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マラソンと。多様性、


おはようございます☀

散歩通勤しながら書いてみる雑記です。
(散歩&スマホ中は、490文字くらいまで)

日曜日の、かすみがうらマラソンを明けて

月曜日は、しっかりめにお仕事。
火曜日の朝。散歩通勤。

思考を巡らせるのには
散歩は良いですね。

どっちだって良い。

マラソンの個人的な結果は完走できず。

28km付近でのリタイア

ポジショントーク的な言い方に
なってしまうかもですが
完走できてもできなくても
どっちでも、面白い未来が来るのは
変わりなかったので
(チャレンジをそうなるように設計していた)

どっちでも良かったのです。

そんな事を言ってみて

出る前に言ってなかったので
後付け感のある言葉だなぁ
と思ってみるものの

実際に想定していた未来はきたわけで
マラソンのトレーニングの結果以上に
歴史の勉強から得られた事ほ
結果が出たことにニヤリとする

完走出来なかった事が
全く残念じゃないかというと
そんな事もなく

レース中は怪我になりそうな
足首の痛みが

・ちょっと歩いてみて戻ったら
・ストレッチして戻ったら

続けるか?辞めるか?
の判断要素を集めたりしながら
完走のリスクとか
直近の仕事への影響とか
琵琶湖マラソンへの中期的な影響とか

(約490文字、ここからパソコンへ切り替え)

思考の射程

作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんが
ラジオで言っていた

・射程を長くとらえる
・射程を長く考える

みたいな事(思考)をやってみて

はい。今日は辞めよう。

と決めたりしました。

この判断の過程も非常に有意義な時間。
これほど、続けるか?辞めるか?
を多面的に考えて
辞める選択をした経験は無かったので。

過去2回のマラソンも、痛いなか、もう辞めたいと思いならが
5時間半くらいで完走したりしてました。

16年以上前?の、ハセツネも、眠いし痛いし
みたいな中で、辞めることはなく21時間でゴールしたりしました。

直近だと昨年の琵琶湖トライアスロンの
最後のランとか、ただただやめたかった。

辞めないことを選択するほうが、
簡単だったりすることも多いと思う。

人間は、同じことを続ける。
変化しないことのほうが。
選択しないほうが楽だから。

みたいなことがあるそうです。
なるほど、と思います。

そんな中。さくっと。
「はい、やめよう!」
と、なれた自分には、逆に「初めまして」だったりするのです。


マラソンの多様性

今回は、人間観察のおかげで、
マラソンも4時間くらいは飽きずに走れることが判った。
というのが収穫の一つ。

身体の使い方についての意識は、
自分の中で、ここ2年で爆速で上がっていて。

そんな中、人の動きを見ているだけで面白い。
みたいな状態にもなっていたりします。

その他に、色々な思いというか考えというか。
モチベーションというか目的というか。

人それぞれのマラソンがあるなぁ
ということを感じました。

シューズとかウェアとかテーピングとか機材
レース前のSNS
レース後のSNS

大きな流れとしては、
やっぱり好タイムや完走が目的なスポーツなので。

「頑張ってよかった!」
「諦めないでよかった!」

みたいなところが本流だと思います。

でも、回収車に乗っている人も少なくないわけです。

・練習不足だったのか?
・なにか問題があったのか?
・気合が足りなかったのか?

兎角、色々な人がいます。

フルマラソンだけでも、12000人が定員だったので
やはり、自転車競技と違って、
参加者数の多さだけ多様性もあるように感じます。
(スポーツの中での競技種の多様性とか属性という観点は置いといて)

この母数の多さは、とてもおもしろいと感じました。


ファクト(事実)とか、リベラルアーツとか

頑張ることがよしとされる状況の中。

・頑張らなかった
・頑張れなかった

といのは、

・残念なこと
・駄目なこと
・罪悪感のあること

に分類されてしまったりすることは多いと思います。
(感覚的ですが)

でも、それぞれにも多様性があれば良いのかなぁと思います。

そのためには、
今年になって特に学んでいるところでありますが。

「ジャッジしないで事象、事実をそのまま理解する」

みたいな、
ファクト分析とかリベラルアーツとか
みたいな言葉になるところだと思うのですが。

・頑張ったから良い
・頑張れなかったから悪い

・好きだから
・嫌いだから
・良いから
・悪いから

とか、を除いて。

・完走した
・完走できなかった
・練習が十分だったから完走できた
・面白い服装で出たかっただけ
・つらいからやめた

みたいに、事実ベースで物事をうけとめる。

なるほど、そういう人がいるんだ。

みたいな視点は
優しいのかなぁと思います。

だからといって、
頑張ることを否定するわけでも
頑張ることが嫌いなわけでもなく

(基本がんばっている自分大好き人間なので)

感情的になることが悪いことでもなく
それに対して否定的なポジションをとるわけでもなく。

(涙腺ゆるいマンなので)

色々な、状態をそのまま受け入れる寛容さ。
みたいなのが世の中にあると優しいよなぁ
と思うわけです。

(理不尽な侵攻とかは受け入れられないけど)

と、書きながら、近親者には、
がんばりを強いる傾向のある自分に苦笑いです、、、

ある種の一方的な正義による理不尽な侵攻でもあったり、、、

書くことの良さは、メタ認知にありますね笑

メタ認知」とは、自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること、つまり「認知していることを認知する」ことです。 メタ認知の能力をアップできれば、自分自身を冷静に見られるようになります。 それにより、高い目標の設定やそれを達成する力、問題解決能力などを引き上げることができるでしょう。

カオナビ https://www.kaonavi.jp/dictionary/metacognition/


がんばれなかった、、、だめだぁ、、、
と感情が入ってしまうと。

自分の中でも、感情のせいで事実を正しく理解できず

なぜ?がんばれなかったのか??
とか

次のアプローチにつながる
事実ベースの情報を得られない。

みたいなことになってしまいます。

これって誰得?みたいな感じですよね。

みんなが今を楽しみ。
よりよい未来を迎えれると良いなぁと

神様みたいなことを言ってみます。

なんか話がそれてきたので、まとめます。

フルマラソンは面白い。

やはり一筋縄ではいかなかったマラソン。
色々な人がいるマラソン。

これは、面白いです。

小学校のころ。
運動音痴で走るの遅くて嫌い。
レゴとかゲームとか、インドア派で
腹筋10回もできなかった
肥満体型だったボクが言うので。

たぶん、本当だと思います。

マラソンというか、スポーツって面白いですよ。

日常の仕事でも、予測不能な不確定な事件は起きますが
基本的には、あまりにも無理な仕事は断りますし。

自分が困りすぎることをしたら
周りにも迷惑がかかるので
困る度合いというのはコントロールしたりします。

上司が部下にむちゃぶりできないとか。
御客様に迷惑がかかるから
あるていど成長の範囲で
コントロール、マネージメントしないといけないとか
仕事だと、そんな感じになると思います。

そして、社会人経験、仕事経験が増えれば増えるほど。
年を重ねるほどに
(一般的には)
不安定さはなくなり安定に近づいていきます。

慣れもありますが、冒険しない。
みたいな思考にもなるかと思います。

しかしながら、
スポーツに関しては、おもいっきり無理なチャレンジもできます。

え、、、完走できると思ったんですが、
ぜんぜん無理なんですけど。。。どうしよう???

みたいな、「なぞなぞ」を解くって。
なかなか無くないですか?

で、それを身体をつかって行う。

戦争とか震災を持ち出すのは、
ちょっと拡張しすぎな気もしますが。

「想定外の状況で、なんとかする力。」

みたいなのは、
やはり、想定外の状況をこなした場数がものを言う
と思うんですよね。

みなさんもありません?

あのときの経験があるから、
今おきてる、このくらいは大したことが無い。
みたいな感じ。

これって、
この経験、このトレーニングって
スポーツでも代用できると思うんですよね。


なので、言いたいことは

自転車を買って、運動しよう!!

さらには、トライアスロンしましょう!!

ということです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

御注文お待ちしております(笑)

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