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創作に悩んだ時、不遇の時に読みたい『風姿花伝』

大きい出来事でも、小さい出来事でも、人生は何が起きるか分からない。

古典なんて自分の生活に無関係で古臭いものだと思っていたはずなのに、今や私の愛読書になっている。歴史の勉強なんて一生しないと思ったのに、今は学んだことを鼻息荒く旦那さんに話している。

こんな風に?人の心は日々、変わっていく。能楽のスーパースター世阿弥が書いた『風姿花伝』で、創作に悩んだ時や不遇な時をどう越えていくかのヒントを得たような気がする。

※読んでくれた誰かに興味を持ってもらえるように、個人的な感想や解釈で楽しく書いています。

『風姿花伝』は現代だと、役者としてどう生きるのかを綴ったハウツー本みたい。役者だけでなく、創作や表現をする人なら共感できる内容とも思う。心に残った言葉を厳選するのが難しい。でも世阿弥が伝えたかったことはひとつ、な気がする。

慢心せず、地道に頑張ることが、心と物事の成長のコツ。

正解は世阿弥にしか分からないけど、私はそう感じ取った。この本を読んで一番驚いたのは、「初心忘るべからず」の本来の意味。人生の試練の時に、どうやってそれを乗り越えたのかの経験を忘れてはいけない。自分の未熟さを受け入れながら、新しいことに挑戦する心構え。

◆この本で素敵と思った単語

  • 幽玄ゆうげん→言葉で言い表せないような、目には見えないけど、心の奥で感じる「美」

  • 花→能でいうと「見どころ」、芸でいうと心から心へ「伝授」、人でいうと「魅力」

◆心に残った言葉

一つ一つの基礎的な技を丁寧に稽古することが肝心である。すなわち、動作を確実にし、謡いは発音を正しく明瞭にするように心がけ、舞いも一つ一つの所作をきちんと守って、大事に大事に稽古しなくてはいけない。

これはお稽古だけでなく、何にでも言えることだと思った。何かを学ぶ時には基礎が大事だと言われるし、学ばされる。「論語」でも似たような言葉がある。

王道といわれる道も学んでもいないのに、裏の道や別の道を専攻することは、害にしかならない。

『論語』より

基礎力をしっかりつけて、力を蓄えることだと説いている。基礎は退屈、面倒。早くステップアップできたらいいのにと思う。でも彼らの言葉では、基礎をしっかり身につけてこそ、土台が安定していくとのこと。

「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり。」
どんな妙チクリンな芸風の下手くそであろうとも、そのなかに少しでも良いところがあると見たらば、上手もこれを学ぶが良い。

良いところを見つけたとしても「自分より下手な奴の真似などできるものか」などというウヌボレがあったならば、その心に縛られて結句自分の欠点もまた、おそらくは認識できずに終るであろう。これがすなわち、芸を窮められない者の心がけである。

人間の能力というものは、「俺はこの程度だ」と自分で 諦めをつけたら、もうそこでおしまい。しかもそういう小さな自我に 跼蹐きょくせき している人は、かえってやせ我慢して他者から学ぼうともしないし、また他者を認めるということがない。しかも劣等感の裏返しか、目下のものに対して威張ったり出し惜しみをしたりする。

跼蹐…恐れてびくびくしている。窮屈、狭い。

う、反省。私は文章を書いているとたまに、自分より下の人を探して安堵したり、上の人を見つけて「うまい」を認めなかったりしてしまう。そうやって自分が成長する機会を自分でダメにしているんだな。

私の旦那さんも「嫉妬するってことは、その人の能力を認めているんやで」と言う。嫉妬の感情のコントロールは難しい。正しく物事が見えなくなってしまう。でも旦那さんや世阿弥の言う通り。

人と比べて自分の能力を限定するのは、成長の妨げになる。嫉妬と向き合いながら、昨日や去年の自分と比較していきたい。

本の感想はここまで。

以下からは、世阿弥の栄光から転落について。良いことを言った人の背景や過去を調べると、名言の説得力や重みが違ってくるから、個人的に書いておきたかった。

◆スーパースターの栄光から転落

どんなに人気者でも、人生は何が起きるか分からない。だからこそ謙虚に、今できる限りの努力をしよう、と世阿弥に言われている気分。

私は作品や歴史上の人物の苦労を知って好きになることが多い。偉い人も、自分と同じようなことで悩むと分かれば親近感が湧くし、挫けずに頑張ろうと思えるからだ。

スーパースターの父親、観阿弥の息子として生まれた世阿弥。今ならジャニーズや韓国アイドルにも入れそうなほど美男子だったらしい。スーパースターとなってチヤホヤされた時期もあり、このまま順風満帆にキラキラした人生…かと思いきや、輝きを失っていく。

当時の言葉で分かりにくいこともあるから、「芸能界」の例えで話してみよう。当時日本一だった足利芸能事務所。世阿弥は12歳の頃、足利義満社長の前で華麗な舞を披露。

足利義満社長に好かれた世阿弥の芸能活動は順調だった。世阿弥が22歳の時に父の観阿弥が亡くなり、31歳の時に息子元雅が誕生。38歳の時に「風姿花伝」を書いた。

世阿弥は元雅に能を教え、足利事務所に紹介したけど…

厳しい世界だ。世阿弥はそれでも他の「座」を恨むことなく、新人の舞の美しさを認めていたんだとか。

世阿弥60歳の時に、隠居を決定する。「風姿花伝」にもあったけど、老いたものは引き際が肝心だと思ったそうだ。「座」を息子の元雅に任せる。

66歳の時に「座」の仕事をもらおうと、事務所へ行くと…

塩対応にも程がある。でも諦めず、事務所やライバルを恨まずに、自分ができることをやろうとする世阿弥。

70歳の時、息子の元雅が突然死する。その2年後、世阿弥に追い打ちをかけるかのように辛い出来事が起きた。

実際は流刑になるけど、そうなった理由はよく分かっていないそう。世阿弥の「座」が有名すぎて目障りだったのか、はたまた足利社長の気分だったのか、想像することしかできない。

流刑になった人は身の回りの家財道具も没収されて、必要最低限のものしか持っていけないらしい。その持ち物も全部チェックされる。友人や家族とも会えなくなる。「犯罪者」だから流された土地では忌み嫌われ、食べるものや寝る場所も貧素なんだとか。

流刑後の世阿弥の生活は謎のまま。彼がそんな目に遭っていないことを願うばかり。心穏やかに過ごせていたらいいな。

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