古代ローマの将軍について

1人目の大将

紀元前366年に登場した内務担当の大将(praetor urbanus)は国民間の民事訴訟を主宰した。元老院は一部の高官が常にローマ市に留まるように要求した。この義務は現在、内務担当の大将に委ねられている。大臣(consul)が不在の場合、彼は高級官僚として元老院を招集し、攻撃があった場合にローマ市の防衛を担当する権限を持っていた。内務担当の大将は一度に10日以上市を離れることを許されなかった。したがって、内務担当の大将はローマ市で適切な任務を与えられた。

2人目の大将

第1次ポエニ戦争直後の241年に、2人目の大将である外務担当の大将(praetor peregrinus)が登場する。この大将は市民と非市民の間の紛争を担った。ハンニバル戦争中、外務担当の大将は特別任務でローマ市外で仕事していることが多かった。内務担当の大将は司法制度を管理するためにローマ市内に留まることが多かった。

追加された大将

ローマの拡張には大将の追加が必要だった。

紀元前227年 シチリア担当の大将とサルデーニャ担当の大将(4名)
紀元前197年 ヒスパニア・ウルテリオル担当の大将とヒスパニア・キテリオル担当の大将(6名)
紀元前146年 マケドニアおよびアカイア担当の大将とアフリカ担当の大将(8名)
紀元前134年 アジア担当の大将(9名)
紀元前118年 ガリア・ナルボネンシス担当の大将(10名)
紀元前102年 キリキア担当の大将(11名)
紀元前81年 ガリア・キサルピナ担当の大将(12名)
紀元前74年 ビテュニア担当の大将とキュレネ担当の大将(14名)
紀元前67年 クレタ担当の大将(15名)
紀元前64年 シリア担当の大将(16名)

中将と少将

1つの軍団を持つ属州では、中将(propraetor)が元帥(imperator)の代わりに属州を支配するだけでなく、自ら軍団を統制することもあった。しかし、2つ以上の軍団を持つ州では、各軍団は少将(legate)によって指揮され、総督は属州を支配するだけでなくそこに駐留する全ての部隊をまとめていた。

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