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手話と落語の関係性にみる身体表現の可能性

みなさん手話って知ってますか?見たことはあります?ちょっとならあるかもしれませんね。

では、落語はどうでしょうか?笑点くらいなら見たことはあっても、寄席まで行ったことある人はかなり少ないんじゃないでしょうか?

僕は落語はたまにラジオとかで聞く程度なのですが、まぁおもしろいです。そして表現として実にミニマム。

なんといっても見立ての文化ですから、落語の中では扇子ひとつが箸になり筆になり盆になる。そう振舞われるとそう見えちゃう。

他にも手ぬぐいなんかは皮をむく仕草をすれば芋になり、丸めて置けば財布や巾着になる。もちろん汗を拭う仕草などでも使います。

これらはいわゆるボディランゲージの延長線なのですが、そんな落語と手話に共通点があるという話を昨晩聞いてとてもおもしろかったのです。


体の傾きだけで表現が変わる落語の妙

落語と手話の共通点?と思うかもしれません。一見すると脈絡もなさげ。

でも、この二つって実は結構似ているんです。

(1)ボディランゲージである
落語はラジオでも聞けますが、寄席に行ったり映像で見る場合には咄家の身ぶり手ぶりでより一層話の内容を理解できます。手話も同じく、見ぶり手振りのみで意思疎通をするボディランゲージです。

(2)話者が1人で複数人を演じる
落語は基本的に演者は1名です。例外として2人〜3人で高座に上がるパターンもあるらしいですが、実物を見るのは本当に稀でしょう。そして1名の演者が複数人の登場人物を演じ分けます。手話も同じく、自分の話とAさんの話やBさんの話などの伝聞を交えて話します。

とまぁ、共通点を見てみると結構納得。でも実際に見てみないと微妙な差異はわからないでしょうから、ちょっとYoutube貼っておきます。

古典落語の名作、芝浜です。演者は江戸落語の名人、三代目古今亭志ん朝さん。

【 あらすじ 】
魚屋の熊は怠け者で、二十日も仕事もせずごろごろしている。

このままでは生活できないと妻に懇願され、熊はしぶしぶ魚河岸へ出かけるが、外はまだ暗く寒い。そして着いてみれば、なんと魚河岸がまだ閉まっている。妻が時間を間違えたらしい。

仕方なく待つことにした熊が芝の浜で顔を洗って一服していると、砂の中に何か埋まっているのを見つける。

さすがに名人芸でおもしろいんですけど、視点を変えてみてみると、体のちょっとした傾きや微妙な仕草で夫婦を演じ分けているんです。

このレベルの人になると落語も口演=喋りだけで演じるわけではなく、ボディランゲージのレベルが非常に高くて、むしろ高すぎて自然と理解してしまうので演じていることにすら気づかされません。

先日お話しをした手話話者の方は江戸落語を研究されているとおっしゃっていて、その理由がコレだったんです。


古典芸能にヒントがあるのかもしれない

落語と手話というと、実は落語の方が歴史が長いです。

手話自体は実際に体系化されるようになってきたのはここ数十年の話だそうで、うっすらとしたハンドサイン的なものはもっと前からあったのでしょうが、いまだ国際規格もなく方言のように地域によって微妙に違うところもあるそうです。

数百年の歴史をかけて数々の芸を磨き上げてきた古典芸能の中からボディランゲージの表現のヒントを探る。これってすごく良い着眼点だと思いませんか?

日頃、クリエイティブだデザインだと横文字系の言葉を見ていると、ついつい現在の最新鋭はどこだ!?と海外の先端事例や国内の最新事例なんかを見がちですけど、本当にみるべきは古典芸能の世界なのでは?というヒントをもらいました。

もちろん、両方見るのがいいんでしょうけどね。

今日のnoteをきっかけに、落語に興味を持ってくれる人がいたら嬉しいです。

そうそう、落語といえば以前 #非公式noteボードゲーム部 の部長であるミヤザキさんが持ってきてくれた落語のカードゲームがおもしろかったです。

こういうところから古典芸能に触れるのもいいんじゃないかな?と思います。

みんながやっていないことに興味をもってみる、というのも立派な差別化戦略ですからね。言葉の表現力を探っている方も落語はきっとヒントになると思いますよ。

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