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「二川 猿ヶ馬場」−福祉制度の備わる優しい荒野(…?)–『東海道五十三次』

今日の昼に秋服が一着届きます!
四季の中で秋服が一番好きなので今秋はちょっと安めのところでいつもより多めに買い込んじゃおうかなと思っています。

それに合わせてそろそろ気温も低くなってくれないと勿体無いので、いい加減に定まった温度でいてほしいですね。傲慢にも。笑


そんな気温に対して涼しさを求める今日も広重。今回は『東海道五十三次』「二川 猿ヶ馬場」です。

◼️ファーストインプレッション

女性3人で、あともう少しで辿り着くかしわもちのお店に行けるのを楽しみに笑顔が溢れています。

表情はあまりはっきりと見られませんが、両端の二人の口元が緩んでいます。
三味線や琵琶を抱えていますので音曲系の遊行で旅しているタイプの人かな。
3人でわちゃわちゃしていたのかなと思えるほど仲の良さが滲み出ています。

その目指す先のかしわもちのお店には一人の男性。
彼もまた旅人でかしわもちを受け取るのを楽しみにしているのか、食べた後に店主にゴミを渡しながら一言お話しているのかもしれません。

今回ここにかしわもちのお店がなかったら乾いた荒野の中で丘を登るのもかなりきつい所業ですね。
ここにかしわもちのお店がなかったら殺風景になっていたかもしれません。
背景のどこまでも続く丘にもあまりにも荒廃した光景が広がっているのでサボテンとかさえ生えてそう。
どこまで遠くを見てもぼつぼつとした草原が広がっていて息苦しくなりそう。
空が全く見えないのも不思議で、そのせいでもあります。

こんなに酷いことを言っておきながら、画面左の木の背後にいくつか家が並んでいるのがわかります。
なのでちゃんと人々が住んで生活しているということで、荒廃しているとか言ったのを撤回します笑。

今回は二川の位置と正面の3人の女性について見ていきたいと思います。

◼️二川

前回の白須賀は海沿いでしたが、今回の少し丘陵地のような雰囲気のある二川はどのような場所に位置しているのでしょうか。

 今回の二川は赤ピンのところです。前回の白須賀の位置は右下の白須賀ICのあたりなのでかなり北上しますね。

ここでやっと愛知県に突入したみたいですね。
静岡県も大きいのでかなり長かったですね。

この二川を拡大して、猿ヶ馬場を探しても見つからず猿ヶ馬場で検索しても、岐阜県と長野県にしか地名として残っていませんでした。

ちなみにここ二川で有名だったのが柏餅。絵の中にもお店として出ているし、なんならかしわもちの文字の上に「名物」と書かれてさえいます。

下のURLには丸八製菓のかしわもちについてのページを載せています。

柏餅の名前の由来が豊臣秀吉の小田原征伐の時の逸話に関係しているのですね。
しかも今回の副題の猿ヶ馬場の地名の由来も柏餅の逸話に関係しているし、秀吉の付けた名前から派生しているというのです。

このページの美味しそうな柏餅を見ていると、こういった和菓子をゆっくりと涼しいところで食べたいななんて思いました笑。
この中では味噌餡のを食べたいです。


◼️瞽女

今回の絵で描かれる正面の女性3人は参考書によると、瞽女という女性たちらしい。

(1)盲目の女。
(2)鼓を打ったり、あるいは三味線を弾いたりなどして、唄をうたい、門付けをする盲目の女芸人。瞽女の坊。

日本国語大辞典

盲目の女性旅芸人。三味線を弾き、歌を歌って門付 (かどづけ) をしながら、山里を巡行し暮らしをたてた。「ごぜ」の名は、中世の盲御前 (めくらごぜ) から出たといわれるが確証はない。座頭のような全国的組織はもたず、地方ごとに集団を組織して統率するとともに、一定の縄張りを歩くことが多かった。近世の諸藩では、駿府 (すんぷ) (静岡市)や越後 (えちご) の高田、長岡などのように、瞽女屋敷を与えてこれを保護し、集団生活を営ませることによって支配する所もあった。

日本大百科全書
『西行絵巻物語』

瞽女を保護する組織もあったということで、この3人の女性はそこで知り合ったもの同士というわけですね。
一つ疑問ですが、盲目の女性たちだけで歩いて巡礼するのってめちゃくちゃ危険じゃないのかなって思います。一人でも盲目でない人間がいないと危険なことがなきにしもあらずな旅で、全員視覚に不自由があるのはかなり危険では?

ただ、決まったルートを巡礼するということでそのルートに居を構えたり商売をしている人間は彼女たちを保護する義務まではいかなくても協力体制ができていたのかもしれませんね。

今でも何かしらの障害を持った子どもたちが通う学校などがあれば、近所の人たちが見守る体制があったりしますね。
障害だけでなく、普通の小学校でもそうですね。
交通安全のおじさんおばさんが朝と帰りに信号を見守ったり、ルートに立っていたり、そう言ったものに近いのかな。


やはり参考書には
「諸藩は福祉政策の一環として瞽女を保護し、領内を巡礼させました。」
とあり、やはり福祉として彼女たちを見守ったということなのですね。

江戸時代にもこうした身体的な障害を持った人を保護し、生きる道を与える福祉制度があることを初めて知りました。
以前、広景の絵で盲目の乞食がいたり一人でいたり、そうした場面を見てきたので現代より障害者に対しての保護という面では脆弱だったのかなと思っていました。
が、こうして福祉制度で現代のようなものが備わっていると少し安心しました。


今回は二川の柏餅の逸話と、瞽女について見ていきました。

今日はここまで!
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