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僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.3

2018年11月16日

二日目(ルクラ ~パクディン)

■トレッキング

いよいよ僕のエベレスト街道が始まった。

今日の行程は、標高2850mのルクラ(Lukla)から、標高2610mのパクディン(Phakding)まで三時間ほどかけて歩く。天気は晴れやや曇りで、気温もそこまで高くない。足慣らしにはうってつけの日だ。

ルクラの宿場街を抜けて、村の外れの門をくぐるとその先から山歩きが始まる。町外れには大きなマニ車が並んでいた。僕は旅の無事を祈りながら、ゆっくりとそのマニ車を回した。

※【マニ車とは】チベット仏教における仏具の事で、チベット語ではマニコロ(マニ=宝珠、コロ=チャクラ)と呼ぶ。円筒形で、その周りにマントラ(真言)が書かれ、内部には経文が納められている。このマニ車を時計回りに回すと、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があると言われる。識字率が低く、経を読めない人々のために作られたと言う由来があるそうだ。

山を下ったり登ったりしながら、いくつも集落を越えていく。たくさんのトレッカーで賑わう道はシェルパ族の生活道路でもあるため、何人ものポーターが荷物や食材を運んで歩いていた。荷運びするのは人間だけじゃない。馬やゾッキョ(ヤクと牛の交配種)もまた、列を成して荷を上げた。彼らの体はとても大きく、ぶつけられたら一気に谷底へ落ちかねない。そのため僕達は彼らの着けた鈴の音が聞こえる度に立ち止まり、身を壁に寄せてやり過ごさなければならなかった。

重い荷物を持ったポーターは基本的には下を向いて荷運びしていたから、なかなか言葉を交わす機会が無かったが(彼等は仕事中だし)、時折農作業をする女性などは挨拶を交わした。

「ナマステ」

そう言って手を合わせて声をかけると、皆にっこりと笑って「ナマステ」と返してくれた。谷間の集落は、どこも日々生活する東京とは比べ物にならないほど穏やかで、緩やかに時が流れるようだった。

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ストゥーパ(仏塔)はそこらじゅうに建っていた。マニ車を回し、岩に書かれたマンダラに触れるとシェルパ民族の文化や信仰に触れた気持ちになる。道は、人々の信仰によって今日まで保たれている。文化や想いの形そのものだった。

■パクディンへ

「あの川は、ドゥッコシって言うんだよ」

サハデが教えてくれたその川は、水流によってしぶきがあがり、白く濁ったように見えた。ドゥッコシは英訳すると【Milk River】なのだそうだ。この川は遡ってゴーキョ(Gokyo)まで続いている。つまり僕達はまず、最初の目的地のまでこの川に沿って歩いていくことになる。

エベレスト街道を歩くシェルパの多くは口にマスクをするか、バンダナを巻いて歩いている。これには理由があって、往来の激しい道だから砂埃が舞う。その砂埃に動物が撒き散らした糞尿が乾燥して混じるらしく、それを吸ってしまわないためなのだそうだ。サハデはこれを吸い込むと咳が止まらなくなるから気を付けろと教えてくれた。

山道で咳が止まらず呼吸がしづらくなるなんて考えただけで辛すぎる…気を付けよう。

ルクラを出て予定通り三時間で僕達はパクディンに到着した。明日向かうナムチェバザール(Namche Bazar)との、丁度中間地点になるだろうか。ドゥッコシ川に沿って何軒か宿が建ち並ぶ、静かな集落の一角に僕達は宿を取った。

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かなり早く到着したようで、ロッジには殆ど人がいなかった。僕達は部屋に荷物を置き、少し遅めの昼食とコーヒーで休憩を取ることにした。

「シャワーも浴びられるよ」と勧められたが、遠慮しておいた。それほど汗はかいていなかったし、山の中で水浴びをすることがどれ程の苦行か僕は知っていたから。ぼちぼち日も暮れるだろう山中でいくら温水を浴びても、冷たい空気がすぐに体温を奪っていってしまうのだ。ましてここは山間の集落だから、日も当たりにくかった。

それはかつてランタン谷のキャンジンゴンパで学んだことでもあった。あの辛さは絶対に忘れない。

【水浴びは日の出ているうちに】が鉄則なのだ。

■歩いたあとの過ごし方

基本的に目的地に到着後にすることは無い。「することは無い」と言うのは、裏を返せば「何をしていてもOK」と言うことだ。(ただし、良識の範囲内で)

山では娯楽施設もないから、本当にのんびりしていられる。俗世から切り離された様な感覚が好きだ。僕にとって、都会には誘惑が多すぎる。

その日の午後、夕食までは辺りを散歩して過ごした。明日通る予定の道を歩いてみる。吊り橋を渡ってドゥッコシ川を越えると、一匹の犬が付いてきた。

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よほど人に慣れているのか一向に逃げる気配がない。どこかの飼い犬なんだろうか。エベレスト街道の道中、こうした人懐っこい犬はたくさん出会える。中には、先頭に立って道案内してくれる子もいるから可愛くて仕方ない。衛生面でリスキーなところもあるが、犬好きな僕としてはやっぱり撫でてあげずにはいられない。

その場にいるのは僕と犬だけだった。ゴウゴウと川の流れる音が谷にこだまする。僕は居心地のよさを感じてしまい、結局日が暮れるまで犬と遊んで過ごした。

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■Hard but not impossible

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夕食にダルバートを食べていると、壁に掛かった地図に目が留まった。エベレスト街道が描かれた地図には、短くメッセージが書かれていた。

「Hard but not impossible」

凄く心地よく心に響く言葉だった。恐らくそれは励ましの言葉だったが、決して頑張ることを強制する言葉ではなかった。

「頑張れ」でもなく、「君なら出来る」でもない。

「厳しいけど、出来ないことじゃないさ」

そのくらいのニュアンスで僕は受け取った。先に待つ道は険しいが、出来ないほどのことじゃない。それをするかどうかは君に任せる。そんな投げ掛けるような三年前に書かれたメッセージは、三年の時を経て僕が受け取った。それを書いた人が今どこで何をしているか知る由もないが、その言葉に励まされたのは間違いない。

食後にジンジャーティーを飲み、夜九時にはベッドに入ることにした。ジンジャーティーにはかなり砂糖を入れて飲む。しっかり糖分をとっておこうと思ったからだ。

明日から標高が上がっていくのか。

今いる集落が2600mで、最終的に5000mを超えるところまで歩くなんて、これまでの経験にない。体は休められるうちに休めておこうと思った。

ロッジの中は静かだった。僕は目を瞑った。

建物の壁を隔てたからだろうか。実際の距離よりもずーっと遠くに感じたが、ドゥッコシは変わらずゴウゴウと音を立てていた。

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