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3人の息子とシングルマザー。泣いて笑ってチームになるまで。

今日、3月8日は国際女性デーです。女性がエンパワーメントし連帯を図る日。振り返ってみると、私が女性であることに自覚的になったのは、シングルマザーになってからのように思います。今日、この日に、私にとって女性であること、母であることについて考えてみました。


母子世帯がデフォルトになっている我が家

2024年3月現在、我が家の子どもたちは15歳、13歳、10歳です。夫が亡くなったのは8年なので、私たちの家族は、両親世帯であった時期より、母子世帯として4人で生きる時間の方が長くなりました。

私たち4人は実によく話をします。子どもたちもずいぶん大きくなったので、話をするのは晩御飯の時。子どもたちの学校であったことや、子どもたちの趣味の話を皮切りに、私の仕事のこと、社会で起きていること、家族のこと、未来のことを取り留めもなくお喋りします。

いつの頃からか、「うちは父ちゃんいないしね」「母子世帯だしね」という言葉も子どもたちの口からよく聞かれるようになりました。確かに、そのことで我慢させていることも多いとは思います。でも、今のニュアンスは「じゃあ、だから力を合わせて頑張ろう!」という力強いものに変化してきたように思います。

アンリ・マティス「聖母子像」

育てる役割から、共に生き合うチームとして

夫が突然いなくなってからしばらくの間は、私は子どもたちを守り育てる義務のある者としてかなり肩の力を入れ生きていたと思います。でも、最近は子どもたちに人として正直でいることが、少しできるようになりました。
それは例えば、仕事をしすぎてへとへとになっている時、これまではどんなに疲れていても、子どもに疲れているところを見せたくない、という気持ちがあったように思います。
でも、今は「だめだ、母はへとへとなので昼寝をします!」とか「今日はお昼ご飯を作ってください!」とか、言えるようになりました。

こうなるまでに、いろいろなことがありましたが(いつか子どもたちの許可を得てお話ししていきたなと思っています)、様子を見ながらも家庭のありのままのことや私の心境について、比較的正直に話して意見を聞く、というプロセスを踏めるようになってきました。

彼らを、家庭という船を進めるためのパートナーとして尊重し、言葉を重ね、ひとりの人として彼らの意見を得て、互いの理解を生むこと。このやりとりを泣いたり笑ったりしながら重ねてきて、今ができてきました。

結果として、育てる責任を負いすぎる母親から、共に生き合う仲間としての関係が生まれつつあるように感じています。

国際女性デーに女性として、今思うこと

私がたまたま置かれている状況はシングルマザーとして3人の息子を育てるというものです。私は母であることで生かされ、学んでいることがとても多いと感じます。私にとって母であることは苦しみや葛藤や後悔と喜びが隣り合わせの行為です。その上で、母を離れた「自分」というものの生き方について考える機会も現在進行形でとても増えています。

世界には数多の女性がいて、それぞれの課題を抱えています。

母でなくても、女性であることには多くの難しさがあります。それは生理や出産など生き物と機能についてであったり、性暴力という望まない巨大な暴力との戦いであったり、雇用や賃金格差という社会的な差別であったり……。一言で語り尽くせるものではありません。さらに多くの場合、私たちはこうした課題を複合的に抱えています。

でも、諦めることはないと私は思うのです。
それが、たとえ小さな一歩であったとしても、一人一人がひとつひとつをそれぞれの持ち場で声を上げ、動き続けること。今日という日は、その足元をそれぞれが確認し、女性たちが互いに讃えあう日なのではないでしょうか。

世界中の女性たちへ。
共に明日を迎えましょう。
素晴らしい私たちのための、明日を。

私が私に生まれてよかったと、信じて一緒に進んでみましょう。

私は子どもたちと共に、私に今できる明日を生きてみます。

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