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クラブの歴史からエンタメを考える#1

パリピなんですか?違います。ウェイウェイしません。どっちかというと陰キャです。ほんとです。ただ、

テキーラのむ?

くらいは言います。それだけです。

30歳を過ぎてDJを始める前からクラブは好きで一人で通ったりしてました。単純にクラブミュージックが大好きで、お酒を飲みながら爆音で浴びるハウスやテクノは日々の嫌な事を忘れさせてくれる。死にたがりな20代の僕には天国でした(死んでません)。

そんなお世話になりっぱなしのクラブ、そもそも一体どういう成り立ちで興った場所なのか。DJもしててトラックメイクまでしてるのに、知らないのもアレだなと思って調べました。

そしたら、今この時代に通ずるものもあったりとても面白かったので、ぎゅっと短縮してクラブの創成期の歴史を簡単に紹介していきます。

はじまりはフランス

1940年代、フランス。時に第二次世界大戦の真っ只中。フランスはドイツに占領されてしまいます。当時の社交場といえばビッグバンドが生演奏しそれに合わせて踊る、というスタイル。ドイツ軍はその踊り場や集いを一切禁止します。

それでも、というかそんな状況だからこそ、フランスの人達は踊りたかった。ドイツに占領されてこの先どうなるかわかんないけど、好きな音楽で踊って一瞬でも楽しい時間を過ごしたい。でもバンド呼んだら絶対バレるよね。さっと逃げらんないよね。どうする?

蓄音機

「レコードかけて踊っちゃわない?」

それなーーーー!!!!

そして深夜、こっそり秘密の場所でレコードを持ち寄り集まって踊ってたわけです。これがレコード、つまり「ディスク」に合わせて踊る「ディスコティーク」(のちのディスコ)の誕生です。

抑圧された状況下、不安と恐怖に晒された人々が考え出したエンターテインメントだったのです。

「ディスコ」「クラブ」何が違う?

ここでちょっと話は逸れますが。「ディスコ」と「クラブ」って何が違うの?DJがいて、音楽が流れて、お酒を飲んで、フロアで踊る…一緒やん!!

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僕たちが子供の頃(1980年代)いわゆるバブル期は「クラブ」なんて呼び方はなくて「ディスコ」が一般的でした。今は「ディスコ」って言わないよね。

実はね、違うんです。厳密に言ったら色々ありますがWikipediaのページも参考にざっくり法律的に言うと

ディスコ:日本の法律、風営法において「風俗営業」となり、ナイトクラブその他設備を設けて客にダンスをさせ、飲食をさせる営業。営業時間は日の出から24時(一部は25時まで)まで

クラブ飲食店として登録(喫茶店やバーと一緒)。お店とは別にイベントのオーガナイザー(主催者)が店のスペースを借りてイベントを運営する。お店側はあくまでオーガナイザーにスペースを貸してドリンクを提供するだけ。最終的に何かあったら主催者の責任。終夜営業可能。

クラブではあくまでお客さんにダンスさせちゃだめなのね。

実はこの風営法、数年前に改正されたものなんだけど、当時僕も小さなクラブでオーガナイザーをやらせてもらっててとてもヒヤヒヤしてました。クラブなのに踊っちゃダメってどう言うことだよ違反したら摘発されるし怖すぎるよ。。おかげで当時ゆったりラウンジ系とかビートが激しくないものを慎重に選んでました。。

この時期たくさんのクラブが摘発され、ディスコも文化の衰退と法改正の合わせ技で姿を消していくことになりました。

戦後のディスコの流行

話を元に戻して。フランスで起こったディスコティークのムーブメントは大戦後まず、パリでラ・ディスコティークと言うお店が出現し定着していきます。

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その後、ディスコとして一大ムーブメントとなるのは60年代ニューヨーク。ちょっと時間は飛びますがこの歴史もまた面白い。続きは次回。

ご精読ありがとうございました!!

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