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北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった 『万物の黎明』ノート11

本書の第2章は物議を醸す内容です。いまでこそ、フランス大革命が打ち立てた「自由と平等」の概念はヨーロッパ近代社会が依って立つ理念とされており、人類史に対してヨーロッパ人が行った最大の貢献だとすら言われていますが、著者の二人のデビッド(以下WDと略します)は、それを北米インディアン起源とするのです。正確に言えば、北米インディイアンによるヨーロッパ文明批判への応答として、啓蒙思想家たちが取り込んだ理念が「自由と平等」だったというのです。

18世記に入った頃、フランス領アメリカ住む先住民族の情報が、冒険家や宣教師の報告書を通じてフランスに伝えられます。インディアンたちは遠慮無しにヨーロッパ人を批判、もしくはこき下ろし、そこに耳を傾けるべき真実があると感じた冒険家や宣教師たちはそれを文章にして、ヨーロッパに送りました。インディアンに言わせれば、自分たちは平和に暮らしているのに、フランス人はいつもいがみ合って喧嘩ばかりしているし、嫉妬深くて、終始お互いを誹謗中傷している。つまりフランス人は盗人や詐欺師であり、貪欲で寛大でも親切でもない。しかし私たちは安楽と快適と時間をもつゆえにフランス人より豊かだ。キリスト教徒は財物を獲得しようといつも身悶えて悩んでいる。財物欲しさのタガの外れたあくなき貪欲な人々である、というように批判が続きます。

そして先住民たちはフランス人が寛大でないことに憤慨し、フランスには乞食がいることについて悪辣極まりない慈悲の欠如と非難しています。なによりも「フランス人には自由がないけれども自分たちには自由がある」と彼らは誇っていました。

彼らが誇る自由についてイエズス会宣教師は「よこしまな自由」であるとして非難していましたが、もちろん先住民たちは歯牙にもかけません。彼らはリーダーに従わない自由さえ持っていました。リーダーは配下の人々に何事も強制することができず、ただ雄弁の力だけで人を説得するだけでした。それにたいしてフランス人はつねに目上の人間を恐怖しているという点で奴隷と変わるところがないと、これまたインディアンたちはこき下ろします。

先住民たちはまた、フランス人たちは議論する力が弱々しく、賢く見えないともこき下ろしました。実際、彼らの論理能力と弁舌は、カトリック世界の知識人であるイエズス会神父たちも感嘆させていました。あるイエズス会神父は苛立ちながらも、ウェンダット族の人々の方がヨーロッパ人より賢いとすら書いています。村々ではほぼ毎日のように会合が開かれ、ほとんどすべてのことがらを議論するのですが、誰もが巧みに言葉を使い、対話や討論を行っていました。そうした会合が彼らの会話能力を向上させていたと神父は見ていました。会話能力にとどまらず、日常の物事の取り扱いについても、彼らの教育の賜物であるとも見ています。

イエズス会の神父たちは、彼らの恣意的な権力の拒否と、オープンで包括的な政治的討議、理性的議論を好むことの間に本質的な関係があることを理解して認めていました。誰かが独占的に物事を決めることを回避するためには、部族のあらゆる問題についてオープンに討議しなければならず、討議を進めるにあたっては、それぞれが理性的に論理的に話す必要があるからです。

ヨーロッパの知識人は、こうしたアメリカ先住民によるヨーロッパ人批評に反応したのだとWDは指摘します。思想史では無視されていますが、ロックもヴォルテールもイエズス会報告書を引用して著述しました。そして、イエズス会神父たちに向かって先住民たちが語ったときのスタイル、つまり合理的で、(キリスト教に)懐疑的で、経験的で会話のような調子の討議の形態は、まもなくヨーロッパの啓蒙主義のスタイルとみなされるようになります。

この時期に植民者と先住民が議論したのは自由と相互扶助についてでした。アメリカの先住民社会で食料を求めて断られるのはとんでもないことでしたが、フランス人社会ではそうではなかった。だから先住民はフランス人に対して憤慨しました。ヨーロッパ人は先住民たちに指摘されて、自分達の社会の問題について考えざるを得なくなったのです。

さらに、カンディイアロンクという先住民の「知識人」が登場して、ヨーロッパ文明批判は深化します。カンディアロンクはモントリオール周辺に居たウェンダット族の政治指導者で、弁舌家で、キリスト教の反対者でした。そのウィットに富んだ会話はフランス軍司令官にも珍重され、夕食の席にたびたび招かれてはフランス人と議論を交わしたとされます。副司令官だったラオンタンという貧乏貴族がそれを書き留め、『旅する良識ある未開人との珍奇なる対話』(1703)という題でヨーロッパで出版したところ、ベストセラーとなり幾つもの言語に翻訳され、1世紀以上版を重ね、模倣作が続きました。この中でカンディアロンクはモントリオール、ニューヨーク、パリの住民について、あるいはヨーロッパ人の宗教・政治・健康・性生活に至る風俗や考え方に辛辣極まりない意見を述べています。

こうしたカンディアロンクの反キリスト教論や反ヨーロッパ論は、概ねイエズス会宣教師が報告していた先住民の声と同じなのですが、新しい要素が付け加わります。それは例えば所有と権力についてであり、「ひとりの人間が他の人間よりも多くを所持していることや、金持ちが貧乏人より尊敬されることについては説明がつかない」としました。「フランス人が彼らに与えている未開人という名称は、フランス人自身の方がお似合いであり、フランス人のふるまいには知恵があるとはとてもみいえない」とも言います。フランス社会を間近で観察して先住民たちは、ヨーロッパ社会の核心を理解するようになっていました。フランスでは財産を所有することが、他の人間に対する権力に直接転換させることができるのです(アメリカ先住民社会ではそんな方法はありませんでした)。

『対話』はカンディアロンクによる、明晰で論理的なキリスト教批判、ヨーロッパの司法制度批判と話を進めていくのですが、ウェンダットが裁判制度を必要としないのは、お金を受け取らず使いもしない社会だからという論が展開されています。

あなたがたが「わたしのもの」と「あなたのもの」との区別に固執するかぎり、それ[非人間的]に変わるところはない。そう心から考えています。あなたがたがお金と呼ぶものは、悪魔の中の悪魔、フランス人の暴君、諸悪の根源、魂の悩みの種、生者の処刑場である、こう私は断言します。お金の国にすみながら魂を生き長らえさせることができる、このような考えは、湖の底で命を長らえさせることができるという考えとかわるところがありません。お金は、贅沢、淫乱、陰謀、策略、嘘、裏切り、不誠実の父であり、世界のあらゆる悪行の父なのです。父は子を売り、夫は妻を売り、妻は夫を裏切り、兄弟は殺し合い、友人は偽り合う。すべてはお金のためです。

そして、カンディイアロンクはヨーロッパの文明を取り入れることを拒否し、むしろヨーロッパの社会システムを解体した方がヨーロッパ人にとっては幸せだと論じ、そこで平等な社会が訪れるのだと説くのです。

もしあなたが、われのものとそなたのものなどといった考え方を捨て去れば、そう、そのような人の区別など雲散霧消し、いまのウェンダットのように、あなたがたにも区別のない平等が訪れることでしょう。

アメリカとヨーロッパの長期にわたる対立と対話の結果として「平等」という概念が出てきたのです。

もっとも、カンディアロンクの主張には誇張があります。カンディアロンクはヨーロッパと対比させながら自分たちを「平等な社会」と称しましたが、実際のウェンダットは完全な平等社会ではありませんでした。カンディアロンクは繰り返しってお金について言及しますが、グローバル経済に組み込まれた先住民社会は必ずと言っていいほど、白人の「金銭への追及」に対する反発によって、自らの伝統を構成していくので、この点はカンディアロンクだけの話ではありません。

ともかくも、ラオンタンによるカンディアロンクとの『対話』はベストセラーとなり、ヨーロッパの各国語に訳されて1世紀以上版を重ね、模倣作が続き、劇作にも利用されました。そしてフランスの主な啓蒙主義者たちは想像上のアウトサイダーの視点から自国批判を試みるようになるのです:

  • モンテスキューはペルシャ人の視点で『ペルシャ人の手紙』を書き

  • マルキ・ダルジャンは中国人の視点で『中国人の手紙』を書き

  • ディドロはタチヒ人の視点で『ブーガンヴィル航海記補遺』を書き

  • シャトーブリアンはナチュズ人の視点で『ナチェズ』を書き

  • ヴォルテールはウェンダットとの混血の視点で『自然児』を

書いたのです。なんのことはない、ヨーロッパの啓蒙思想家たちはヨーロッパ外部の「未開人」の視点を使って、ヨーロッパ文明を批判して「自由と平等」を説いたのであり、それも元々は北米インディアンのヨーロッパ文明に端を発していたのでした。

『万物の黎明』の序論部で結構な紙幅を費やしたこの部分、出版当時ずいぶん物議を醸したそうです。

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<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)


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