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休職日記33


土曜日の朝だというのに、同居人氏2は起きるのが早い。
同居人氏2は今日が6連勤の最終日なので、もう少し起きるのが気だるい、とかあってもいいようなものだけれど、そういうことは全然ない。



元気な観葉植物みたいに、ぴーん!って感じで、朝起きてくる。
そして、前に記事に書いたように、寝ているわたしを起こしにくる。


同居人氏1はというと、どうも昨夜かなり遅くまで仕事をしていたらしく、いびきが漏れ聞こえてくる。


これはそっとしておいてあげよう、ということで、同居人氏2と一緒に朝ごはんを食べた。


同居人氏2はまたお気に入りの白い丸パンを買ってきており、いそいそとよつ葉乳業のバターを塗りたくっている。
ついでに買ってきたアップルパイも食べている。
やはり育ち盛りなのか。
まあ、なんにせよ、何かをおいしく食べられることは、本当に良きことだ。


わたしは、「ベースブレッド」という、ダイエット食品?の食パンを食べた。
継続コースで1年近く続けてはみたものの、運動していないんだからそりゃ効果はないわけで、先日解約したところ。
今月分として届いたベースブレッドが、まだたんまりとある。
味はまずくはないから、苦ではないんだけれども、いかんせん、飽きてくる。
賞味期限も切れてしまったので、いたしかたなく、もそもそと、食べる。


同居人氏2がごはんを食べ終わった頃合いで、同居人氏1も起きてきた。


おこぼれで、白い丸パンをもらい、こちらもバターたっぷりで食べていた。
正直言って、うらやましい。


そうこうしているうちに同居人氏2は出勤。
いってらっしゃい、と見送ったあと、わたしは、近所の図書館へ、本を返しに行った。


図書館の仕事を休職しているのに図書館に行くなんて、自分でも、変だな、と思う。
でも、図書館がやっぱり好きなのだ。
図書館の仕事も、そこで働く人も、みんな、嫌いじゃなかった。
それでも、できなくなった。
それにちょっと、さみしくなった。



前回借りた本は、絶不調もあったし、今のわたしには読むのに体力が必要な本を借りてしまい、結局1冊も読まなかった。
今度はそんなことにならないように、文字が少なくて、余白の多い本を、何冊か、選んだ。


結局、雑誌と、詩集と、児童書を、あわせて10点借りることにした。


図書館に行くと、どうしてもあれやこれやと目移りしてしまって、選べない。
選べないほど本があるなんて、こんな贅沢なことがあろうか。
借りた10冊をリュックに入れて、ホクホクとした気持ちで帰宅した。


それでさっき、早速、大好きな詩人の詩集を読んでいた。
「石垣りん」という詩人が大好きで、この本を借りてきたのだ。



これはとっても小さい判型の本で、収録作品もそんなに多くない。
石垣りんさんの代表作は、こういうものなのだけれど、



今回は、代表作ではなく、「レモンとねずみ」にした。


「表札など」や、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」では、生きてゆくことの重み、を描いているのに比べて、「レモンとねずみ」は、ご本人ではなく、別の方が編纂されたこともあってか、重みよりも軽さ、軽いなかにみえる、つよい眼差しが印象的な本だ。


わたしが詩を書きたい、と強く意識したのは、間違いなく石垣りんさんの作品と出会ったからで、そこからいろんな詩人の作品を読んだけれど、彼女ほどわたしを揺さぶる人は、いなかった。


りんさんはもう、この世にはいない。
生きてきた時代が全く違うのに、わたしは、りんさんの言葉に出会ってしまった。りんさんのようになりたい、そんな言葉を書きたいと、強く願って、うまくいかなくて、詩を書くことをぱたりとやめたのだけれど、それでもやっぱり、わたしのこころの中に、りんさんがいる。


いま、わたしからたまに出てくる詩は、りんさんのような言葉じゃない。
だけれども、その中心には、あなたがわたしにくれた言葉たちが、息をしている。
童話を書くときも、同じ。
りんさんがくれた言葉たちが、息をしている。


詩集って、買おうとするとなぜかめちゃくちゃ高いから、もし、このnoteを読んで、「石垣りん」に興味を持ってくれた方がいたら、図書館で借りて読んでみてほしいなあ。


わたしは、石垣りんさんに、生き方を教えてもらった気がしています。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい