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「赤坂 旅舎招婦ノ図」−暗黙の了解の右の部屋−『東海道五十三次』

卒論提出まで意外と時間がないことに気づき、友人や彼氏と11月・12月に旅行に行こうとしていましたが、もしかしたらきついとかいう現実が待ち受けているかもしれません。
その分お金が貯まるので1月から散財できちゃうとかいう理想も描いています。

提出できるように頑張らないと、、。

そんな焦りが生まれる今日も広重。今回は『東海道五十三次』「赤阪 旅舎招婦ノ図」です。

東京富士美術館

◼️ファーストインプレッション

こちらもまた旅籠屋を描いたものでしょう。
画面左には男性客が多く、くつろぐ人々の様子が描かれています。
ご飯も食べてお酒も飲んで入浴も済ませて、あとは寝るだけの状態なのでしょう。
まさに縁側を歩く男性は肩に布を掛けて疲れが取れたまま眠りに就こうとしているのかもしれません。

一方で画面右の部屋の中では女性が三人、話し込んでいます。
化粧を直しているのか、髪を整えているのか、身繕いをしています。
この女性たちはこの旅籠屋の遊女というか、副題の招婦という人なのでしょうね。
参考書をチラ見しましたが、この二つのお部屋を真ん中の木が分けているのです。
旅籠屋としての顔と、実は娼婦たちが自分が生き残るためにスタンバイしているという二つの顔を持っているのですね。

上下が黒くぼかされているので夜も深くなってきた時間帯ということは推測できますね。
昨日御油を見た時に大田南畝の紀行文を引用しましたが、ここ赤坂は「よろし」と評価されておりここで待機している女性たちは強引ではなく、お淑やかに接待するのでしょうか。

今日はここ赤坂の場所と、旅籠屋の奥の女性たちを描いたものを見ていきたいと思います。

◼️赤坂

昨日も実は見ましたが、もう一度ね。

赤ピンがいっぱいありますが、左上の「旧東海道赤坂宿西見附跡」とあるところを赤坂宿とします。そうすると昨日の御油と本当に目と鼻の先であることがよくわかります。

ここ一帯が留女がいる旅籠屋がごろごろあると考えると、旅人は「山よりも難関」だと考えたりするんじゃないかな。

◼️赤坂の旅籠屋

ここ赤坂は浮世絵に描かれたことはあったのでしょうか。

三代歌川豊国『東海道五十三次之内御油 山本勘助(役者見立東海道)』です。
ちっちゃすぎていまいち判別はできませんが、この山本勘助の後ろに旅籠屋の並びが描かれています。
とはいえ、題名に御油と書かれているので赤坂ではないのですが、、、。

歌川豊国『東海道五十三次之内赤坂 澤井又五郎(役者見立東海道)』です。
こちらにあった。
とはいえ、御油よりも旅籠屋の描写はありませんね。
長閑な農村のような景色が広がるだけです。

広重『東海道風景図会』です。
御油と赤坂が一緒に描かれていて、詞書にもほんのすぐそこにあるという旨が記されています。
これはもう私の家から駅までの距離よりも短いもしれません。笑


『東海道名所図会 三』です。
真ん中の赤坂に招婦のことが書かれています。
名所図会という幕府が公認の文献にも招婦のことが記さるほどここでは名物だったのですね。

あー、この文字をすらすら読めるようになりたいなあ、、!

自信を喪失して今日はここまで、、。

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