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毎日「いただきます」が響く生活


隣にいる同居人は今日もわたしの顔を盗撮してくる。どうやら何の変哲もないわたしの顔に取り憑かれたらしい。というより、わたしを赤ちゃん扱いしてくる大人の姿をした悪ガキだ。でも、人生でこんなに写真を撮られることもないだろうから仕方なく好き勝手やらせている。仕方なく、だ。そんな同居人の膝にわたしのかわいいらしい足をのっけながらこのnoteを書いている。


「同居人と一緒に並んでご飯を食べるのが好きだ」

わたしは、生活の中でかかせないのが“食”で、これはふたりを繋ぐものだと思っている。同じ時間に同じものを食べるという行為は、ふたりで生きているということを実感できるし、美味しいもうれしいも共有できる何にも替え難い特別なものだ。

最初のうちはどちらかが床に座ってぎこちいない感じで食べていたんだけど、わたしたちはいつからかソファーで並んで一緒に手をぱちっと合わせて“いただきます”をするようになった。誰かと並んでご飯を食べることがこんなにも温かい気持ちにさせてくれるっていうことをわたしは知らなかった。ふたりのご飯の時間は本当に尊いものだ。

基本的に料理はわたしがしていて、同居人のリクエストする海鮮のパスタやら油淋鶏やらサーモンの塩昆布漬け丼をつくったり、八百屋さんで安売りしている野菜から豆乳鍋やら無限キャベツやらを連想したり…。自炊が好きなわたしからすると本当に楽しい毎日を送っている。しかも同居人とわたしは好き嫌いがほとんどないから、食べたいものが浮かぶ浮かぶ…。ていうか同居人の食べたいものはどこまでも尽きなくて、本当に腕がなるんだよね。この部屋も、同居人のお腹が鳴る度に何屋さんにでもなれる(同居人が手作りした黒板にやきとり屋さんとかたこやき屋さんとか書いて○○屋さんごっこをして遊ぶのが好き)から、ふたりでいたら毎日が新鮮で楽しい。

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そしてなにより、同居人はわたしがつくったご飯を本当に美味しそうに食べてくれるし、同居人は調味料の配合センスが天才だから、より美味しいものにしてくれる。笑っちゃうんだけど、本当にふたりのバランスはどこまでも良いみたいだ。わたしの中では、同居人と食べるご飯は、他のどんなご飯よりも価値があって、守り続けたい特別なものだって強く思う。

わたしはこれからも同居人の胃袋を掴んでいたいし、毎日同居人と一緒に並んでご飯を食べて笑い合いたい。そしてたまには、ふたりが好きなセイコーマートのカツ丼(北海道にきてはじめて食べたけど本当においしい)とか、ちょっと奮発しちゃったりして出前のお寿司やピザを食べて、ああ贅沢しちゃったねなんて言い合って、ふたりのご飯の時間をさらに豊かなものにしていきたい。
明日の夜はなにを作ろうかな。

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