赤坂山王−『江戸名所図会』に倣え、、次は?−『銀世界東十二景』
約1.5ヶ月ぶりに更新いたします。
やっと今日、卒論を提出してきて大学卒業までの全てのフェーズを終了してきました!
卒論は浮世絵で広重に関することを書きました。一応文学部なので文学を絡めて書きつつ、広重の一つの作品に焦点を当てました。
更新していない間は毎日卒論を書いていましたが、やはり卒論を書いている時間よりも今、一枚の絵に向き合える1000字を書くこの時間の方がワクワクします。笑
更新していない間ほとんどnoteを開いていなかったので、コメントをくださった方にちゃんと御礼のお返しができていないのが心苦しいです、、。
今日からまた更新頑張ります!
卒論を書いている間に本をたくさん読みました。小説をたくさん読んでいました。
また読み終えた作品をちょこっと紹介してみたいなと想っています。
今日読み終えたのはこちら
江戸時代の全国の遊里を巡った筆者が、それぞれの遊郭の歴史と遊女たちの実態を調査したものです。
遊里といえば江戸の吉原・京都の祇園は有名ですが、地方の遊里に焦点を当てています。
地方ごとの遊女の扱いや地域との関わり方、明治以降の状況などが調査されていて、非常に興味深いものでした。
どの地域でも遊郭で生きて、幸せに終わることのできる女性は本の一握りであったのだとわかります。ほとんどは決まった運命になるのだと考えると、貧困は弱い立場の女性がまず犠牲になるものであったのだと心が苦しくなったりもしました。
ちゃんと歴史を見つめる本も読んでいきたいと想った一冊でした。
さ、今日の本題に入ります。
本をたくさん読みたい今日も広重。
今回は前回の続き、『銀世界東十二景』の「赤坂山王」です。
どこの境内?
赤坂山王と言ったら、現代も残る地名であるので推測が可能でしょう。
第一に思いつくのは日枝神社。
日枝神社は今年の5月あたりに行ったことがあり、記憶にはあります。
日枝神社は当時から山王祭りでルートの一部であったこともあり、非常に
馴染み深い名所です。
他の作品と照合して日枝神社がどうかみてみます。
広重の『東都三十六景』「山王権現雪中」です。
階段の上の境内が少し似ている気がしなくもないです。
お堂を含めて回廊のように赤い建造物が立っているのは今も変わらない姿です。
日枝神社のHPも見てみます。
ギャラリーの中にこの絵が載っていました。
ここが日枝神社であることは間違いないようですね。
しかし気になるのが、境内の中の五重塔のような建造物。今の境内マップを見ても、五重塔は見られず当時と構造が違うことがわかります。
五重塔のようなものの実態
やはり当時の名所の実態を知るのは『江戸名所図会』ですね。
『江戸名所図会』第三巻七冊「日吉山王神社」です。
境内の全容がわかりますね。
右上に注目です。
丘の上へと階段を登った先にある境内の中の、お堂の前の階段あたりを視座として今回の絵は描かれています。
そこから茉順?と書かれている建物に向かっているのでしょう。
そして茉順?が私がさっきから言っていた五重塔とやらですね。
ここに辿り着くまで大階段を登らないといけないことがよくわかりますが、今回の絵と、『東都三十六景』の日枝神社も雪の景色が描かれているのが気になります。
雪の日の日枝神社が名物であると考えると、あの大階段ですっ転んで頭打っちゃう人は頻出していたと推測できます笑。
かといって『江戸名所図会』に冬が名物だとか、雪景色は見ものだとかは記載がなかったので、錦絵で描くときに「映え」るからその景色がよく描かれたということなのでしょう。
なぜ傘を閉じてるの?
『銀世界東十二景』の絵で手前の人が一人だけ傘を閉じています。
これからどこかのお堂に入るところなのでしょうか。
行き先を見てみると、どこに向かっているのか少しわかりにくい。
中門の方に向かっているのか、真ん中の奔殿から出てきたのか。
というか、右端にある大きな建物が何かわからない、、。
『江戸名所図会』が出版された後に境内の中が改装されたのでしょうか。
ちょっとモヤモヤが残りますが、久しぶりなのでここいらで終わりにしておきます。
『江戸名所図会』の後の江戸の地誌を探してみようと思います。
今日はここまで!
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