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「京師 三条大橋」−江戸の人にとってどんな京都?−『東海道五十三次』

今朝は大学院入試の結果が出ました!
第一志望に合格をいただくことができました!

嬉しいいい。
高校も抑えの学校、大学は浪人した上に第3あたり志望の補欠合格だったので物心ついてからは受験にいい思い出がありませんでした笑

院試は過去問も流通してないし、対策の仕方がなかなか手探りなのもありずっと宙に浮いているような不安感の中でした、、、。

入ってからの方が大変でしょうけれど、授業内容が非常に面白そうですし同じ学科の人たちが9割外国人という特殊な環境であるのも全て楽しめたらいいなと思います、、!

とりあえず卒論、やり切らないと、、笑。

そんな嬉しさに浸りたいけれどなかなかそんな余裕がなさそうな今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「京師 三条大橋」です。


東京富士美術館

◼️ファーストインプレッション

この橋がきっと三条大橋という橋で、京都の中でも有名な坂の一つですね。
その橋の上には確かにさまざまな職業、目的の人々が闊歩しています。
芸者さんのような女性もいれば、欄干に腕をついて川面を眺めている人もいます。
反対からは大名行列の先端がこちらにやってきますし、大きな箱を抱えた力持ちそうな男性が「えっほっ、えっほっ」と息を切らして荷物を運んでいる様子です。

色々な人が行き交う三条大橋は、『東海道五十三次』シリーズの最後の絵として描かれていますが、このシリーズの一番初めは日本橋。
日本橋もよく描かれる構図ではなく、橋をメインに描いていましたね。
こうしてシリーズの中の始まりと終わりが共通点を持って描かれているのは、広重や版元が意識して構成したものですね。

今回は京師・三条大橋の場所と、絵の中に描かれている京都名所スポットを見ていきたいと思います。

◼️三条大橋

副題よりも題名の京師という方が気になりますが、まずは三条大橋で調べてみます。

赤ピンが三条大橋。そのまま東にずっと目を移していった先に前回の大津があります。
あまり長い距離ではなさそうですね。

江戸時代,徳川幕府は三条大橋を東海道五十三次の終点と位置づけ,維持管理を行いました。しかし,三条大橋は二百数十年間で20回を越える洪水被害を受け,その一部が流出しています。
 また,当時の三条大橋の工事や入札の記録によると,17世紀半ばから幕末にかけて35回の改修工事が行われています。これは鴨川の洪水が,それだけ激しかったのと三条大橋が重要視されていた証拠であるといえます。

三条大橋は江戸時代から散々な目に遭っているそうですね。
壊れては直してを繰り返し、今の形になっているのでしょう。

描かれている三条大橋は修復の様子がなさそうなので近々の数年はまだ大きな被害に遭ってはいなさそうですね。

◼️名所スポット

今回の絵には京都といえば!の名所がいくつか描きこまれているみたいです。
まず、画面右上部にある山の中に一つのお寺が描かれていますが、これが清水寺。
その右下に一際目立つ高い塔が五重塔。

京都に修学旅行で行った人なら必ず回るルートのうちの一つですね。
上の地図を見るとわかりますが、これが描かれている方向が、三条大橋の西側にある「京都国際漫画ミュージアム」あたりから描かれているということになります。
京都から日本橋の方向を向いている位置関係ということで、これまで歩いてきた道のりを振り返るような構成になっているわけです。

広重はこうした方向に構えているのも、清水寺や五重塔を描くことを視野に入れていたのでしょうね。
参考書には、京都らしく山岳と古都の両方を描くことで、街並みばかりの江戸と対比して江戸の人々の憧れの地を描いたと言われています。

今回は画面構成の面白さよりも客観的な京都らしさを描いたと言われ、シリーズの締めは控えめにセットしたと考えられますね。

広重は京都に行った説が浮上している絵師ではありますが、自分のみた景色を主観的に描くのではなく江戸の人間が「京都」を想像しやすいような作品にしたのです。

今シリーズはおしまいです!
有名な作品をしっかりと読み込むことで東海道ものにはある程度応用できそうな気がします!

明日からはどんな作品を扱おう、、。
まだ決まっていません、、。笑

今日はここまで!
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