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ネイティブアメリカンの聖なる儀式に参加して、人生のエッセンスを垣間見た


― あの夜、僕は清里の森の中、
真っ赤に燃え盛る溶岩以外何も見えない暗闇で、兄姉たちと手を繋ぎ、汗と涙を流しながらワカン・タンカに祈りを捧げていた。
過去の失敗も栄光も、未来への不安も期待も、頭にはなかった。

ただ、あの瞬間を生きていた。



1.はじめに

昨年、Human Potential Labがプロデュースする、ネイティブアメリカンの聖なる儀式「スウェットロッジ」の合宿へ参加した。

別名、「子宮回帰」と呼ばれるこの儀式で、この世に生まれ直したとも言えるほど、圧倒的に濃密な3日間は、25年間で構築した「俺OS(オペレーションシステム)」を容易に破壊し、自己分析に比較的時間を割いてきた私をメタ認知の向こう側へと導いた。
その先では、私の人生にとって本当に大切なものを垣間見たように思う。

そんな価値のある時間を過ごした一方で、資本主義全開の東京で生活をしていると、つい忘れてしまいそうであり、実際日々の忙しさにかまけて丁寧な振返りが出来ていなかった。

社会人4年目に入るこのタイミングで、備忘録として、迷った時の道しるべとして、振り返っておく必要があると感じ、執筆に致る。


2.スウェットロッジとは

「スウェットロッジ・セレモニー」は、
アメリカインディアン(ラコタ族)に伝わる7つの儀式の一つで、ラコタの言葉で「イニィピー」と呼ばれ、それは子宮回帰を意味します。

母なる大地の子宮をシンボライズした半円球のドームの中に、私たちは四つん這いになって入っていき、囲炉裏を囲むように座ります。真っ赤に焼けた石をドームの中に運び込み、水を注ぎ、蒸気が舞い上がる中、扉が閉まるとそこは大いなる存在と自分の世界。

泣き、歌い、声をおくり、スピリットに祈り、自分のオモイを眺めて、エネルギーやプロセスを感じて、あるがままの自分のオモイを音にして、自分と語り合い、大いなる存在に祈りをおくります。
感謝すること・願うこと・尋ねたいこと・コミットメント(宣言)・・・
受けとめあい、つながり合い、全てのものとの関係に「変化と成長」をもたらす「死と再生」のセレモニーです。
(引用:Human Potential Lab


誤解を恐れずに分かりやすく説明すると・・・
真っ暗なサウナ(のような空間)の中心に燃え盛る溶岩を大量に入れる。
その後ロウリュウの要領で0度から100度以上へ気温が一気に跳ね上がったサウナの中で、4時間以上に渡って自分と、仲間と、世界と向き合う。

もちろん実際のところは、皆大好きサウナどころの熱さではなく、当然気がぶっ飛びそうになる。
(逃げ出そうと素手で穴を掘り出す大人もいるそうだ。)

これは一見、狂った企画のように思われるかもしれないが、
思考の限界を超えるテクノロジーとして1000年以上の歴史がある、ネイティブアメリカンの叡智が詰まった伝統的セレモニーである。

本儀式を執り行うするのは、ラコタ族と30年の時を過ごし、伝統的儀式の執行を認められた世界でも有数のシャーマンである、松木正氏(以後、松木さん)。シャーマニズムを身に宿しながら、科学的な知見も兼ね備える唯一無二の存在だ。
(著書『あるがままの自分を生きていく -インディアンの教え-』は、大学生の頃に読んだことがあった。)

3. スウェットロッジとの出会い

そもそも、どのようにしてスウェットロッジに辿り着いたか。

一昨年の夏頃だろうか、
脳ミソの構造改革を掲げ(謎)、日常的に瞑想に没頭していた私は、所謂Well-beingの最先端とされる、「トランステック(Transformative Technologies)」なる領域に関心をもった。

Well-beingとTechを掛け合わせた分野であり、世界的に市場規模は約400兆円に達するほどトレンディーな一方で、日本はまだマインドフルネスが流行り出したタイミングであり、その先を行く概念であるトランステックについてはほとんど認知がなく、情報収集をすることも難しい状況であった。
(悲しいことに私の英語力はセンターレベルで止まっている)

そんな中、米国シリコンバレーで開催されたトランステックカンファレンスから帰国した方のレポートイベントが東京であることを知り、仕事後、満面の笑みで現地に向かったのを覚えている。

そこで講演者として登壇したのが、今回のスウェットロッジをプロデュースする、Human Potential Lab代表の山下 悠一氏(以後、悠一さん)。
この時の話を通し、悠一さんの思想に惹かれた私は、イベント後に名刺交換していただき、Facebookでも繋がらせていただいた。

それから何度かやりとりさせていただき、約1年後に鎌倉のラボにお邪魔させていただいた際に、スウェットロッジの存在を教わった。
ヴィパッサナー合宿(10日間の瞑想合宿)と同等レベルの体験が3日間できる、「強制的に瞑想状態へ導くテクノロジー」といった文脈でスウェットロッジをプレゼンされ、ちょうど当時ヴィパッサナーに参加するために10日間の休暇をどう調整しようか悩んでいた私は、3か月後のプログラムに参加することを即決した。

振返って、悠一さんとのご縁と、自分のほんの少しの行動力に感謝である。

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(写真:ラボ内のスウェットロッジをイメージして造られたサウナでのひと時)

ちなみに、ここまで読んで、瞑想合宿、シャーマン、思考の限界を超える
・・・いやめちゃくちゃ怪しいだろう!
と叫んでしまう方がいるかもしれないが、基本的には科学的根拠に基づく範囲で実践しているので安心して欲しい。
(私が瞑想をする理由については、別途記事を書こうと思う。)

4. 濃密な3日間の体験

そんな流れでラボ訪問の3ヵ月後、舞台となる清里へと入ることになる。

今回参加したプログラムは3日間の合宿形式で、
―夢見の時の中で「小さな自己」から「大きな自己」へと変容する旅―
というコンセプトを掲げ、上述した松木さんのファシリテートのもと、ざっくり下記の流れで進められた。
(松木さん並びにHPLの資産であるため、細かいHow toは割愛する。)

▼Day1(日常から夢見の時へ)
 スマッジング(ホワイトセージを焚き、空間を浄化するネイティブアメリカンの儀式)から始まり、松木さんによる創世神話の語りやラコタソングの合唱など、ラコタ族の思想や文化のインプット。
また、子宮回帰の儀式を通して後に兄妹となる、参加者同士の相互理解。

夜は森の中へ入り、静かな自然の中に自分を溶け込ませながら自分と向き合う。

▼Day2(境界線を越えて生まれ変わる)
 スウェットロッジに入る前に、この日も1日かけて自分と向き合う。
カードを使ったワークや参加者同士の対話、1人で森で過ごす時間を通し、徐々に周縁化してきたアイデンティティが現れ始める。

18時頃から儀式の準備をはじめ、19時過ぎから4時間ほどスウェットロッジに入る。

▼Day3(新しい自分と歩き出す)
 『トラッカー』の著者であるトム・ブラウン・ジュニア氏から松木さんが学んだ手法で、森の中を歩き、自分ないし世界と向き合う。

夕方頃、クロージングをして、兄弟姉妹と別れる

このような3日間を過ごし、新しい自分として東京に帰還した。

スウェットロッジの中での体験は勿論であるが、
その前後にたっぷり時間をかけて丁寧に行われる、プロセス志向心理学とシャーマニズムを掛け合わせた、松木さん独自のワークが非常に濃厚で、「私はこういう人間だ」「こうあるべきだ」と周縁化していた自己と出会うことができる。
(まさに、メタ認知の向こう側といえる)

また、ワークの中ではネイティブアメリカンの自然との向き合い方を教わり、世界の見え方が変わったことも非常に重要だったと思う。

かの有名なレイチェル・カーソンの名言が、今では心に響くになった。

見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみること。
(引用:『沈黙の春』)

これは自分が普段いかに早足で、視野狭く生きているかを実感させられる3日間でもあった。

そしてなんといっても、スウェットロッジという強烈な壁を乗り越えたメンバーたちとは特別な絆で結ばれる。
自分ですら向き合ってこなかった自己をお互いに曝け出すプロセスを経て、たった3日間の付き合いの、年齢や性別も職業も趣味趣向も違う相手が、心から大切な存在になるのである。

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(写真:参加者で輪になり様々なワークを行ったスペース)

5. ASC(変性意識状態)に触れる

ちなみに、当初の参加動機であった瞑想状態のヒントを得られたか?
でいうと、答えはYesになる(・・と思う)。

禅の原理主義的に、瞑想のゴールを「悟り」とするのであれば、もちろんその領域には遠く及ばないし、そもそも目指してもいないが、
恐らくあの感覚の延長線上にあるのだろう・・という感触はあり、実際今行う瞑想の時間は、以前と比べ段違いに充実している(・・と思うpart2)。

そもそも言語化できないものだが、分かりやすい例を挙げると、時間や空間をはじめとする現実諸感覚の喪失がある。

正気でいられないレベルの熱さのスウェットロッジの中で過ごす4時間はというと、実は体感時間でいうと本当に一瞬で終わった。
これが振り返ると、長々と詳細に当時の体験を思い出すことができるので不思議である。
また、自分がいまどこにいるか?という空間の概念そのものがなくなった。
言うなれば、ただ、その瞬間、「地球上に存在していた」という感覚に近い。

これは、完全な非日常体験だったということもあるかもしれない。
(非日常過ぎて、異世界転生モノのアニメの主人公気分的なw)


6. 祈りのラウンドで、家族の幸せを願う


スウェットロッジの儀式は、計4つのラウンドで構成される。
中でも印象深いのが第2ラウンドで、このラウンドでは一人ずつ祈りを捧げ、他の人はただそれを聞き、肯定する。
(捧げる相手は、ワカン・タンカというラコタ族の大いなる存在)

元々私はこのラウンドで、自分のターンが回ってきたら、謎の孤独感の解消や、人生で成し遂げるミッション といった旨の話をするつもりだった。

しかし2日間のワークを経てなのか、いざ自分のターンが回ってくると、僕はひたすら地元にいる家族の幸せを願っていた。

当時、実家に大きな動きのあるタイミングということも重なってか、切実な想いとして言葉が出てきて、訳も分からずどんどん涙が溢れ出てきた。

そもそも思い返せば、昔から私は基本的に自己満足要素の強い人間。
興味関心の範囲が異様に広く、次々と新しい世界に足を突っ込む。そこに他者承認は不要のはずだった。

しかし、私が所謂変人にならず(?)、生徒会長・バスケ部主将・応援団長といった王道の学生青春時代から始まり、組織でのリーダー経験、大学時代のアカペラアジア優勝など、それなりに人の評価ベースの生き方をしてきたのは、承認欲求を満たしたいというより、それを通じて両親を、兄貴を、祖父母を喜ばせたいだけだったのかもしれない。
私が認められることで家族が認められることを求めていたのかもしれないと。

別にこの経験の前から家族とはとても仲が良いが、個としていかに面白い人間になるか?を重要視していた私にとって、これが一番最初に出てきたことは大きな発見だった。

改めて、私は自己分析やメタ認知が大好きな人間であるが、過去の出来事(原体験)を振り返り定義づける自己分析は、OSを働かせて社会に溶け込もうと務める自分でしかなく、その先に辿り着くのは思考ではないと考えるようになった。
(もちろん、自己分析には違った意義やメリットがある)

7. そして、新たな家族ができる


冒頭にもあるように、スウェットロッジは、別名「子宮回帰」と呼ばれる。

一緒にスウェットロッジを出たメンバーは、同じ子宮から、産道を通って外界へ生まれ出るというプロセスを通し、兄弟姉妹となる。

このような繋がりをラコタ族では、ティオシパイエ(拡大家族)というが、スウェットロッジには、松木さんと悠一さんを含め9名で入ったので、この時、私に新しく8名の家族ができたことになる。
これは決して形式的な話ではなく、今でも、この新しい家族の存在が、間接的に自分を支える要素の一つになっている。

一緒に過ごしたのは3日間という短い時間かもしれないが、肩書や経歴、その他情報に捉われず過ごし、ひたすらお互いの胸中を曝け出した。
そしてあの過酷な熱さを、手をつなぎ一緒に乗り越え、一緒に世界へ生まれた、という共通体験。

これは、上辺の人付き合いが大部分を形成するこの社会の中で、兄弟姉妹と呼ぶには十分だろう。

8. 人は1人では生きていけない

ティオシパイエ(拡大家族)との印象的なエピソードとして、ろーさんという私の兄貴分にあたる強面のライダーの方がいる。
事前のワークではよくペアを組み、お互いの悩みを理解していたし、スウェットロッジ内でも隣に座っていた。
スウェットロッジから出た日の夜は、風呂に一緒に入って背中を流し合った仲である。笑

そんなろーさんが、3日目の解散直前の振り返りの時間に、こんな話を涙を流しながらしてくださった。

早朝森を散歩している時、創太が前を歩く姿がふと目に浮かんできた。
創太もしっかり歩いているから俺もしっかりしないといけないなって。
その瞬間1人じゃないと感じたんだよ。

このとき、25年間付きまとっていた謎の孤独感が消え、過去にナンバーワンになれた時よりも、オンリーワンになれた時よりも、はるかに自己肯定感を感じたのを鮮明に思い出す。

自分の存在を励みにしてくれる存在がどれだけいることだろう?

苦しい時、悲しい時、何故か頑張れない時、そんなときにも世界のどこかでこの時の8人が精一杯生きている。

それだけで十分幸せではないか。

そう考えると、普段意識していないだけで、地元の家族をはじめ、私には日本中にそんな大切な存在がいる。

この先怖いことなんて何もないように感じた。

ちなみに、その時ろーさんの頭の中に流れてきた曲が、THE HIGH-LOWSというグループの「サンダーロード」という曲らしい。
世代的にか僕は全く知らない曲だったが、今では大好きな曲の一つである。

三脚を立てて ここに 二人並んで写真を撮ろう
ながめより 景色よりも 二人並んだ写真を撮ろう

さあ手に ほら手を わかってくれ今 わからせてくれ今夜 
(引用:「サンダーロード」)


―そんなことを書いていると、先日、予防医学の石川善樹先生が、
寿命に直結する一番の要因は、酒でも煙草でも運動でもなく、人との繋がりの数という有名な研究結果があると仰っていたことを思い出す。


人は、1人では生きていけないのだ。

(※2022年11月追記)
先日、ろーさんへの結婚報告で福岡まで伺った(スウェットロッジぶりの再会だ)。深夜まで妻交えて3人で飲んだ後、「次は10年後に会おう」なんて言って別れたが、弟分の私としてはタイミングを見計らって福岡に押しかける予定だ。笑

9. 創世記は自覚の物語

突然なんの話だよ と思われるかもしれないが、最後に。

松木さんが、1日目にラコタ族に伝わる創世神話を話してくださり、いわゆる旧約聖書の創世記にも近い内容であったが、神学部出身の私には、解釈の仕方が新鮮でしっくりきた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

(引用:旧約聖書『創世記』1章 - 天地創造)

これは全知全能の神がとんでもパワーでこの世に光を生み出した という意味ではなく、人類が光を初めて「自覚した」ことを意味する という解釈だ。

今回僕がスウェットロッジを通して、普段周縁化していたり、目を向けてられていない沢山のことを自覚したように、この世界には、自覚していない大切なものが沢山あるだろう。

25年間で構築した、器用に社会を生きていく「俺OS」をいきなり捨てることはできないが、スウェットロッジの中で垣間見た沢山のエッセンスを大切にし、この美しい世界を生きていきたい。

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Ho Mitakue Oyashin!!

― 全てのものはつながっている


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