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映像翻訳について思うこと④なぜ距離を置こうと思ったか

社会人の傍ら映像翻訳を1年半学び、映像翻訳者として活動した2年間を振り返り、思ったことをまとめています。翻訳者デビューまでの過程と、翻訳をやってみての記録については、前回の記事①翻訳者になるまで②よかったこと③どんな力がついたか、をご覧ください。

2年ほど活動したのち、いろいろ思う所があり翻訳から距離を置くことにしました。初める前からわかっていたこともありますが、良い面と悪い面を実際に経験しての判断でした。

やめた理由を一言でいうと、この業界にはやりがい搾取構造がはびこっており、未来がないと思ったからです。


やりがい搾取構造

動画配信が世に普及した昨今、映像翻訳の需要はかつてないほど高まっています。そんな中、できるだけ安く大量の作品を訳したい配信会社と、稼げなくてもとにかく経験を積みたい新人の映像翻訳者の間で、負のスパイラルができているように感じます。

映画やドラマの字幕製作は成果物が人目に触れるし、イメージしやすい仕事ということもあってか、やはり人気はあるようです。憧れを抱き、目指す人が絶えないことから、普通ならあり得ないような報酬でも、「映像翻訳の経験が積めるなら」と仕事を受けてしまいがちです。そしていくら低価格でも、自分の評価につながるから、と全力を尽くします。

そんな映像翻訳者の心理をついて、ますます配信会社は低価格を提示するようになるのではないかと思います。そうすると、翻訳者は最低賃金を平気で下回るようなレートでゴリゴリに働くことになり、まるでブラック企業の社員のようになります。


レートの実情

上記の構造が出来上がっているため、レートはすっかり値崩れしています。

翻訳学校に入る前から、翻訳で稼ぐのは難しいという認識はありましたが、「そうはいっても経験を積んで作業スピードがあがればそれなりの収入にはなるのでは」と思っている節がありました。しかし、現実は違うようです。

実際、経験を積んだらどの程度の稼ぎになるのか疑問に思い、専業翻訳家として10年以上プロとして活躍している方のブログを拝見してみましたが、ずっと上がらなかった単価が2018年時点で2割ほど下がっているとのこと。

そして、その方の平均的な年収と、現在の自分の年収(20代後半/事務職/残業はあまりしない)がほぼ同じだったことも衝撃でした。多分、福利厚生や社会保障を加味すると事務職の方がよほど条件はいいと思われます。

翻訳はとても専門性の求められる仕事であり、調べ物や訳文の推敲など、やろうと思えば作業は果てしなくある仕事です。稼ぎ自体というより、まず第一にその大変さと報酬が全然釣り合っていないことに違和感を覚えました。

しかしそれ以上に衝撃的なのは、経験を積んだことが評価されず、訳のクオリティは上がっているはずなのに報酬は下がっているという事実です。こういった状況ではこの業界には先がないなと思ってしまいました。

翻訳の報酬は大体、映像1分あたりいくらというふうに決められています。標準的なプロの作業スピードは1日10分とされているので、ざっくりですが、1分当たりの報酬=時給と考えると分かりやすいと思います。

その方のブログでは、プロの標準ペースで仕事をしたとしても、1分800円だと最低賃金(2018年当時(東京都)=985円。*2022年10月より1072円)を下回るとありましたが、本当にそうだなと思いました。新人だともっと時間がかかりがちなので、余裕で最低賃金を下回ります。

しかし、2022年現在、新人に回ってくる仕事の中には1分300円台のものも当たり前にあります。そしてそういった案件でさえ早い者勝ちですぐに埋まっていくのが現状です。レートを気にせずやりたい人は大勢いるのです。新人でも800~1000円程度/分のものもありましたが、それでも結局は最低賃金レベルです。

実際、デビュー前の研修では「新人は300~600円/分」「ベテランで900~1200円/分」と聞きましたが、今考えるとベテランでも最低賃金と大して変わらないような金額ってどうなの…と思います。


立場が弱い

翻訳者はどうしても末端の作業者になるので立場が弱いです。クライアントから直で受注というパターンもあるようですが、特に新人は多くの場合で翻訳会社経由での受注となるでしょう。そして、その翻訳会社も大手配信会社の下請けから仕事を受けていることがあったりします。

つまり、【大手配信会社】⇒(【下請け】)⇒【翻訳会社】⇒【翻訳者】といった構図で、孫請け・曾孫受けになります。そのため立場は非常に弱く、レートの交渉もかなり難しいと思われます。

そして、クライアントの都合で振り回されやすい立場です。そのため、スケジュールが非常に立てづらいです。これは仕方ないことですが、いつどんな依頼がくるかわかりません。そのため、仕事もプライベートも先の予定を立てるのが難しかったです。

また、受注する際に納期は決まっているのですが、素材(=映像やスクリプトなど作業に欠かせないもの)の到着が遅れて全体のスケジュールが後ろ倒しになったり、クライアント都合での映像の差替えに伴い追加作業が発生したり(報酬は追加なし)、納品後もチェックバック(納品後にクライアントが納品物の品質をチェックし、翻訳者に修正依頼が来る)がいつくるかわからない、一方でチェックバックが来た場合は当日中など短納期での修正版の納品が求められたりするなど、納品後にも対応が必要になることが多くあります。

そのため、納品後、他の作品の作業中に急遽前作の修正対応が必要になったり、納品後に予定を入れていた日に急遽修正に対応したりということになりがちです。

納品後、いつまでに修正依頼が来るのかわかっていれば予定も立てられるのですが、そういった情報ははっきりしていないケースが多かったです。仮に予定を連絡頂いても、後ろ倒しになることが多かった印象です。そのため、納品日がわかっていてもスケジュールが立てにくかったです。

翻訳の特性上、チェック⇔修正という工程は必要だと思います。しかし、翻訳者の納期は絶対なのに、素材の送付やチェックバックのスケジュールはクライアント都合で遅れがちなこと、一方で修正依頼は当日中など短納期があたりまえなこと、さらにこれらの追加作業が全て無報酬なことには違和感がありました。

自由になりたくてフリーランスでできる仕事を選んだのですが、実際のところお金と時間の面で全然自由ではありませんでした。。確かに場所を選ばずに働けるのですが、アルバイトの方が断然コスパがいいくらい報酬が低い上に、スケジュールが立てづらく、プライベートが無いような状態になりやすかったです。


エネルギーが尽きた

翻訳自体は奥深くて、楽しいと思えることも多かったです。前の記事に書いたように、やりがいは確かにあります。

しかし、上記のような現実を目の当たりにして気持ちが変わってしまいました。ある程度はわかっていながら、それでも「楽しいから」「会社員の仕事で生活はできるし、お金のためじゃない」と思いやっていましたが、こんなブラックな状態では、後継者が育つ余地がなく業界全体がダメになっていくだろうなと感じたことでモチベーションが大きく失われてしまいました。

翻訳に対する元々の熱量の問題もあると思いますが、業界の未来に希望を感じられなかったことがやはり大きく影響したと思います。

それに、こういった報酬と釣り合ってない、かつ理不尽とも思える数々の要求にも、全て二つ返事で応えてしまう翻訳者側の空気感にも違和感を覚えました。
また、同業者のSNS等を拝見していて「映像翻訳は天職」「何があっても(レートがどんなに下がっても)絶対にやめない」というふうに言っている方を見かける度に、違和感が募ってしまうと同時に、自分はそこまでの情熱を持てないと思ってしまいました。


それでもやってよかった

結果として、翻訳と距離を置くことにしましたが、やってみたことは全く後悔していません。むしろ、行動したことで、気が付けたことがたくさんあり、挑戦してよかったなと心から思っています。

翻訳者として仕事をするという一種の夢が実現できたことで、これまで、誰に言われるとかではなく漠然と思っていた「何かを成し遂げたい、形にしなきゃ」という思いから、いったん自分を解放できたと感じました。

もし挑戦してなかったら、おそらく数年後も「翻訳ってどうなんだろう。楽しいかも、自分にもできるかな…」などとぼんやり妄想してるだけで進歩しなかったと思います。なので、自分にとっては通るべき道だったように思います。

キャリアについての悩みはまだありますが、これからは、仕事という形にことらわれず、好きなことを楽しくやっていくということも大切にしたいなと思いました。

最後までお読み頂き本当にありがとうございました。




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