「白須賀 汐見ノ阪」−表面張力で地球の表面–『東海道五十三次』
今日は夜遅くまでバイトがあるのに加えてゆっくりと湯船に浸かりたいので早めに書き上げます。
今朝はエアコンのタイマーをしっかりかけたのにも関わらず、なぜか稼働していました。しかも17度強風で。当たり前に風邪ひく。
起きた時に足元にエアコンのリモコンがあったので「そういうことか…」と悟りました。
そういうわけで扁桃腺は腫れているし、頭がぼーっとするし、体もそこそこ寒いしで3年ぶりくらいに嫌な予感がしています。
まあ、暖かい物でも食べれば平気でしょう!
そんな強気の今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「白須賀 汐見阪図」です。
◼️ファーストインプレッション
この水面は湖でしょうか、それとも海でしょうか。
この遠望を眺めるのに最適な高台から画面を捉えています。
今回のように中央が窪んだ地形を描く作品は広重の作品にいくつかあったのを
覚えています。
これもまた見る必要がありますね。
2本の松が内側に向かって伸びて中央を囲うように配されています。
なので必然的に視線が中央に誘導されるわけですが、特にこれといった風景が広がるわけでもないので手前に視線が戻ってくるわけです。
こうして視線の移動を促していく効果を巧みに活用しているのですね。
右の坂の上から笠の集団がぞろぞろと降りてきます。
これもまた大名の移動の場面でしょうか。荷物が非常に多い集団でただの旅人たちとも講の集団とも取れないくらいしっかり装備の様子ですね。
ここをぞろぞろと降りた先に宿場があるのでしょうか。今回の絵からは宿場の様子はいまいち確認でいませんが、下のかすみがかったところに建物がいくつか見られますね。
ここに該当しそう。
今回はこの白須賀の位置と、今回の中央が窪んだ構図について見ていきます。
◼️白須賀
海沿いであることは確かなのでその近辺を見てみましょう。
赤ピンの「旧東海道白須賀宿大村本陣跡」や「白須賀宿の火防」などが位置している場所がまさに今回のえが描かれたところでしょう。
海から少し離れた高台となると、もう少し西かな?
前回の新居からはそう遠くはない距離ではありますが、絵からも分かるとおり高低差が激しかったのでしょう。
この白須賀、実は海沿いにあったときに大津波に遭って壊滅してしまったそう。
赤ピンが副題にある潮見坂です。現在の表記は潮見坂となっているようですね。
この坂が津波で無くなった後にできた白須賀宿に向かうときに通る坂です。
元々どこにあったのかは判然としませんが、もっと海に近かったのかな?
ここからでも分かる通り、1707年の地震で起きた津波で壊滅したことで坂の上に移動したっぽい。
ということは上の地図の水色ピンの白須賀宿に該当しているのでしょう。
◼️窪んだ構図
今回の絵の中央が窪んだ構図というのは広重が多用した構図です。
思うだせる一つの例としてこちら。
『東海道風景図会』「三島」です。
こちらは全く同じ構図ですね。
中央に窪んだ地形を正面に捉えてその両脇に木を置いています。
こうして中央を額縁のように囲う効果があるのです。
なのでどうしても中央を歩く二人の旅人が主役になりますね。
今回の白須賀の絵では上の三島と違い、向こうに水平線を配していますね。
ここで巧みなのが窪んだ地形がまるで器のような役割を果たしている点です。
器のように見えることで表面張力で水が張っているような印象を与えます。
『富士三十六景』「甲斐御坂越」です。
こちらは左右非対称ですが、窪んだ坂にヒタヒタに張った水面、坂の上の一本の木という点で共通しています。
今回はその湖面に対照的に富士山が置かれています。
富士山が湖面に映っていることはなさそうですが、水面が落ち着いていたら逆さ富士も見られそう。
こうした構図の利用も広重の歴代の作品を見ていくことでどう変化したのかを知ることができますね。
今回は白須賀の歴史と構図の面白さを見ることができました。
今日はここまで!
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