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早慶戦の歴史

こんにちは。キウイの成長です。ついに毎日投稿7日目を迎えることができました。みなさんが【スキ】を押してくれることによってモチベーションが上がり毎日書くことができました。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。


さて前置きは置いといて、みなさん大学野球には興味があるでしょうか?高校野球やプロ野球は多く見られますがおそらくあまり大学野球は見ませんよね。ドラフト会議の時期になるとプロ注目の高校生はわかるのにプロ注目の大学生がわからないということがないでしょうか?私は先日初めて六大学野球を見たのですが高校野球よりレベルが高くプロ野球より全力疾走、全力プレーを見られるので、とても勉強になりました。そんな大学野球でも1番有名な早慶戦の歴史について簡単に紹介させていただきますのでよろしくお願いします。

【早慶戦】

それは早稲田大学と慶應義塾大学。二つの大学の因縁の対決。

早慶戦に憧れて早稲田大学と慶應義塾大学に入った人はたくさんいるでしょう。プロ野球選手のヤクルトスワローズで活躍する青木宣親選手もその1人です。


 
始まりは、明治36年(1903年)、早稲田大学野球部が慶応義塾大学野球部に挑戦状を送ったことでした。そして挑戦状を受け入れた慶応義塾大学との対戦は、1903年の11月21日に行われ、結果は11対9で慶應義塾の勝利となりました。

これがはじめての早慶戦です。

挑戦状一枚が歴史的行事になるとは誰もが思っていなかったでしょう。

スタンドは常に満席になるほど人気を博し、両校の対抗意識もバチバチに。しかしそんな矢先、慶応義塾長が、対戦の中止を決定したのです。

両校の応援が過熱し、興奮した学生たちの殺気立った空気を危惧し、応援団の衝突を避けるための判断でした。その後、東京六大学野球連盟が発足する1925年まで、じつに19年もの間、野球の”早慶戦”に空白の期間が生じたのです。

先攻、後攻関係なく早稲田大学が一塁側で慶應義塾大学が三塁側なのはご存知でしょうか?
これは最初から決まっていたそうですね。

慶應義塾大学では【早慶戦】とは呼びません。

慶応義塾大学の公式サイトには、「慶早戦」と書かれているのです!

そして早慶戦は野球ではなく他のスポーツでも行われています。

1961年から9年間、小学6年生の国語の教科書にも早慶戦は載っていました。

早慶戦は授業より大事だと言われているそうです。

慶応義塾大学では、早慶戦が行われる場合は授業がなんとお休みになることがあるそう!しかも、一部の学部では、早慶戦の応援に行き、感想を提出することで体育の成績に加味されることも!

しかし早稲田大学では「早慶戦に参加して初めて早大生の一員になる」とも言われています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。私も早慶戦見たいですが満員で球場に入らなそうですよね。明日は投手と捕手 バッテリーについての記事をあげようと思います

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