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私が私を取り戻す話

過去を振り返ろうと思う。
自分がやってきたことを机の上に広げて並べてみる。
時には、そんなことが必要なのだ。

25年間、レールの上を歩いていた。

レールの上では思考する必要はなかった。
沿って、歩いていればいい。

ただ私はそこではこれ以上生きていくことができなかった。
物質的にいただいたものを御返ししなくてはと思っていた。
でも、返すどころか先の未来が見えなくなった。

これからも生きていくには、レールを外れるしかなかった。

小さな願いをパラパラとポケットからこぼしてみたら、東京というワードが入っていた。

だから東京に思い立ったように来たわけだけど、何か明確にやりたいことがあったわけじゃなかった。

わからなくなっていた。
自分の好きなもの、やりたいこと、何を考えているのか。
私はあまりにも長い間、自分の気持ちを無視しすぎていた。

成功不成功に関わらず、小さな願いを叶えていくということが、私を取り戻すためには必要だった。

数年間働いていたから、条件も整っていたため失業手当てがもらえた。

そのお金と貯金でしばらく生活をすることにして、とにかく芸術に触れることにした。

映画や舞台、本…芸術に触れるということに対してお金は惜しまなかった。
その期間は2、3ヶ月ほど続いた。
毎日、素晴らしい作品に触れては涙を流していた。
素晴らしいものがこの世の中にはたくさんあるということを知って、とても感動していた。
情熱を持った輝く人たちがたくさんいることに、とても感動していた。

いい作品や考え方を広めたい。
だんだん生き生きとし始めていた。

なにがやりたいかわからなくなっていた私だけれど、実験ショーのお姉さんにはやりがいを感じていた。
一瞬でも夢をもしかしたら与えられたかもしれない、そう思えたから。

じゃあ、演技を極めてもいいかもしれない。そう思った。
学校へ通うにもお金がなかった。
でも、学校へ通うという発想がそもそも安易だったように思えた。

そこで小劇団のオーディションを受けることにした。
朝から晩まで必死で練習した。
もちろん職業としてやっている人との努力とは比べ物にはならないけれど。
挑戦したことで、私はひとつ夢が叶ったかのように満足していた。

これは私の役割ではないということも分かっていった。
この素敵な人たちを応援したいと心から思えていた。

同時進行で学んでいたユング心理学が面白くなっていた。
心の構造を知ることで、色んなことが腑に落ちた。

素晴らしいものは全て繋がっているんだということが分かった。
神話も芸術も宗教も、ぜんぶ。

根幹がわかれば、随分生きやすくなる。

心の構造をどうして教えないのか、こんなにも知られていないのか、不思議で仕方なかった。

日本人は欲を悪いものと考え、自分を抑え、まず協調性を重んじる人が多い。
欲を持つこと自体は悪ではない。
欲を持ち、叶えていくことで、自分の進むべき道を知ることができる。
人と繋がれる。
本当の意味で他者貢献ができる。

そのことを教えてくれた。
きっと欲というものを肯定することで、たくさんの人が救われる。
それは過去の私を救うことにもなる。

私のやっていきたいことは、大きいくくりで言えば、素晴らしい芸術や考え方を広めることだと思った。

演技をやってみたかった願望は満たされた。
オーディションを受けることをすっぱりやめることにした。

ある日、電話がかかってきた。

オーディションを受けた小劇団の演出家のMさんからだった。

「役者としては公演の日が近いのでお願いできませんが、人間性が気に入りました。あなたと一緒にいいものを作りたい。演出助手で入ってくれませんか。俳優さんとも話して、あなたがいいなって」というようなことを言ってくださった。

人間性を褒められたのは初めてだった。
そんな言葉をもらって、断れるわけがなかった。
気持ちが伝わったんだ。
胸が熱くなった。

「情熱を持ったみなさんと働けること、本当に嬉しいです!是非宜しくお願いします!」
そんな風に話したと思う。

仕事内容の詳細を聞いてからお受けした。

こうして演出助手として付く運びとなったのだった。
それから刺激的な新しい日々が始まることになるのだった。

急速に変化しながら、私は私を取り戻していったんだ。

私は、東京に来てから生き始めた。

主体的に。

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