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「湯しま天神雪のあくる日」−釈○の様子も見てみたい–『銀世界東十二景』

今日は出勤の時点で既に疲労困憊なのでつべこべ言わずに早く本題に入って、風呂入って寝ます!

そんな今日も広重。
今回は『銀世界東十二景』「湯しま天神雪のあくる日」です。


国立国会図書館蔵

湯島聖堂が高い丘の上にあって、人々がよく訪れる場所であったことはこれまで何度も見てきました。

今回は『江戸名所図会』で当時の賑わいがどの程度のものだったのか、この絵で雪の次の日に参拝する理由は何なのか、見ていきたいと思います。

『江戸名所図会』での描写

当時から湯島は江戸の有名な名所の一つで、何度も錦絵や絵本の名所絵に描かれていましたね。

国立国会図書館蔵

引用されている句は
「からひとの-むかしのかけを-うつしきて-あふけはたかき-あきのよほつき」

とあり、作者はデータベースでは未詳となっています。
内容も、解釈が載っていないので詳しくみることはできませんが、ここ湯島聖堂をみると、作者は中国の様子を思い出すのでしょう。

確かにここは中国の都のような雰囲気が感じられる構造ですね。
正方形に広い平地に大聖堂がどんと構えている。


国立国会図書館蔵

湯島聖堂の項目の本文ですが、ページが切り替わる辺りから古代中国関連の話が書かれています。
釈天という行事が秋と春に2度行われ、2月と8月に、宋の君子の画像を掛けるというイベントがあるということです。
後半からは釈天の起源が書かれているということです。

なので湯島聖堂は中国由来の要素があるといえるのでしょう。
こちらの湯島聖堂のHPに解説があります。

釈天というイベントがそもそもこういったものであるらしい。

孔子を祀るところを孔子廟と言い、別名として孔廟、聖廟、文廟とも言い、孔子を祀る祭祀を「釈奠」という。

釈天という変換が難しかったのですが、この字です。
そもそもこの湯島聖堂を建てたのが林羅山という朱子学の祖であるため、このような中国の春秋時代の風習に習っているのですね。

中国で宋の時代に周敦頤(しゅうとんい)、程明道、程伊川などに始まり、朱子に至って大成した儒教の学説。宇宙を原理としての「理」と、存在としての「気」とからとらえる理気説と、人間の性のうち、理から生じた「本然の性」に絶対を認める性理説をその理念とし、格物致知をもととして治国平天下を目的とする実践道徳を唱えたもの。

日本国語大辞典

朱子学が中国発祥で、日本では官学として幕府の保護を受けた学問です。

この釈天がまさに絵に描かれた雪の日に開催されたとは考えにくいですが、2月に行われている点では雪の日もあり得なくないですね。

しかし今回は「湯しま天神雪のあくる日」という題なので、とある雪が降った日の次の日なのでしょう。

ただ、今の湯島聖堂の伝統行事の中には釈天がなかったので、もうやっていないのかな。
釈天の様子が描かれている絵を見つけられたら、またどこかで上げようと思います。


今日はここまで!
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