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【短編小説】ハレルヤが聴こえる夜(2)

📚一昨年書いた、『ハレルヤが聴こえる夜』の続編になりますが、そちらを既読でなくても大丈夫だと思います。ストーリィは架空です。

♪🎶

 新宿駅を出たところにライオンがいるというので、私は東口を出てからずいぶんうろうろと探し回った。どうやら逆方向に歩いてしまったらしく、南口の方へ行ってまた引き返そうとしたときにスマホが「ブーン、ブーン」と唸り声をあげた。
 ハラダからだった。
「ヨネダーっ、遭難してない?」
 ハラダの隙のない音声ナビゲーションによって、私は無事にライオンにお目見えすることができた。
 いや、ハラダとサワタリに再会する方がオオゴトだろう。同窓会があったのは確か7年前だった。「久しぶり」というのにほどよい歳月だ。1年では物足りないし、50年ではお互いを認識できない。2人はすでにライオンを交えて鼎談していた。

 サワタリはグレーの背広姿が妙に板についている。パワフルな軽音部のドラマーは恰幅のいい保険マンになっていた。ハラダは特に変わっていない……ように私には見える。システムエンジニアの彼女は在宅ワークになって久しいが、パリッとしたシャツにデニムという爽やかな出で立ちだった。髪型はこれまた幾何学的とも言えるボブ。ハラダは性格もパキッとしているから、まったく想定内だ。
 彼女は物干しの布団を叩くように、私の背中をパンパンとはたいた。

 痛いって。
 マスクで覆われているけれど、そんな仕草も懐かしい。

 高校の同級生である私たち3人は、これからライブハウスに行く。同じく同級生のヤナセがやっているバンドを見に行くのだ。私は手配師のように二人のチケットを渡した。サワタリとハラダはそれを受け取って、私の手に一万円札を載せた。
「はい、2人分」
「ダメ、久しぶりの再会だから、奢る」と私は二人に言った。
 それを聞いたサワタリはため息をつく。
「おまえさぁ、ヤナセが『何で言ってくれないんだよ、招待するのに』って嘆いてたぞ。まあ、ヨネダが取ってくれたチケットなんだ。釣りは手数料、持っとけよ」
 歌舞伎町の方へ歩きながら、私はしばらく思案した。
 夕暮れと街のLEDのせめぎあいは拮抗している。相変わらず、『ブレードランナー』に出てくるような街だ。いや、より近づいているといってもいい。電子看板の人は外に飛び出しているように見えるもの。

「うーん、招待してもらうというのは、ヤナセさんの損になるよ。私は2人がヤナセさんのライブを見てくれるのが嬉しいから、奢りたいなって……でも、ありがたく受け取らせていただきます」
「まさか、それでヤナセのバンドのCDを買い占めたりする気じゃないでしょうね」とハラダがすかさず、からかい気味に言う。私は目を大きく見開いて彼女に言う。
「なぜ、わかったの? 買い占めるなんてできないけど、サワタリとハラダの分を……」
サワタリがオーマイガッ!と言わんばかりに天を仰ぐ。
「握手会の券でも入ってるのかよ!俺らは自分で買うよ。そもそも、何で俺らは呼び捨てで、ヤナセは『さん』付けなんだよ」
ハラダはそのやりとりを聞いて、苦笑する。
「サワタリ、まあまあ。ヤナセに会いに行こ」

 私は招待してもらって、ヤナセさんのバンドの最初のライブを見た。半年ほど前のことだ。それどころか、ギタリストのヤナセさんのピアノ独唱まで独占状態で聴かせてもらってしまったのだ。
 私にとって人生稀に見る奇跡的な瞬間だったと断言できる。

 それに、サワタリはああ言ったけれど、高校のときからサワタリはサワタリ、ハラダはハラダ、ヤナセさんはヤナセくんだったのだ。三十路になって「くん」を「さん」にしたところで、指弾されるいわれはない。
それに、ライブハウスの客席の一角で、「ヤナセはさあ」などと知った風を気取っていたら、周りの人はどう思うことか。
 私たちはとりあえず、『ハレルヤ』という曲でつながっている関係でしかないのだ。再会できて、高校以来の胸のつかえが取れただけで奇跡だ。それでもう十分だと思わなければいけない。

「へえ、Preparatesって何かシンプルなバンド名だね。最近さ、諺をカタカナにしたり、漢字とアルファベットとカタカナを混ぜたりするグループもあるじゃない」とハラダがチケットを見ながらつぶやく。
「えーと、理科の実験で顕微鏡に置くプリパラートから取ったんじゃないかな。語源は『準備する』のPrepareと一緒だよね。準備期間を十分取って、満を持して登場したということ。The Piratesもかけてるのかなあ」と私は説明する。

Johnny Kidd and the Pirates
『Please Don't Touch』

サワタリがプッと吹き出す。
「ヨネダはヤナセに聞いたの?」
私は首を横に思い切り振る。
サワタリは手に持った革のブリーフケースから、これまた黒の革の長財布を取り出してチケットをそこに納めた。
「でもさすがに高校の英語教師をやっているだけのことはあるな。俺もそういうことだと思う。同感。でもこの前聞けばよかったのに。あいつも喜んだと思うよ。おまえはさ、仲良いわけじゃないけど昔からあいつのことが何となく分かってるんだよね」

 ハラダもそれにうん、うんとうなずいている。

 ライブハウスはけっこう混んでいたが、このご時勢で入場人員を制限しているので、警戒心を抱くほど他者とは接近しない。ドリンクを手に持っていなければならないのが不安定で気になるぐらいだ。高校の頃はドリンクをひっくりこぼして、ライブハウスのスタッフさんにモップで拭いてもらったこともあった。

 見も知らぬ観客の人々がバンドの話をしているのが嬉しかった。さすがに高校生はいないかもしれないが、いろいろな年代の人がいて、私たちより若い人たちーー要は20代ーーが結構いるのもいいなあと思った。動画サイトで短めのプロモーション映像をガンガン出していたので、そこから広まっているようだ。

 嬉しい。

Muddy Waters『Got My Mojo Walking』

 BGMが止む。
 客席が暗くなる。
 Preparatesの面々が登場する。
 ドラムス、キーボード、ベース、ギター、ヴォーカル。みんなが定位置に付く。
 歓声。
 舞台がパアッと明るくなる。
「こんばんは、Preparatesです」
そして……。

 ライブが終わったあと、3人で楽屋にお邪魔した。
 私は気が引けたのだが、サワタリが「ヤナセが顔を出せって言ってた」というので、おそるおそる付いてった。楽屋はあまり広くなかったので、私はドアの中のような外のようなスペースにちょこんと立っていた。

「久しぶり、ヤナセ! すんごくよかったよ。ブンブンウネッてカッコよかったぁ」とハラダがチャキチャキと話す声が聞こえる。
 こういうことが、私はできないんだな。感想もこう、どこから語ろうかと考えて何も言えずに終わるタイプ。チャキチャキっとしていたらこういう人生じゃなかったかもしれない。ハラダは中学からヤナセさんを知っているから、まあ当然なんだけど……。
 不意に、前にヤナセさんに言われたセリフが頭に浮かぶ。

〈知り合いとか友達とか何とかはそんなに重要なこと? 〉

 ヤナセさん、確かに重要ではないかもしれないんだけど……そこをしれっとやり過ごせない人もいるんだよ。

Led Zeppelin『Boogie With Stu』

「おーい、ヨネダ! ちょっとこっち来て」というサワタリの声で私はハッとする。声のする方に進んでいくと、折り畳みのパイプ椅子に腰かけたヤナセさんがマジックを手に何かを書いている。それをサワタリが脇に立って眺めていた。ヤナセさんがふっと顔を上げて、私を見る。
「ヨネダさん、握手券は入っていないんだけど、サインでいい? サワタリとハラダに頼まれたから、ヨネダさんにも」
 私はかああっと赤面して、サワタリをにらんだ。サワタリはハッと笑って軽く防御態勢を取った。
「いや、俺の奥さんがさ、話したらサインもらってこいっていうんだよ。それでさ、ヨネダには握手券にしてやってくれって」
「そんなこと私、言ってないじゃない。サワタリのスカポンタン!」と私は背広の友の背中をはたいた。ハラダはそんな様子をニコニコと眺めているが、私は泣きたくなった。

「高校の頃みたいだな。でも、券なんかいらないよ。はい」と言ってヤナセさんは私に向かって右手を差し出した。
 私は目をパチクリさせて硬直した。5秒ぐらいそのままで、ようやく自分の右手を差し出した。これが握手というものか、などと考えている余裕はなかった。手の感触は意外とゴツゴツしていなかったような気がする。

「私たちに感謝しなさいよ」と帰り道でハラダが私に言った。
 新宿の街には人がわらわらとまだ歩いていて、まだまだ賑やかだ。私は行き交う人にぶつかりそうになるほどぼんやりしていたが、ハラダの言葉に思い切り反駁した。
「え、人前であんなに恥ずかしいこと……いやだよ」と私はうつむいた。
「恥ずかしいって、握手でしょ。きょうび小学生だってそんなこと思わないわよ。ヨネダってどこまでウブな子なんだろ」とハラダはいう。 サワタリはそこには突っ込まず、ちょっと反省しているようだった。
「からかって悪かったよ。ただ、こう、何て言ったらいいのか……おまえとヤナセはもっと気心が通じてもいいのに、どうもおまえがバリア張ってるように思えてさ」
 彼の言葉に私も反省した。
「私もはたいたりして悪かったよ、ごめん」と謝った。
 帰路が同じ方向の二人と別れて、私はホームで電車を待つ。
 私は右手をじっと眺める。
 このご時勢で、握手をしてくれるなんて勇気のある人だ……。
 いや、
 二人が言っていることはわかる。

 私はことヤナセさんに限って、ガードが固すぎるのかもしれない。もっと気楽に、「ねえ、ヤナセ」と行けばいいのかもしれない。他の人、たとえばサワタリにするように。

 でも、高校の頃からずっと特別だったんだ。
 ラブラブの彼女がいても、ヤナセさんのギターを聴いて幸せな気分になれた。行きつけの『カフェ・ノマド』で彼の名前を聞いても、嬉しくなった。ライブハウスで偶然会えたときは、緊張のあまりしくじってしまったけれど、それでも大事にしまっておきたかった。
 それは大切な大切な宝物のようなもの。いつも鍵をかけて誰にも言わずガッチリしまっておいて、時々取り出して眺めるだけ。それで十分だった。これを片思いといえばそうなのかもしれない。告白なんてとてもできないけれど。その意味で、卒業のときに手紙を出したのは清水の舞台から飛び降りるような、勇気を振り絞っての行動だった。それで私のお話はおしまいになるはずだった。

 好きだよ。

 ヤナセさんが私のために『ハレルヤ』を弾いて歌ってくれてから、私のスクリーンセーバは上書きされたようだった。
 好きだよ。
 ヤナセさんが気まぐれにあの曲を弾いて歌ってくれたのだとしても、それは私の心をまっすぐに射抜いてしまった。
 でも、私は今さらヤナセさんにそれを言えない。高校のときはタナハシさんという彼女がいたから早々にしまいこんで諦められた。今は、ヤナセさんに彼女や奥さんがいるのかも聞いていない。そもそも、ヤナセさんはたくさんの人に愛されるような仕事をしている。私がパティ・ボイドならともかく……よりどりみどりなら、私が選ばれるようなことにはならないに決まっている。
  好きな人が自分のために曲を作ってくれたりしたら……100年ぐらい幸せでいられるかもしれない。

Derek and the Dominos『Layla』

 翌日の放課後、学校で英語の補習を担当した。先頃まではリモート授業が主だったので集中度合が異なるのだろうか。英語が苦手だという生徒は少し増えたようだ。音読をしないこともあるだろう。英文を見ただけでじんましんが出るという生徒もいるかもしれない。
 マスクの状態で音読というのも辛いのだが、少しだけ音読をしてからその箇所の説明をして、質問を受けた。
「ヨネダ先生は発音がきれいですけど、留学されていたんですか? それとも帰国子女?」
 は? 帰国子女? 何て素敵な響き。
「いえ、留学も帰国子女も何も。東京の片隅の都立高校から私大に行き、教員採用試験に合格しました」
 クスクスと生徒の笑い声が聞こえる。きっと、バカ正直に面白くもないことを言ったから失笑を買ったのだろう。生徒は続けて尋ねてくる。
「それでは、どうしてそんなに発音がきれいなんですか」
「そうですね、音楽を聴きました。洋楽ね。とにかく聴いて歌詞カードなしで真似して歌っていました。私は楽器ができないので、歌うばかり。そこからかな、英語の長文も声に出して読めば大まかに把握できるようになったりしました。ですからやっぱり、『習うより慣れろ』なんですよね。みんな、中学の教科書にビートルズとか、カーペンターズの曲が載っていたのを覚えてないかな。マライア・キャリーもあったかも」
 私がそう言うと、生徒たちはうなずいている。
「『HERO』がありました!」
「そう、教科書に出ている曲は分かりやすい英語で書かれている。それを歌詞なしで歌えるぐらい繰り返せば、じきにマライアのような発音になるかもしれません。英語が苦手だという気持ちはすぐには変わらないかもしれないけれど、やっぱりどんなに小さくても、『好きな部分』を作っておくのが突破口になるのだと思います」

Mariah Carey『HERO』


 ブレザー姿の生徒たちが真面目に聞いてくれたのが嬉しくて、思わずマライアの歌を一節披露してしまった。マスクはしていたけれど、後で主任に怒られないかとヒヤヒヤものだった。
 意外と調子に乗るタイプかもしれない。だからもろもろ自制しないといけない。

 サワタリから電話がかかってきたのはその数日後だった。電車の中だったので慌てて最寄りの駅で降りてホームで話した。あぁ、まだ時短営業だから行きつけのパスタ屋さんに間に合わない。ぎりぎりだったのに。
「おまえ、ヤナセと連絡先交換してないの?」
「え? してない」
「しとけ。でないと俺は延々中継局だよ」
 ドキッとした。いきなりヤナセさんの名前が出たから。思わずホームのはしっこまで歩いてしまった。
「だって、ストーカーだと思われるから私から聞いたりはできないよ」
 電話の向こうでしばらく沈黙が流れた。
「……ストーカーになりそうな女と進んで握手なんかするか。おまえはまったく……卒業式の日と同じ……まあいいや、俺の奥さんもサインもらってご機嫌だったし。それはそうと、ヤナセがおまえに相談したいことがあるってさ」
 私の心臓はおかしいぐらいドクドク早打ちを始めた。相談? いったい何? こんな教師のはしくれにミュージシャンが相談するようなことがあるのだろうか。私は混沌にはまってしばらく沈黙していた。
「おーい、ヨネダ~生きてるか? 」
「う、うん、何とか」
 電話口の向こうからため息が聞こえた。
「今はシャレにならないから。ヤナセの連絡先をLINE……あ、おまえメールしかないのか。だから電話したんだった。とにかくメールするから、一報を入れてやってくれ。じゃな」

 私は次に来た電車に滑り込んだけれど、今度は自分の駅を乗り過ごすところだった。ふう。
 20時を過ぎると駅前でも人がまばらになる。店の灯りもポツポツ消えはじめていた。街灯がやたらと目立つ。2年前まで、こんな光景は想像もできなかった。
 異常なのだけれど日常。
 その期間に私はヤナセさんに再会することができた。それだけで、たったそれだけで、私は生きるエネルギーを失わずに済んでいるように思える。
「ヤナセさんのおかげだな」とひとり小さくつぶやいてみる。

 もうどの店もやっていないのは分かっている。コンビニでレンチンパスタを買っていくかと足早に歩きだすと丸くて白い月が煌々と輝いていた。

夜が暗ければ、月はその分明るく輝くのかもしれない。
 私はほんの少しだけ、明るい月をぼおっと眺めていた。

(何か、まだ続くような感じです)
こちらが初回です。

【短編小説】ハレルヤが聴こえる夜|尾方佐羽 #note 

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