『ヤクザと家族』『すばらしき世界』『無頼』ー人間には居場所が必要ですー
ヤクザの社会
最近、3本のヤクザ(暴力団)関係の映画を観ました。3本ともヤクザ礼賛ではなく、今の世の中でヤクザの現状はどういうものか、という視点です。
それは、今の社会はどういうものであり、人間とは何であるかを深く考えさせるということだと思います。
両方の映画とも暴力団対策法(暴対法)によって、ヤクザは追い詰められ、前のようにシノギ(稼ぎ)をあげられなくなったことが描かれています。
でも、社会の中に暗部が無くなった訳ではありません。
今の社会
今は以前よりも格差が拡がり、家庭崩壊は進み、様々な虐待があり、シングルマザー(妊娠させた男は逃げ去っている)が増えています。
産んだ子を自分では育てることが出来ず、施設に預けることもありますし、特別養子制度の里親に育ててもらうケースもあります。
(『朝が来る』という映画は、そのことがテーマになっています。)
また、実の父親から性的ないたずら(暴力)を受け続けてきた女性もいます。
(『ファーストラヴ』は、そのことが問題とされています。)
その他色々です。彼ら彼女らは、家庭の中にも、社会の中にも、自分の居場所がありません。安心できる場がないのです。
自虐意識
様々な理由で行き場がない人間、自分の居場所がない人間は、昔も今もいます。
でも生きて行かなくてはならないとすれば、「自分なんていなくてよい存在だ」という自暴自棄的な感覚に苛まれる他にないのではないでしょうか。
家族にすら、自分の存在を軽視されたり無視されたり、弄ばれ続ければ、私たちは自暴自棄に陥るしかないと思います。
そして、酒や覚醒剤に溺れたり、家出して無責任な男に弄ばれたり、手首を切ったりする自傷行為に走らざるを得ないこともあります。
そして、今は、若者の自殺者数が増えているというのです。
共感
ヤクザ社会の中には、自分と似たよう環境で生きて来た人が何人もおり、そういう人々に共感や同情されることで、「おやじさん」や「アニキ」を見つけ、ここに「自分の家族」がいるんだと確信し、忠誠を誓うことがあります。
人は誰かから愛されたいし、誰かを愛したいからです。その様にして、自己尊厳意識を持ちたいのです。
そして、その「家族」の中に自分の居場所を見つけていく。それは分かるように思います。
コロナ禍
今はコロナ禍であり、「ステイホーム」と言われます。
しかし、ホームのない人はいるし、ホームこそ地獄のような人もいます。
そういう人々にとって、現代は人間の居場所がない社会を作り出していると思います。
「居場所がない」ということは、人間として生きることが出来ないことを意味するでしょう。
また、コロナ禍の故に仕事を失う若者もいるし、親世代の減収や失業も増え、無力な子どもへの罵詈雑言が増えていると言われます。
そういう中で、「死にたい」、「消えたい」と思わざるを得ない若者が増え、自殺をしてしまう若者が増えている。
痛切なことですが、この社会の中に居場所がなく、追い詰められてしまうのだと思います。
教会は、そういう社会の中に建っており、キリスト者はその社会の中で生きていることを思わざるを得ません。
自分を殺す者を愛し、その者が救われるために神の裁きを十字架で受けてくださり、人間が新しく生きるために神によって復活させられた主イエスの愛を、人間が作り出した社会の中で証する教会でありたいです。
神が社会の中で創り出したキリストの体、霊の宮なる教会こそ、神の愛が満ち溢れた人間の居場所のはずなのですから。
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