね
たぶんこれ
平面で白いから反射すると思う

だいたい文献による港の位置から見えるであろう場所を想定して探すとたどり着いた。

もちろん道などなく、藪や崖を登るため一切推奨しない。

この大岩がある界隈を古くは「伊予」と呼んでいたのだろう。少なくとも伊予藩成立前の話だ。

前置き長くてごめん。

①真穴の座敷雛

でかいジオラマ
邪魔な柱は切るらしい

八幡浜市の真網代(まあじろ)地区と穴井地区を合わせて「真穴地区」という。真穴みかんで有名な場所だ。

この地区では、その家の長女の初節句に屋敷の一角を全て写真のようなジオラマ仕立ての雛飾りで埋め尽くす風習がある。

何とも豪快で絢爛である。邪魔な柱は切るとも聞いた事がある。

ただ「長女の初節句」の時だけなので、その年に真穴地区に該当する子供がいない事もあるので非常にレアなのだ。

令和6年は該当者無しとのこと。

また開催日が4/2〜4辺りなので、気になる人は以下リンク先を保存してほしい。

真穴地区の海沿いには、どう考えてもクジラにしか見えない島や、大崎鼻展望台もあるのでドライブがてらにオススメする。

絵に描いたようなクジラ
かわいい
5月頃最高だよ

②和霊大祭 牛鬼祭り

怖すぎ
子供は皆号泣待った無しだ

怖すぎやろ。牛鬼。私も本物を見たが、大の大人でも怯む。そこら中で子供たちが泣き叫ぶのだ(笑)

そして宇和島の大人は子供に言うのだ。

「悪いことしとったら牛鬼に捕まるよ」と。

泣くしかない。あちこちで「やだぁああ!!」という子供の声が聞こえるお祭り。

7/22〜24に毎年「和霊大祭」が行われるのだが、この和霊神社というのが非常に珍しい。

神様ではなく人を主祭神として祀っているのだ。

祀られているのは「山家公頼」さん。実は、伊達政宗の長男「秀宗」が宇和島藩に移封された時についてきた家臣である。
当時宇和島藩は圧政に苦しんでいたのだが、山家さんが減税したり産業支援をして民の暮らしも良くなったらしい。
岸田さんに聞かせたい話である。
しかし、誰かの嫉妬により山家さんは謀反の疑いをかけられて秀宗の手によって一族処刑されてしまった。

後日それは全て濡れ衣であることが判明。また首謀者が次々に怪死したために山家さんを慕う人々と祟りを恐れる秀宗とで祀った神社が和霊神社である。

ただ、余程御利益があったのが比較的マイナーな神社であるが、あちこちから勧請されて(こっちにも時々来てくださいよ神様!みたいな事)全国に160社ほどある。

山家さんの霊を和む為の和霊神社である。

なおどう調べても何故牛鬼なのかは謎のままだった。

オマケ

和霊神社の御朱印帳はめっちゃ春っぽくて個人的には愛媛で1番好きだ。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?