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【目印を見つけるノート】207. 初恋における運命のひとひねり

さて、きょうは初恋の話でもしましょうか。
(単に追い込みからの逃避かもしれません💦)

⚫初めてのバレンタインとホワイトデー

私の初恋といえるのは小学5年生のとき、相手は「かっちゃん」というあだなの子でした。すごくスリムで目のあたりが西城秀樹さんに少し似ていました(と思います)。そして世良公則さんと誕生日が同じでした。
今になって思えば、私の広島びいきはここに端を発するかもしれません(お二方とも広島県出身)。

クラスではソフトボールチームを作って、土曜の午後に土手で練習や試合をしていました。どこかに書きましたが、私はキャッチャーでした。なぜなら、たくさんボールに触れるからです。ソフトの基準ですがレフト辺りまでは投げられたと思います。センターはワンバン。硬球だと40mぐらい。

かっちゃんがたまにピッチャーをやるのですが、その時だけは返球が乱れました⚾

小学生というのはやたらつるんで、打ち明け話をしてみたりするものです。
学校の近くの公園の大きなすべり台の上で、男女7人が集まり「誰が好きか」告白ごっこをしたことがありました。私は別の子の名前を言ってごまかそうとしましたが、すでにバレバレでした。本人がいなくてよかった。
ただ、その場にいた別の子は「えーっ」と叫んですべり台を滑ってしまいました。
どういう意味だったのでしょう。

さて、『決戦の金曜日』ならぬバレンタインデー、私は近くの洋菓子店でスヌーピーの個包装をされた30個入りのチョコレートを購入して渡しました……いえ、机の中に入れました。なぜなら、席が隣だったからです。恥ずかしくて恥ずかしくて、かっちゃんの方を向けませんでした。
今なら寝違えになるかもしれません。

チョコが500円だったことを、つい第三者に口にしたら、「500円チョコ」とみんなにからかわれました。相場よりかなり高価だったようです。
今思えば、まったく隠さない性格もこの頃からだった……。

かっちゃんはどう思っていたのでしょうね。
どうも、私ひとりで舞い上がっていた記憶しかありません。500円チョコだとからかわれたのはかっちゃんも同じだったと思います。何の罪もないのに、ごめんね😢

言うまでもありませんが、1カ月後はホワイトデーです。

学校で、お返しをもらう女子を横目に見ながら私は変わらず左側を向けずにいました。下校になって、私と同様にお返しがなかった女の子が私の席にやってきました。あげたのは別の男子ですが。

「一緒に帰ろう」

二人で道すがら、「ひどいよね、お返しするのは礼儀じゃん。せめてクッキーでもいいからほしかったよね」と言い合って帰りました。
当時は、好きな子にはキャンディ、普通の子にはクッキー、嫌いな子にはマシュマロという区分がありました。今はなさそうですね。

私は気を取り直して家に帰って(すぐ直せるんですね)、そろばん塾のしたくをして出かけようと扉を開けました。
👀‼️
私の目の前には男子がふたり立っていました。かっちゃんと、もう一人、今日もらえなかった女子のお相手でした。

かっちゃんは花束をかたどったキャンディを私の目の前に差し出しました。
えーっ😆😆😆😆😆😆😆
かっちゃんは恥ずかしそうでしたが、少しツンデレ気味に、
「これ、495円だから」と言いました。
ああ、重い経済的負担をかけてしまったのかあ😱とは当時思いいたらず、やはり舞い上がってしまったのでした。

でもその5円違いが後で効いてくるのですよね。

もう一人の男子もこれから彼女のうちに行くということでした。よかったね😄そろばん塾へ行くのもあったので少し3人で話して歩きました。
楽しかったな🎵

当時はそこから付き合うカップルはいなかったと思います。私の場合は6年のクラス替えでかっちゃんと違うクラスになってしまい、話す機会はなくなってしまいました。それと、6年生でうちが引っ越して越境通学になっていました。
同じ中学には行けないということです。

ただ、5円ならぬご縁はなぜかそこでは終わりませんでした。


⚫まさかの👀‼️

中学時代は過ぎて、高校に入学します。
クラスの名簿を見て私は驚愕( ´゚д゚)しました。
かっちゃんの名前があったのです。
どういう確率なのでしょう。そもそも高校は10クラスあって各45人ずつです。高校が同じだけでも驚愕(共学ですが)なのに、同じクラスになる確率っていったい……。

このときはもう、かっちゃんのことは思い出になっていたのですが、どう接したらいいのかは結構悩みました。カンが働く人というのはどこにでもいて、「おまえたち、同じ小学校なんじゃね?」と突っ込まれて、もごもごしました。かっちゃんが困るんじゃないかと思ったのです。

でも、かっちゃんの態度は普通だった。背が伸びてカッコよくなって、そしてバイクに夢中になっていました。学校では免許を取ってプライベートで安全に注意して乗るならば、咎めはありませんでした。

あまり話はしなかったけれど、かっちゃんがバイクの話を他の男子としているのは何気に聞いていました。席がものすごく近かったのです。
そして、この頃にはかっちゃんの方を自然に見られるようになりました。

ある日、私は父がどこかで買ってきたモリワキのジャンパーを着て学校に行きました。羽織ものは自由だったのです。

それを見たときの、かっちゃんの食い付きようったら、今でもはっきり思い出せるぐらいすごかったです。

「えっ、モリワキじゃん‼️おまえ、これどうしたんだよ‼️ちょっと着せて‼️」

私は目が点になりました。モリワキが何か、まったく知らなかったのです。父も同じだったと思います。いったいどこで買ってきたのでしょう。謎です。

株式会社モリワキ・エンジニアリングは、二輪・四輪車用部品、用品の研究開発、レース参戦、製造販売を手がけるメーカーだそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%AF%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
より引用。

バイク乗りさんにとっては、垂涎の会社・チームだったのです。それからしばらくかっちゃんは「あのジャンパー、俺にちょうだい」と言っていたのですが、父に聞いたらダメだということでした。

私がバイクに興味を持つようになったのは、そのやりとりからかなあと今になって思います。
免許もバイクも持っていないのに、バイク雑誌を買って、掘ひろこさん(レジェンド的な女性ライダー)に憧れて、ラベルダ(イタリアのバイクメーカー)がいいなと思ったりしていました。

そういえば、小学校のときもスーパーカーがお互い好きで、「私はロータスがいい」とか言っていました。何か根本的に変わっていない。乗り物の神さまがいるのでしょうか。

高校2年もどのような確率かもう見当がつきませんが、かっちゃんと同じクラスになりました。私はあいかわらず、かっちゃんのバイク話を聞いてたまに一言二言、話をするようになりました。彼はバイクに夢中で浮いた噂ひとつ立ちませんでしたので、話すのに遠慮もいらなかった。

3年は違うクラスになりましたが、卒業後しばらくして2年の頃のクラス会があって、みんなで飲んだりボウリングをしたり……普通に、友だちとして話すようになって終わりました。

初恋の敗者復活戦のようなお話です。
いい感じで、よかったなって思います。
チョコレートとキャンディのご縁(5円)かな。
それとも、乗り物の神さまのおかげかしら。

ボブ・ディランの『Simple Twist Of Fate』(運命のひとひねり)はちょっともの悲しい別れの曲ですが、かっちゃんのことを思い出すときなぜかBGMになっています。

出会った人とずっといい関係が保てるわけではありません。
すれ違ったり、とても脆い場合もたくさんあります。
でも、この経験があって、
好きな人はとびきり大切にしなければなと
思うようになりました。

BOB DYLAN 『Simple Twist Of Fate』


⚫きょうのばら

ものすごく長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます。
今日も福山から来たばらは元気です。

あ、これから小説の第一話を公開します。
『清正の妻、福山の空を見上げる』
昼には。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/793313132/121115271
(番外編として末尾に出ます)

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

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