クラブの歴史からエンタメを考える#2
前回の記事ではほんのさわりしか紹介できなかったので今回は頑張ります!!無駄な前置きはさておき、さっそく行ってみましょー!
この辺からは僕にトラックメイク教えてくださったCOLDFEETのwatusiさんの記事やその他の参考文献を交えて自分なりの言葉で話していきます。
1960年代、ニューヨーク-現代スタイルのDJの誕生
いろんな文献を見ると諸説あってややこしかったので、今のクラブのスタイルに繋がる、ダンスフロア・DJデッキのあるナイトクラブができたのは1965年5月にできた「Arthur」だといわれています。
それまでのディスコに置かれていた設備はターンテーブル1台のみ。レコードの再生が終わると、次のディスクに入れ替えて再生するまで必ず無音の時間が発生するのが当たり前でした。いい感じで踊ってたのに音が止まっちゃうとやっぱ興ざめしちゃいますね。。あー、曲終わっちゃった。しーん。まーしょうがないか。。
「いや、しょうがなくなくね?ターンテーブル2台使っちゃおうよ」
それなーーーー!!!!
1曲目の後奏がフェードアウトしていく中、2曲目のイントロが鳴り出した瞬間、Arthur大熱狂。
テキーラぽんぽん🍾
NYのDJの間で瞬く間にこのスタイルが広まり、今では当たり前になった一晩中音が鳴り止まないナイトクラブはここから始まったのです。
抑圧との戦いの1960's
1960年代後半のアメリカは、まだ人種や性的マイノリティに対する差別偏見がとても激しかった頃です。また、ヒッピー、サイケデリックのムーブメントからドラッグの蔓延→取り締まりの強化と社会の価値観も変わろうとしている変遷期でもありました。
不当な差別を受け、日々の暮らしにフラストレーションを抱えていたのはアフリカ系アメリカ人、そしてセクシャルマイノリティー。同じ境遇を持つ者同士を結びつけたのは音楽であり、ディスコでした。
当時のディスコで流行っていた音楽は僕らが思い浮かべるような四つ打ちのサウンドではなく、
ファンクやソウルが中心。こういうの爆音で聴けるクラブも盛り上がりそう!ゲロッパ!!
ディスコからヒットが生まれる1970’s
キャパ700〜1000人くらいのいわゆるオオバコのディスコが有名だったそれまでと違い、小さなクラブで会員制の少人数パーティーも賑わいをみせる70年代。10代の未成年の天才DJが何人も現れたり、DJ達のスキルやセンスもどんどん成熟していきます。
DJってミックス(曲をつなぐ)ことももちろんですが選曲のセンスも問われます。特に「人々が知らない曲で踊らせる」これが凄腕DJの魅力。
とはいえ、そのかけるための楽曲がなかったらどうにもならんです。
ディスコ人気の高まりとともに機材もグッと進歩し、DJ達自身が人気者になっていく。そこに目をつけたのは一部の先見の明を持ったレコード会社のA&Rたちでした。
A&R「DJ達に新曲をプロモーションしてもらおう!」
DJ「アガる曲もっと欲しいわー」
両者の利害が一致。60年代のソウルミュージックがより進化していき、ディスコのヘヴィローテーションでヒットします。
これとか。代表的な曲の一つ。ゆったり、だけど身体を揺らされるビート。つーかみんな楽しそー!!こうしてヒットを積み重ね、1974年、ついに
ディスコでヘヴィローテーションされた音楽が全米1位を獲得します。そして!「ディスコミュージック起源の曲」と言われる2曲が誕生します。
ファンキーでセクシー。そして何より多幸感。歌詞わからないけどなんかめっちゃいい感じ!(雑)
ここからディスコミュージックが一気にオーバーグラウンドに現れていきます。ディスコを飛び出してライブを開催したり、ダンサー達のファッションやヘアスタイルが流行の最先端を走るようになります。
NYは大小170を超える「ディスコ」と冠した店が現れるようになり、もうバブル状態。中にはピザ屋のテーブルをちょっとどかしてダンスゾーンを設けただけみたいな店まで現れます。もうどれが本当のディスコなんだかわからないカオス。。70年代はまだまだいろんなことが起こります。1977年。
そう。サタデー・ナイト・フィーバー。ディスコカルチャーがついに映画にまでなったのです。もう、ディスコ無双。ディスコカルチャーが全世界に広がることになりました。
今この時代のエンターテインメントと未来
今のクラブシーンへとつながるディスコ。誕生そのものが抑圧・不安・恐怖からの解放でした。初めは取り締まりを受けたりしながらも、DJという新しい音楽表現の形を生み出し、50年以上も人々を魅了してきました。
思えば自分も20代、将来に何の希望も持てなくて半ば自暴自棄になってた頃、真夜中にふらっと寄った(もうその時点で結構やべー状態ですが)大きなクラブが何か知らないけどすごく楽しかった(飲み過ぎて覚えてない)。
悲しみ・寂しさ・喪失感、いろんなマイナスの感情を一旦忘れてリセットさせてくれるというのはこういった歴史の上に成り立っているものだったからなのかなぁって思ったりもしました。
辛いときはお酒飲んで爆音で朝まで踊ってればなんとかなります(暴論)
そして今のクラブがあるのも先人達の危機を乗り越える奇想天外なアイディアと冒険心のおかげでもあります。感謝。そしてリスペクト。
このコロナ禍でエンタメ業界が危機に瀕しています。こんな時こそ新しいエンタメを作り出せるチャンスがきているのではないか。まがりなりにもエンタメ業界の片隅で仕事をさせていただいてる身として、たとえ小さくとも新しい何かを生み出すお手伝いができたら、と思っている昨今です。
ご精読ありがとうございました。
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