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対話から始まるダイバーシティ&インクルージョン~【志村 真介・季世恵×荻原 英人 対談】

はたらく人と職場にまつわる領域の最前線のリーダーの方と、これからの「はたらくをよくする®」をディスカッションする対談企画。

暗闇空間に入り、視覚障がい者の案内のもとで様々な体験をしながら対話を楽しむソーシャルエンターテイメント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を、1999年から日本に導入して展開してきたダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表の志村真介氏と一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事の志村季世恵氏のお二人と、「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」をテーマに対談しました。
(※対談はパラリンピック開会式の8/24にオンラインで行われました。)

ソーシャルエンターテインメントで体験するダイバーシティ

荻原:
まず最初に、ダイアログ・ジャパン・ソサエティさんのミッションと活動内容について伺えますか?

志村 真介:
はじめに、ダイアログのプロジェクトについて簡単にご説明します。ダイアログ・イン・ザ・ダークは、1988年にドイツで立ち上がりました。東西ドイツという違う文化の間にあったベルリンの壁が崩壊した時代です。私たちは、目に見えない心の壁を個人個人で持っていると思います。東西ドイツのリアルな壁が崩壊すると同時に始まったダイアログは、それぞれの立場や概念の違いによって強固に作られてしまっている人間同士の壁を溶かしていくことをミッションとしています。

今、世の中は多様性を受け入れるという段階に入っていると思うんです。ダイアログの一番大きなミッションは、多様性や個々の違いを超えた先に見える世界を体験することによって、感覚的にその世界を理解してもらうこと、そしてその種を多くの人々に渡していくことです。男女・年齢・障がいの有無・国籍の違いなどを越えて多様性を理解するために、それぞれの立場の方々が対等に出会える場所として、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)、ダイアログ・イン・サイレンス(DIS)、ダイアログ・ウィズ・タイム(DWT)のプログラムを展開しています。

荻原:
それぞれどのようなプログラムですか?

志村 真介:
ダイアログ・イン・ザ・ダークは暗闇の中を視覚障がい者が、ダイアログ・イン・サイレンスは静けさの中で聴覚障がい者が、それぞれの世界を案内します。ダイアログ・ウィズ・タイムは、75歳以上の後期高齢者とともに、人生経験を共有し、世代を超えた対話により、自らのこれからを考えるきっかけを生み出します。彼らとの出会いと対話を通して、参加者のアンコンシャスバイアスをポジティブにひっくり返していくプログラムです。

日本社会の中で、人同士の関りが薄くなってきているように思います。たとえば街を歩いていると、信号を渡りたそうな視覚障害者や、階段ばかりの駅でベビーカーを押しているお母さん、あるいは重そうに荷物を抱えている年配の方とか、困っている人っていると思うんですけど、声をかけたくても「びっくりされたらどうしよう」と考えてしまって行動に移せないこともあると思います。

荻原:
たしかに、相手の気持ちを慮りすぎて。どうやってアクションしたら良いか悩んでしまう場面はありますね。

志村 真介:
これまで関わってきたことがない相手だから、迷いや不安が生じてしまう事もあると思うんです。でもダイアログの3つのプログラムを介して、障がい者やお年寄りに出会う経験をしていたら、普段の生活の中でも「何かお手伝いできることありますか」と声をかけるハードルも低くなる。自然な関係性に変化していくと思っています。

荻原:
相手がどんな立場であっても、あまり気負わずに自然と挨拶を交わし合えるような文化が醸成されたら、もっと信頼関係のある社会になりますよね。

志村 真介:
そうですね。現在、障がい者と高齢者を合わせると日本の人口の3分の1になります。世界人口の15%が障がい者なのですが、日本の場合は3分の1がいわゆるボーナブル(Vulnerable : 脆弱な状態にある)な人たちです。ダイアログは、そういった人たちだからこそできる仕事、活躍できる場所を作っていきたいと思っています。みんなが均一に同じことをする社会ではなくて、それぞれの個性を活かし関係し合いながら、よりよい豊かな社会の一翼を担うことが私たちの大きなミッションです。

障がいの福祉的体験ができるプログラムはよくありますが、ダイアログはソーシャルエンターテイメントです。参加者の方々も障がい者のアテンドもフラットに、楽しみながら、お互いのことを知って友達になり、その人の立場で物事を考えてみたり、…そうしたらその人ともっと話してみたいと思える。体験後に、自分自身や人との関係性に、何か変化がうまれるエンターテイメントでありたいと強く思っています。

荻原:
”ソーシャルエンターテインメント”として、ダイアログのプログラムを体験後、参加者の行動変容に繋がる構成になっているんですね。

志村 真介:
季世恵がよく言うのですが、ダイアログはイソップの「北風と太陽」の太陽でありたいんです。

志村 季世恵:
みなさまご存知かと思いますが、旅人のコートを脱がせるために、北風と太陽が競争する有名なお話です。北風が冷風でコートを吹き飛ばそうとしても、旅人は寒くてコートが脱げないようにしっかり押さえてしまう。ところが、太陽が暖かい日差しを向けると旅人が自分から自然にコートを脱ぐ。私たちは障がい者が苦労しいて辛いだろうなど、社会的な立場を悲観したり同情するのではなく、参加者の方が楽しい気持ちで自然に取り組めるものを目指しています。

志村 真介:
DISの体験後に、聴覚障がい者のアテンドともっと話してみたいからと、手話を勉強する方が多いんです。

荻原:
そうやって、今まで触れたことのなかった人と積極的に関わっていこうと気持ちを向けていくことがダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)の入口ですよね。

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ダイアログ・イン・ザ・ダークを日本に誘致

荻原:
ところで、志村さんはどんなきっかけでダイアログ・イン・ザ・ダークの活動を日本で始められたのですか?

志村 真介:
ダイアログとの出会いは、1993年の日経新聞の海外トピックスという本当に小さな囲み記事でした。当時はインターネットもなかったので、それぞれの国に駐在している特派員がその国で面白かったことや先進的なことを記事にしていたんです。偶然読んだ「ウィーンの博物館で闇の世界体験」という記事がとても衝撃的でした。記事は博物館は何かを見せる場所なのに真っ暗にして何も見せずに、暗闇の中で体験するプログラムだというんですから、どういうことなんだろう?と・・・

詳しく調べていくうちに、発案者のアンドレアス・ハイネッケが、このプログラムを世界中に展開しようとしていることを知り、これはすごいぞと思ったんですね。当時、私はマーケティングの仕事をしていたので、目に見える物質的なものごとに価値を置いていました。ですが、人同士の関係性のように見えないものを付加価値にして、ヨーロッパの人々は自分のお金と時間を使って体験して楽しまれているんだということに本当にびっくりしました。日経新聞に電話をして連絡先を知り、友達に英語の文章をドイツ語に訳してもらって、発案者に手紙を書いたんです。その頃はまだバブルの後期だったこともあり、自分が得するとか自分の企業が有意になることを中心に考える傾向が世の中にあったのですが、消費が一巡すると物ではなくて人との関係性を豊かにすることに行きつくのかもしれないとダイアログの記事を読んで思いました。

荻原:
お仕事としてではなく、志村さん個人の活動として注目し、取り組みたいと思われたのですか?

志村 真介:
そうですね。1993年当時、皆にこれ面白いよって伝えても、なかなか分かってもらえず、唯一共感してくれたのが隣にいる志村季世恵です。個人の得ではないことが今後当たり前になる社会が来るだろうから「これはすごいぞ、頑張ってやってみたい」と思って行動を起こしました。

荻原:
その当時、日本に無かった概念を始められるのは、ご苦労も多かったのではないですか?

志村 真介:
そうですね。DIDを日本で実施するにはいくつもの壁がありました。ますは、消防法の関係で漆黒の暗闇を作れないだとか、視覚障がい者が健常者を助けるというイメージが伝わらないとか。
暗闇の中に入ると、人にはどんな気持ちの変化があるんだろうか、ということが自分にはわからなかったので、季世恵に協力してもらいました。

季世恵は、当時からカウンセリングやホスピスなどを続けていたので、そういう思いと経験のある人と日本のダイアログを立ち上げて広めていきたいと思ったんです。そうは言っても、まだ自分も体験していなかったので発言に説得力がなく、1995年に初めてDIDをローマで体験したんです。いざ会場に入ってみると真っ暗なんですよね、当たり前なんですけど。こんなに暗いのかと思って関心していたら、そこで話されている言語がイタリア語だったので、暗闇の中で迷子になってしまったんです。そんな私を助けてくれたスタッフがいたので、「暗視ゴーグルをつけたスタッフが助けてくれるサービスまであるんだ。助かった!」と思ったんですけど、暗闇を出てみるとその方は全盲だったんです。

頭で理解するのと体験するのはこんなにも違うのかと思いました。それから1999年に日本に初めて誘致して、ビックサイトで2日間だけ実施することができました。その後、10年間短期のイベントとしてやっていたのですが、その頃は本業は別の仕事で、ダイアログはボランティアとしてやっていました。アテンドには給与を支払っていましたが、他のスタッフはすべてボランティアでした。短期のイベントなので、終わってしまうと障がい者のアテンドたちは仕事がなくなってしまうんです。優秀なアテンドたちが社会参加する場を保ちたい、ヨーロッパのような常設施設を作ればずっと雇用できるという思いで東京・外苑前に常設展を作りました。それからは、元の仕事は辞めてダイアログに専念しています。

荻原:
ご自身で体験されてから、実際に誘致して日本のダイアログをつくりあげた・・・素晴らしい行動力ですね。学びを深めるために特にこだわっておられるポイントはありますか?

志村 真介:
学ぶ方法はいろいろありますが、哲学者のマルティン・ブーバーが提唱している遭遇することによって、刺激されインスパイアされお互いが成長していくことを実現するために、「暗闇=お互いが目を使ってない空間」のように、障がい者のアテンドたちと参加者の方々が対等に出会える空間をつくってます。

企業で働く人が体験することによって起きる変化

荻原:
ダイアログのプログラムは、企業向けにも実施していらっしゃいますが、企業ではたらく人が体験することによって、どのような効果が期待できますか?

志村 真介:
企業研修として参加されたお客様からは、「自分や他者に対する先入観に気づいた」とか、「アンコンシャスバイアスを自覚したから今後の行動を変えていきたい」といった、気づきや変化の声をたくさんいただいています。

DIDは、助け合わなければ1歩も前に進めないので、そこでの経験をもとに対話することによって個人も成長しますし、チームも成長するんです。人を信頼できるということに気づいたり、助け合おうとか協力しようという気持ちが高まってくる。ダイアログのプログラムを通して、文化・価値観・立場の違いによる壁が溶けていきます。

荻原:
ダイアログのプログラムはチームビルディングにとって興味深いアプローチだと思います。対話から生まれる信頼関係によってチーム力が上がれば、生産性も向上しますよね。

志村 真介:
D&Iからイノベーションが生まれることも大いに期待できます。

荻原:
わたしもダイアログのプログラムに参加させていただいて、学びや気づきがたくさんありました。日本でも徐々にD&Iの取り組みが進んでいますが、日本の環境や企業の中にいると、どうしても似たような立場で同じような考え方の人たちが集まりがちで、それが前提の日常だとなかなか障がい者の方と会話をしたり、一緒に何かをつくりあげる経験ができないですよね。ダイアログのプログラムで、視覚障がい者のアテンドの方と一緒にワークを進める中で、まさに対話しながら助けあわないと1歩も進めないと体感して、対話や一緒に協力してものをつくりあげることで醸成される信頼関係が、他者との相互理解やD&Iのキーワードなんだと、体験の中で学ぶことができました。

オンライン研修の様子

21-09-03_ダイアログ体験会



パラリンピックの意義

荻原:
ちょうど今、東京2020パラリンピックが開催されています。ダイアログのアテンドの方が前回のパラリンピック開会式に出演したり、マラソンランナーとしても出場されているとお聞きしました。改めて、パラリンピックの意義について、志村さんのご意見を聞かせください。

志村 真介:
オリンピックもパラリンピックも、自分の可能性を信じて探求し続ける人の美しさを見る機会としてかけがえのないものだと思います。日本では、どうしても障がい者を「見てはいけない」とか「どうやって接したら良いのかわからない」という感覚で避けてしまう傾向が根強かったですよね。東京パラリンピック2020は、NHKだけでなく民放でも放送されます。この意義は大きくて、テレビを通してたくさんの人がパラアスリートの姿を見ることで、考え方や感情に変化が生まれると思います。パラリンピックは、D&Iの社会に向けた触媒的な役割を示していると思います。

ただ、パラリンピックの時期だけCMにもたくさんのパラアスリートが出てきたり、開催期間中は目に触れても、その後尻つぼみになるのはもったいないので、これを機会に加速しなければいけません。ダイアログはパラリンピックが終わった後、より一層力を入れて活動を続けていきます。ダイアログミュージアムはコロナ禍で1周年を迎えました。2030年のSDGsのゴール目標の頃には、更に進化して一般の方々も企業の方々もダイアログミュージアムで遊びながら、いろんなことに気づいていくチャンスを提供し続けていきたいです。

日本を取り巻くダイバーシティ&インクルージョン~社会や企業の変化~

荻原:
これまで20年以上のご活動の中で、日本を取り巻くD&Iについて、社会や企業の変化をどう見ていらっしゃいますか?

志村 真介:
この20年で急速に環境やハードは変化したと思います。ミライロの垣内さんもおっしゃっていましたが、日本はダイバーシティが遅れていると言われるけれど、ハードに関しては完全に世界のトップレベルです。 点字ブロックも日本の岡山県で発明されて海外に普及しています。日本ではどの駅に行ってもどの街に行っても点字ブロックがたくさんある。エレベーターに乗ると音声で階数を教えてくれる。点字もあらゆる所に設置してあります。それにもかかわらず、街に視覚障がい者がいない。ダイアログの発案者のハイネッケたちがドイツからやってきた時、こんなにハードが完璧なのに街に障がい者がいないのはどういう事なのか?信じられない!と言っていました。

ハードは整っているので、声を掛け合いお互いが協力する文化をつくっていくという次のフェーズに移行していかないと、グローバルスタンダードにはなりません。コロナの前はアテンドたちは海外によく行っていたのですが、海外にいた方が自由で楽しいと言うんです。日本語は通じないし、点字ブロックも無いのに何故なんだろう?と思って、どうしてか聞いてみると、困っていると誰かが必ず声をかけてくれるそうなんです。

志村 季世恵:
困ってなくても、横断歩道を渡るときには「一緒に行こうぜ」とカジュアルにお友達のような感じで声かけてくれる。大丈夫そうだなと思うと放っておいてもくれる。その辺のバランスがとても上手。それは恐らく普段から自分たちのような人を見ているからなんだろうねってアテンド達が言っています。先ほど真介がお伝えしたような、日本の「見てはいけない」文化とは違って、人と関わることを大切にしている国の人たちなんだと海外では感じるので、それを自分たちも日本の社会に広めていきたいと思っています。

荻原:
日本では、人同士の距離感、確かに全然違いますよね。

志村 季世恵:
私たちが旅行していてもそうですもんね。日本にもそういう文化があったらいいなと思います。

志村 真介:
ハード面は世界に比べてかなり整ってはいるものの、普段私たちがあまり気づいてないこともまだまだあります。たとえば、ダイアログのアテンド達は最寄りの浜松町駅からダイアログ・ミュージアムまでひとりで歩いて来るのですが、途中、6車線もある大きな道路を目を使わないで歩いてくるわけです。音付きの信号機がかろうじてありますが、道路の上には高速道路が走っており、音を聞き分けるのは至難の業です。

加えて、日本の信号機は20万機ぐらいあるらしいのですが、音付きの信号機は10%未満。そのうち、音が出ることを制限しているものは85%にのぼるそうです。地域の住民の方からの「騒音」苦情があると夜間は音を止めることが優先されることもあります。もちろん誰もが良い住環境で過ごしてほしいと思いますが、夜は人通りも少ないので信号機の音が止められてしまうと視覚障がい者はとても困ってしまいます。
[参考:DIDアテンドスタッフ「シガ」さんデビューの様子の紹介動画

普段の生活の中で気づきにくい、いろいろな立場を想像する力をどうやって自分以外に広げていくか大切だと思いますので、ダイアログは、個人向けにも企業向けにもプログラムを提供し続けようと思っています。

荻原:
企業における障がい者採用はどのような状況ですか?

志村 真介:
20年前、障がい者が企業の人事部に連絡しても門前払いだったケースは数多くありましたが、今は拒否されることは減ってきていると思います。ただ、拒否はされないものの、入社してもうまくいかなくて退職してしまうケースは少なくありません。

企業の中で自分の目の前に部下や同僚として障がい者がいた場合には、いろんな摩擦が起きてしまうこともあると思います。これからは、企業が障がい者採用をする場合、いまのように特例子会社に集めるだけではなくて、総務・営業・受付・・・あらゆる部署でその人らしさを発揮して活躍できる社会になる事を願っています。

この課題を解決するために、ダイアログでは、「ダイアログ・アテンドスクール」というトレーニングのスクールを運営しています。 視覚障害者、聴覚障害者、高齢者しか参加できないスクールで、これまで培ってきたアテンド養成のノウハウをもとに、コミュニケーションや対話のスキル、さまざまざな表現方法、安心できる場づくりを体験的に学ぶ講座です。今年度は企業や団体に勤務している聴覚障がい者向けに開催をしています。各企業から雇用されている方がこのスクールに来られて、アテンドたちからコミュニケーションを学んだり、どうすれば企業の中でコミュニケーションギャップがなくなるかというのを、さまざまな専門家から学んでいます。

志村 季世恵:
(障がい者で)企業に入社したものの、10年間とか15年間と長くお勤めしていても、周りの人と「おはよう」とか、「お疲れさま」と挨拶を交わしたことがない人もいるんです。企業側も障がい者とどうやって接したら良いのかわからず、障がい者側もどう関われば良いのかわからないことが少なくありません。アテンド達に聞くと、DISのアテンドを1ヶ月間経験したことによって、企業に帰った時に自分が別人になれたというんです。今までは言えなかった「おはよう」が自然に言えるようになって、そうすると相手も自分に目を向けて変わってくれる。そういった事例をヒントに、スクールを運営していくことで各企業さまのD&Iを応援していきたいです。

志村 真介:
ダイアログミュージアムのプログラムだけではなくて、アテンドスクールを続けることによって、参加者が各社にもち帰っていただき、D&Iによるイノベーションが起きる事を願っています。

荻原:
素晴らしいですね。障がい者の方だからこそ持っている感性を活かし、企業がより良くなるような循環を作られていくということですね。

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コロナ禍でのチャレンジ

荻原:
このコロナ禍で、ダイアログ・ミュージアムを運営していくのは、ご苦労やチャレンジも多いとお推察しますが、実際のところいかがですか?

志村 真介:
コロナ禍でいきなり絶滅危惧種になりまして・・・

荻原:
ダイアログ・ミュージアム「対話の森」のオープン延期など、大変でしたよね。。

志村 真介:
リアルに会うことがこれだけ問題視される日が来るとは夢にも思いませんでした。ダーウィンの有名な言葉に『生き残れるものは、強いものでも、弱いものでもない。唯一、状況に合わせて変化できるものだけが生き残れる。』とありますが、ダイアログもこのコロナ禍でどう変化していくといいんだろうかと毎日毎日考え続けてます。

私たちのビジネスモデルは、まずアテンドスクールがあって、そこでトレーニングを受けたアテンドたちがミュージアムに来て、そこでDID、DIS、DWTというエンターテイメントを実施しながらお客様と出会って行くものですが、コロナ禍で対面での実施が難しくなった事を期にオンラインのプログラムも開発しました。

実際にやってみると、オンラインだからこそできる事がたくさんあると気づきました。移動にかかる時間や費用をカットできるので企業や参加者の負担も減ります。時間も場所も問わないので、世界中のスタッフを自由自在に配置して新しいプログラムを開発することもできます。コロナが明けたらゆくゆくはリアルとオンラインを融合した形式に変わっていく気がします。

視覚障がい者や聴覚障がい者、高齢者がそれぞれ持っている独自の感覚や考え方、センスを
世の中に還元する取り組みもしています。

荻原:
コロナをきっかけに、新たに強みを強化されたということなんですね。

志村 真介:
そうですね。彼らのナレッジを世の中に繋いでいくということを、強固にしていこうとコロナ禍で決めました。

荻原:
企業とはどのようなコラボレーションをされているのですか?

志村 真介:
暗闇や静寂の中での人財研修だけではなく、目を使わない視覚障がい者がチームに入って企業の方と肌触りの良いタオルを開発したり、全ての人に心地よい導線づくりを目指してホテルにコンサルテーションしたり、いろいろなプロジェクトにダイアログ・ダイバーシティラボとして携わっています。企業が持っている技術とアテンド達が持っている感覚的・経験的なスキルを重ね合わせることでイノベーションが起こることは過去の経験でわかっているので、ポジティブなブランディングとして、今後さらに発展させられる予感がしてます。

荻原:
今後の展開も楽しみですね!

志村 真介:
ダイアログでは、クラウドファンディングや寄付、スポンサー企業も募っているのですが、ご賛同いただいた皆様の中にコミュニティが生まれてきているんです。みなさんダイアログのコンセプトやマインドに共感し世の中に良いことをしたいという思いで集まっています。
主体がダイアログだけではなくて、このコミュニティから更に大きな出会いがあって、そこから新しい商品開発が生まれるかもしれない。その土台にダイアログの経験という共通項がある。ただ単に寄付をしてくださいではなくて、このコミュニティを一緒に醸成していきながら循環させていきたいと思っています。

荻原:
ダイアログのプロジェクトを支援してる仲間としての信頼や共感のあるコミュニティから、イノベーションが生まれるというエコシステムですね。素晴らしいですね。

志村 真介:
コロナ禍で絶滅しそうな状況だったので、いろんなことをポジティブに取り組んでいます。

荻原:
危機に対して、自ら変化することで乗り越えられていらっしゃるのですね。

志村 真介:
DISは、萩生田文部科学大臣に実際に体験していただいたことがきっかけで、学校に出張開催するようになってきました。

今、子どもたちは黒板に向かって学校給食を食べているんですね。黙食として。そこにDISのアテンドが行って、ボディーランゲージや簡単な手話を覚えることによって「おいしい」とか「楽しい」とか「いいね」といった感情を飛沫を飛ばさないでもコミュニケーションができるようになります。

志村 季世恵:
手話は表情と手の動きを使った言語なので、本来は表情もなければいけないのだけど、コロナ禍でみんなマスクをしていて口元が見えない。これは聴覚障がい者にとってはものすごく不便なことです。では、どうしたらいいだろう?と考えるのがダイアログなんです。マスクからはみ出るぐらいの笑顔で表情を作っていこうというのが、私たちの今回の願いになり、 マスクをしていても笑顔がはみ出す、表情豊かなアテンドと一緒に体験すると、最後には参加者みんなの笑顔が本当にマスクからはみ出るんです。

志村 真介:
世界でもマスク着用のプログラムを続けているのは日本だけです。マスクをしていても笑顔を人に伝えることはできる。給食も黙食で食べているけれども、サイレンスのアテンドたちから手話を学べば、子供たちもそれに対して自分にもできることがもっとあるんじゃないか?と感じます。

荻原:
いいですね。確かにコロナだとあれもこれもできないという感覚になりがちだけれど、マスクから笑顔がはみ出る・・・この状況でも「工夫してできる」に変えていくマインドが素晴らしいですね。

志村 季世恵:
はい、とても素敵です。

志村 真介:
DISを体験する前と後の変化について、参加した子供達にアンケートを取ってみました。その結果。2つの大きな変化が起こったことがわかりました。1つは、自己肯定感が上がるんということです。日本の子供達は世界と比較すると自己肯定感がすごく低いんです。これに対してなかなか対処する方法が見つかりにくい状況なんですが、アテンドと遊びながら子供たち自身の効力感が上がってくる。それによって、目の前に居る違った文化の人たちへの思いやりだとか、その立場の方々とこれまで思っていた意識が変わってくる。例えば、障がい者への意識を体験前に聞いてみると、やっぱり怖いという数値が高いのですが、DIS体験後は仲良くしたいとか、すごいと思うという意見が増えて、可哀想だと思うことが減ってくるんですね。DID体験後に、点字を勉強してアテンドに点字で手紙を書いてそれにアテンドたちが点字で返信するような関係性ができたりしてます。

海外では、国が税金を使って学校教育で体験しているのが60%ぐらいなんです。日本だと3%から4%までなのでもっとあげていきたいです。
企業の方からアンコンシャスバイアスを無くしていくのは難しくご苦労されるという話も聞きます。子供の時に体験することによって、友達の中にボーナブルな人がいる関係性が当たり前にあれば、豊かな社会になるはずです。

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インクルーシブな社会を創っていくるために組織に必要なこと

荻原:
今後、インクルーシブな社会を創っていくるために、日本の組織に必要なことはどんなことだとお考えですか?

志村 真介:
D&I&I (ダイバーシティ&インクルージョン&イノベーション)は、企業収益に貢献するという概念をトップが持つことです。ここにコミットしてないと儲かってる時にやるものだとか、罰金を払いたくないからやるという発想になってしまいがちです。それでは企業成長は見込めません。SDGsゴール目標の2030年までにはD&Iのない所に企業の存在も成長もないと皆が思う社会になるようにがんばろうと思ってます。

時価総額の80%を占める1万社にリサーチをしている2020年のある調査結果の中で、多様性や受容性を備えた企業は、マイクロソフト、Adobe、Facebook等、収益の高い企業という結果が出ています。日本の企業が入ってこないのは、ちょっと悲しいですよね。日本企業も義務としてではなく、D&Iがブランディング上これが当たり前のだという感性の企業がこれから成長し、世の中を変えていくと思っています。

荻原:
確かにそうですよね。業績に結びつく事に加えて、D&Iがあってこそ成長があるという前提のもと、グローバルの成長企業はすでに実践している。当社のメンタルヘルスも似ています。はたらく人ひとのウェルビーイングが保たれていることが持続的な成長の前提で、義務や規則だからやることではない、というマインドチェンジが必要ということですよね。

「はたらくをよくする」とは

荻原:
志村さんにとって「はたらくをよくする」とはどのようなことですか?

志村 真介:
「はたらくをよくする」ってすごくいい言葉ですよね。

荻原:
ありがとうございます。

志村 真介:
「はたらくをよくする」というのは、「それぞれができることをフォーカスにしていく」ということだと思うんです。残念ながら組織の中では、その人のできないことをにフォーカスしがちだと思うんです。出来ることにフォーカスするために、私たちもこの20数年間の中で、「~だから」に「こそ」をつけて「だからこそ」とポジティブに変換するんです。子供だからこそ、大人だからこそ、あの人だからこそ、できることがある。「こそ」をつけていく風土や習慣がつけば、それぞれの持っている能力が発揮できやすくなって、お互いサポーティブな関係になりやすく「はたらくをよくする」に繋がるじゃないかなと思っています。

荻原:
素晴らしいですね。「こそ」は魔法の言葉ですね!季世恵さんはいかがですか?

志村 季世恵:
自分と仲間を活かすことで社会が活かされますので、個人個人がお互いに相手を活かし合うことができたらいいなと思ってます。自分が社会のひとりで、より豊かな社会を作っていく当事者なんだということも忘れたくないです。今、社会でいろんなことがありますけれど、自分が当事者としてどうやって行動を起こしていくことが、はたらくをよくすることだと思います。

荻原:
素晴らしいビジョンですね。今回DIDの研修も実際に体験させていただき、また直接志村さんお二人のお話を伺って、D&Iを楽しむことで、新たな変化やイノベーションを創っていくという感覚を味わえた気がしました。どうもありがとうございました。

●対談協力:
志村真介(しむら しんすけ)氏
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表。マーケティング、コンサルティングフェローを経て、1999年に日本でDIDを始める。2009年に東京でDIDの常設展を開設、以降普及活動に専念している。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)。

志村季世恵(しむら きよえ)氏
ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。バースセラピスト。DIDの運営に携わる傍ら、セラピストとしてカウンセリングや末期ガン患者のターミナル・ケアを行う。『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)など著書も多数。

【参考】


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