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部活を途中で諦めたあなたへ

私は中学に上がるまで筋金入りの帰宅部として生活していた。
水泳、書道、絵画、塾、ピアノ…と毎日習い事で放課後が埋まっていたので、特に暇をしていたとか、部活で友達と過ごしたいという希望もあまり無く、忙しく過ごした。

しかし、中学になると話は違う。
私の中学では部活は必須ではなかったが、ほぼ全員が何かしらの部に所属しはじめ「私も入ろうかなー」と思い、背が高いという理由だけで入部したのはバレーボール部。
今振り返ると笑い話だが、仮入部の時に優しかった先輩たちが鬼に豹変したとき、罠にかかった小動物のような、騙された感と絶望感を今でも忘れない。

私の直感は間違っていなかった。後悔した。
あの時の「騙された感」を感じ取った自分を信じて、すぐにでも退部すればよかったとつくづく感じる。


うちのバレーボール部は校内屈指の厳しい部活動
監督からの体罰なんて当たり前、部内カーストもできていた。ましてや同輩の中でもカーストがあったように感じる。
なぜあの暴言や暴力がまかり通る部活が、現代の学校に存在し続けられるのか、不思議で仕方ないが、みんな見て見ぬふりをしていたのだと思う。

大きな体育館をバレー部とバスケ部で使っていたのに、怒鳴られたり、ボールを投げつけられたり、明らかにおかしいと感じる言動を見ているはずなので、誰も何も言わない。言えない…?

中学で部活に入った私の生活は、身も心もボロボロになるようなものだった。
部活の朝練は7:00頃から。
一年生は(体育館の鍵も開いていないのに)先輩よりも早く学校に着いて待っていないといけないので、いつも6:30に学校に行っていた。そこから準備とランニングは一緒に行い、残りの時間はボール拾い。
8:00に片付けをし、時間ギリギリに教室に戻り、そこから授業を受ける。

放課後は毎日18:00頃まで部活。ランニングと先輩のボール拾い、練習試合の審判以外の時間は、筋トレをする。私はなぜか一番先生から見える場所に行かされ、痛い視線を感じながらトレーニングをしていた。何百回でも終わりの時間が来るまで止まらない。先生にも同級生にも見張られていて、私は筋トレが得意でなかったから、「30回みんなでやる」と言われても少し遅れてしまうこともあった。
すると同級生のみんなは水を飲んでいるのに、「終わるまで飲んじゃダメ」と言われたり、(正直みんながちゃんとやっていたかわからないが)私だけサボっていると思われているのでは、と感じて次第に苦しくなった。

中学に上がってから塾が週3回に増え、部活終わりで頭が朦朧なりながら塾に直行、疲労と眠気でまともに授業に集中できず怒られたり、眠ってしまった時は名指しで吊し上げられたりもした。
塾の小テストでよく追試になり22:30まで帰れない日が増え、帰っても学校と塾の課題に追われ、最早余裕ある日々など縁遠い。

休日も朝から夕方まで部活漬け。自分の時間が必要な私には合っていなかったんだ、と思うことができれば辛くなかったかもしれない。
まだ世間知らずで幼かった私は、どうして皆が出来ることが私には辛いのだろう、と悩み、疲れ切った体と体罰やカーストでボロボロな心を一つに纏めて動かすことができなくなっていった。夏休みに入り暑い体育館で一日中部活をするうちに、異常な精神の摩耗から、食事が摂れなくなっていった。

そうしている間に「部活に行く」という行為自体が苦痛で休みがちになり、ついに退部届を出した。不愉快に暑い7月末のことだった。

これで安心と思いきや、ここからも苦難の連続。
顧問が退部届を受理してくれない。在籍中は「お前なんか部活やめろ!」と罵倒していたのに、いざ辞めようとすると全力で引き止めるのだ。何時間にもわたる話し合いの中で、人格否定を含む言葉も投げかけられた。

「先輩は学業との両立ができているから、部活と勉強の両立ができないのはお前の問題だ」
「お前はいつも努力不足だからこの部活が辛いだけだ。もっと自主練習しろ」
「今部活を辞めたら、これから先何事も続けられない人になる」
(部員人数的に廃部寸前だったから余計に真剣)

何も言えなかったのが悔しい。けれど、今は耐える時なんだ。と言い聞かせた。

なんとか顧問に了承の印を得たあと、担任の捺印も必要だったので会いに行き、「今部活を辞めたら、これから先何事も続けられない人になる」と言われたと伝えると、

「まあでもそうだと思うよ。」

という耳を疑う返答を受け、ショックだったことを覚えている。
あ、自分が間違っているのか。と悔しく、情けない気持ちになり、家に帰ってたくさん泣いた。安心したのと、怖かったのと、納得がいかないのと。やっと重荷を下ろせるということが、ただ一条の光だった。楽になれば何かが変わると感じた。

しかし試練はまだまだ続く。
部活を辞めてから、部活の元・先輩達から無視されたり、キツく睨まれたりするようになった。とにかく学校が気まずい場所でしかなくなり、部活のコミュニティーはトラウマ製造工場と化した。

その一年後にいじめが原因で不登校になり、その半年後には海外留学を開始した。
部活での出来事は、留学を決める動機の一つでもある。
私は幸いなことに自分をとりまく環境を変えることができ、負のスパイラルから脱却することができた。


おそらく沢山の方の中では、部活での辛い思い出が大人になると「青春の忘れられない大切な思い出」になっていくと思う。
だけどもし私の中学時代のように、耐えがたい苦しみを味わっている人がいたら、伝えたいことがある。

辛かったら逃げて。
逃げ」は「ずるい」ことや、「将来何も続かない人になる」ことではなく、「自分を守るために取れる選択肢の一つ」なだけ。あなたの選択を咎める人は、きっと自分は逃げることもできなくて、そんな勇気ある決断をするあなたのことが羨ましいだけ。

部活を青春の甘酸っぱい思い出だと思えなくても、卒業まで続けないで辞めても、大丈夫。
挑戦するだけで素晴らしい。続いたらそれも素晴らしいけど、新しい体験をしようとする心持ちが一番すごいということです!

私はいろいろ言われてきたけれど、中学3年から4年間海外留学をして、カナダの高校を成績優秀者として卒業し、カナダの大学に進学することができました。部活を断念したときに言われた言葉は、全て嘘です。私が証明します。

部活でもなんでも、最後まで続けることだけに意味があるのではなく、最後まで続けられなくても、そこには必ず学びがあるはずです。

私自身は部活を通じて上記のことを学び、その悔しさがあったからこそ、それをバネに「何も続かない人」ではないと証明し、自分に自信を持つことを目標に、どんなに辛い時も走り抜くことができました。
ある意味部活で鍛えられた精神力が活かされる場面もあったので、頭ごなしに部活を否定できないなぁと、俯瞰して見ることもできるようになりました。

最後に、運動にも人生にも適度な休息は必要です。
毎日同じ部分を酷使するとすぐにダメになってしまうし、つまらなくなってしまうので、楽しいと感じること、興味のあることを沢山体験して、今度別の誰かにこの経験をシェアしたい!と思えるような何かを見つけることは素敵だと感じます。

そのためにも私はまた気持ちを新たに、今日から始まる大学生活をじっくり味わっていければと思います。

p.s. 9/2は「天赦日」と言って新しいことを始めるのに良い日みたいです。私の大学がこんな日に始まるなんて、幸先よくて嬉しいです。今年の一連の事象で現地には行けないけど、素敵な大学生活が過ごせるように、楽しみたいと思います。

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