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農耕開始以前から社会はいろいろあった 『万物の黎明』ノート20

第4章の構成は大変にわかりにくいです。話があちこちに飛びながら、どこに向かっていくのかがよく分からなくなるのですが、大雑把に言えば、農耕開始以前の社会について色々と(文化人類学と考古学の)例を挙げながら、「農耕が始まって私的所有が始まり、そこから人が人を支配するヒエラルキーのある社会が現れた」といいう通説を覆す準備を行い、本書を通じて展開していく「どうして私たちは閉塞したのか?」という問いに関連する著者たち(「二人のデーヴィット」ということでWDと以下略記)の考え方を並べていると言えるのかもしれません。

まず、農耕以前(および農耕を放棄した)の古代遺跡・遺物、そして狩猟採集社会についての解説だけを抜き出しておくと:

考古学的な例1 狩猟採集民が作った都市のようなもの:ポヴァティ・ポイント

https://www.lpb.org/programs/poverty-point

ポヴァティポイントはBC1600頃の巨大土塁跡であり、ミシシッピ川下流域の古代文明の証拠です。南北に二つの巨大マウンドもあって、それらを含めると200ha以上となり、ウルクやハラッパーより広いことになります。農耕は行われておらず、漁労狩猟採集民が作った遺跡。水運に頼って広域の文化交通センターを形成したと考えられ、五大湖からメキシコ湾にかけて人や資源がやってきた痕跡があります。BC3500頃から続くミシシッピ都市文化の末裔。分かっていないことは数多いですが遺物からは文化的洗練が推測されます。

ミシシッピ川流域に広がる同時代の小規模の遺跡も、まったく均一な(正三角形を基本とする)幾何学原理に従っており、地域の標準的な測定単位が存在していたと考えられます。広範囲にわたって測量技術、数学的知識、土木技術が共有されていたということです。

ポヴァティポイントには外からの物の流入は確認できても「輸出」の痕跡がまるでありません。クッキングボールと呼ばれる謎めいた土器以外、外に持ち出された物資の痕跡が確認できないのです。ポヴァティポイントに備蓄されていたのは無形物、つまり儀礼や歌やダンスやイメージなどの知的財産だったのかもしれないとWDは推測します。

アメリカの考古学ではベーリング地峡が海峡になったBC8000頃からトウモロコシ栽培が始まるBC1000頃までの長い期間を「アーケイック期」と命名して、「重要なことは何も起こらなかった期間」として扱ってきました。しかし、ポヴァティポイントはその常識を覆しました。

考古学的な例2 狩猟採集民の作った縄文文化(三内丸山など):

https://moshicom.com/course/4502

大規模な狩猟採集民の文化が栄えた例として、WDは日本の縄文文化についても言及します。アメリカのアーケイック期同様、日本ではBC14000からBC300までの一万年以上もの長い期間をまとめて「縄文時代」と呼び、「農耕以前の狩猟採集時代」という括りで済ませてきました。しかし考古学的発見が相次いだことで単純な時代ではなかったことが明らかになりつつあるとしています。

膨大な考古学資料から浮かび上がってきたのは、100年周期で集落の形成と分散が繰り返され、モニュメントが建てられては放置され、豪奢な埋葬が開花しては衰退し、工芸が活気付いては退潮した複雑な社会です。三内丸山のような大規模貯蔵庫や祭祀場を伴った大規模村落もありました。

考古学的な例3 狩猟採集民の作った巨大建築(フィンランドの巨人の教会)など:

https://images.app.goo.gl/8VqR5CvBbQK7HPSg6

ィンランドの巨人の教会:BC3000-2000の狩猟採集民た作った長さ195フィートの石垣。

https://ja.wikipedia.org/wiki/シギルの偶像

高さ17フィート(5メートル)のトーテムポール「シギルの偶像」(ロシア、ウラル山脈)BC.8000

考古学的な例4 ストーンヘンジ

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストーンヘンジ

ストーンヘンジ(BC.2500-2000)を作った人々は穀物栽培を放棄して、家畜飼育とヘーゼルナッツ採集を行っていました。

文化人類学からの例1 少ない労働時間で必要なものを得ているカラハリで暮らすクン・サンやハッザ族など。農業のやり方は知っているのですが、必要がないので手を出しません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Bosjesmannendorp.JPG

文化人類学からの例2 狩猟採集民の「王」による支配 ヨーロッパ人到来期に居たフロリダ半島のカルーサ族

https://www.checflorida.org/post/they-lived-here-before-we-did

魚介、海産動物が主食で陸生動物と鳥類も食べていましたが農耕も牧畜もしませんでした。ヨーロッパ人が到来した頃は、軍用カヌーの船団で近隣住民を攻撃して加工食品、皮、武器、琥珀、金属、奴隷などの貢納を受けています。統治者のカーラスはほとんど「王」で、装飾品を身につけ王座に座り、絶対権力をもっていてカーラスが死ねば臣下の子供たちが一定数殺されました。

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これらの例を説明しながらWDは以下のようなトピックを語ります。

なぜ狩猟採集期は非歴史的な時期と考えられてきたのか:
ポヴァティポイントは狩猟採集時代の都市のようなものですが、時代区分としては7000年続いたとされる「アーケイック期」に属します。三内丸山のような大規模集落を産んだ縄文時代にしても1万年以上続いたとされています。ところがアーケイック期にしても縄文時代にしても、歴史的事件がほとんど何も起こらなかった時代としていままでは捉えられており、こうした旧石器時代の遺跡がうまく位置付けられてきませんでした。

こうした遺跡が社会進化論ではうまく説明できないことは確かですが、社会進化論がそもそも成立していないことは狩猟採集民の「王国」であるカルーサの例をみても明らかでしょう。農耕の開始→余剰生産物の備蓄→支配階級の出現→国家の誕生というプロセスをカルーサはあっさり無視して「王国」としか言いようのない社会を作り出していました。

欧米の人々による狩猟採集民への偏見には、「耕していない人間は土地を所有していない」という思い込みがあるとWDはしています。この理屈でアメリカ政府はインディアンの土地を奪いましたがそれは遡れば、ローマ法の「所有」概念に起因するともしています。

ともかくも農耕が始まることによって、実質的な歴史は始まるのであって、それ以前の社会は非歴史的な期間として扱われ、それがアーケイック期や縄文時代だったのです。もちろん、ポヴァティポイントも三内丸山遺跡もそれに対して強い反例となっていますし、いま続々と発見されている農耕以前の遺跡も同様です。

支配が可能になった要因:
そのひとつとしてWDは「社会の多孔性(抜け穴)」が失われたことをあげます。これは旧石器時代から新石器時代に向けて「社会」が地理的に縮小していったことに対応しているとWDは指摘します(第3章、ノート17も参照)。

「労働」をめぐる問題
時間と共に、人口が増大し、定住者も増大し、生産力も増大し、物的剰余物も増大し、人々が誰かに服従する時間が増大するという傾向は確かにあります。もっとも、その相互のメカニズムは不明なままです。

物的余剰を占有、つまり所有した人がどのように「命令の権能」を手にしたのか(そして不平等が起こったのか)を考えるとき、仕事もしくは労働についての議論がされてきました。経済は「効率性」を重視しますから職場の命令系統は厳格なのは自明だと考えられ、その「命令」に注目するわけです。特に社会進化論が議論されていたころにフルタイムの産業労働者階級が出現したので議論がそこに絞られていきます。

19世紀には技術の進歩が歴史の原動力であり、不必要な労苦からの解放をもたらすという見方が自明視されていました。ヴィクトリア朝の知識人たちは、未開人であればあるほど労働に明け暮れる生活を送っており、(19世紀の)今は改善の過渡期にあると考えていました。つまり技術の進歩と共に労働が軽減されて、人々の幸福は増加すると考えたのです。実際には、産業革命当時の工場労働者は中世の奴隷より働かされていたのですが。

この技術文明史観を覆したのが、マーシャル・サーリンズの「初源の豊かな社会」(1968)という論文です。(サーリンズは本書の著者のひとり、グレーバーの先生にあたる人で、グレーバーとの共著もあります。)この論文の中で、サーリンズは多くの狩猟採集民や園耕民は1日に2時間か4時間しか仕事せず、生活に必要なものを全て得ていること、そして初期人類は物質的にも豊かな生活を送っていたと断じています。

さらに狩猟採集民は、穀物や野菜の栽培方法を知っていた上で、農業で生活することを拒否した人々だというのです。次のようなフレーズが狩猟採集民の言葉として引用されています。      

「世界にはモンゴンゴの実がたくさんあるというのに、なんであえて栽培しなきゃならないんだ?」

狩猟採集者は自らの余暇を維持するために新石器革命(農耕革命)を拒否した人々であるとサーリンズは断じています。そして農耕を始めることで労働時間が増え、貧困、病気、戦争、奴隷制がもたらされたするのです。

WDはサーリンズの主張を基本的に受け入れていますが、一部は否定しています。現在分かっている狩猟採集民はサーリンズが描いた「短い労働時間でのんびりと余暇を楽しむ」人々だけではないからです。カリフォルニアの狩猟採集民は勤勉で知られ、アメリカ北西海岸の漁労採集民は富を重んじる階級社会で知られていました(この話は第5章で詳述されます。また、ノート18も参照のこと)。

のんびり暮らすハッザ族と、寸暇を惜しんで働くカリフォルニアの狩猟採集民とどちらが初源の人間に近いかという問いは無意味だというのがWDの立場です。人類の「初源」は存在しないとするからです(ノート16も参照)。彼らが問うべきとするのは、かつてはあった社会の柔軟性と自由とを大きく喪失したのは何故かという問題であり、永続的な支配と従属の関係に私たちが閉塞したのは何故かという問いだとします。

平等とは何か
本書は社会の不平等についての議論からスタートしますが、そもそも平等/不平等とはなんなのでしょうか?その定義はたいへんに難しいものです。本書でもこの点について長々とした議論が綴られますが、「何を」平等にするかで話は変わり、その何かは 人々の価値観("values"諸価値と訳されることが多い)に依存します。(実はグレーバーの著作デビューは『価値論』で、この問題は昔から彼の関心領域でした。)

この「平等」の問題は近代ヨーロッパでは所有の問題に還元されてきました。生産手段(土地、家畜)や、余剰(穀物、羊毛、乳製品)などの所有が他人に対する優位性の基礎となっていると考えられたからです。これが平等に配分される、あるいは平等にアクセスできるかが問われ続けました。社会進化論的な通説では余剰を巡って、テクノクラート、戦士、祭司が専門職化し彼らがエリート化して余剰を独占化して国家(支配)が生まれたとしますが、余剰から国家誕生までの因果関係が遠すぎるとWDは一蹴します。そもそも中東で農耕が始まり余剰を備蓄し始めてから、その地域に国家が誕生するまでに6000年もかかっているのです。

それはともかく、平等と看做されている人々、ハッザ、サン・ブッシュマン、パンダラム、バテクなどの人々は物質のみならず知識も全てが平等に分配されていますが、そのために物質的余剰を持ちません。資源を備蓄することや長期的プロジェクトを自覚的に避けています。そういった未来を見越した備蓄やプロジェクトは一部の個人が他人に権利行使をする基盤となり得るからだとされます。だから、真の平等を達成するためには余剰を放棄するしかないという考え方にもなります。

平等ではなくて自由を問題にすべきである
ここでWDは別の道を示します。確かにヨーロッパ(とそのほかの地域)では富の差異が、命令を下したり服従を要求する権利に翻訳されます。しかし、それを回避することは例えば北米ウッドランドのインディアンがやっていたことでしたし、ウッドランドの「知識人」カンディアロンクは鋭くそれを指摘していました(第2章あるいはノート11参照)。富の差異があったとしても、それが自由の侵害につながらないことが最も重要なのではないかというのがWDの主張です。

本書の中で繰り返されるのですが、WDは基本的な自由として次の3つを挙げています。

命令に従わない自由
移動する自由
社会を作り変える自由

もちろん、これらの自由は実際に行使可能でなくてはなりません。たとえば今のアメリカ合衆国には移動の自由は形式的にはありますが、旅費と宿泊費がない人には行使はできません。気に入らない上司がいれば、それに従わずに退職する自由はありますが、他に職がなく貯金もない人には行使は無理です。だからアメリカ合衆国で保障されているはずのそれらの自由は形式的なものにすぎないとWDは指摘します。ウッドランドのインディアンの社会では、同じトーテムに属する人への歓待義務があったので、首長に従う気がない人は命令を拒み、どこでも好きなところに移動することができました。

最後の社会を作り変える自由については本書でさんざんに繰り返されるように、古代の人々は社会をダイナミックに作り変え続けていたのだというのがWDの主張です。それが失われている現状、つまり支配と従属の関係が固定化されている現状を「閉塞」(行き詰まっている)として、なぜ我々は閉塞したのか?を問うべきなのだと問い掛けます。

私的所有の起源
私的所有が権力に結びついているのが今の世界の現状ですが、それでは私的所有はいつどのようにして始まったのでしょうか。ルソーはそれを農耕の開始に求めましたが、WDはもちろんそれを否定します。狩猟採集民の「王国」であるカルーサの例を見ても、それは明らかでしょう。WDは「聖なる不可侵なもの」にその起源を求めていますが、長くなるのでノート19に書くことにします。

『万物の黎明』について(目次のページ

<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろあった 『万物の黎明』ノート20(このページです)

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)

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