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料理は「スキル」です。

僕のnoteを何作かお読みになられたことがある方はなんとなく察しておられるかもしれないですが、ジェームスボンドよろしく僕は食べたり飲んだりすることに馬鹿らしいほどの喜びを感じる。

自分で作ることも多い。

大学のころ、バイト仲間の家に数人が集まり鍋をしたことがある。自宅を開放してくれた友人の誕生日が近かったのでオレンジリキュールのパウンドケーキを焼いて持っていった。

友人は大層喜んくれた。

それから皆で鍋をするということで、僕はお気に入りのつくねを作り、その他もろもろ準備をし(もちろんビールをのみながら)食べ始めるころにはキッチンもすべて片付けがすんでいるという、いつもの癖を発揮した。

その手際を見て「料理が趣味なんですか?」と一人に尋ねられた。

僕はしばらく考えてから「違います。料理はスキルです。必要に迫られて習得しました」と応えた。

聞いた相手は唖然としていた。

昔はいろいろと映画や音楽、フットボールやフットサルなどのスポーツ、それからスポーツ観戦、キャンプなどお金と時間をかけることができる(お金はかけれなかったが)ことがそれなりにあった。服飾もすきだ。靴も好きだ。

しかし今は、時間がない。

時間をかける趣味ができなくなり、スキルと言った料理くらいしか楽しみがない(といったら大げさだが)。

料理を作っている間は料理に集中できるのがいい。

そんな僕だが、実は飲食関係のバイトしていたとか、一人暮らしが長かったといわけでもない。家を出たのは大学を卒業して社会人になってと、すべからく実家暮らしだった。

小学生のころ共働きの両親が食事を用意できなかったうえ、兄はグレていたので学校からかえると、幼い妹を保育園まで迎えに行き、手をつないで近所の市場まで買い物に行って家族分の食事の準備をしていた・・・・なんて美談(美談か?)も当然のことながらない。

母親はパートに出るくらいのあたりまえな主婦だった。普通に毎食食事を提供してくれた。ありがたいことだ。

しかし、不思議と僕は料理はできた。もともと食い意地が張っていたのだろう。洗い物や食器を準備する、片づけをするなど手伝いをさせられていたからキッチンにいる時間も増えていたので自然と料理に興味が出てきたのだろう。

何より、母親も食べることに執着があり、よくいろいろと連れて行ってもらえていた。

今では実家に親族があつまる折の料理の味を見させられる。正月のお雑煮の出汁(うちはかつおだし)やら鶏飯(奄美大島の郷土料理)の出汁やらそのたもろもろは最後に「啓介味みてくれる?」と母親から言われるようになった。

小学生の頃には母親の料理雑誌や過去のレシピノートなどを暇があればみてた。4年生くらいからスポンジケーキを焼くことに没頭し、自分の誕生日はもちろん、家族、親類の誕生日にもケーキを焼いて持っていった。

そうだ、自分の誕生日のケーキを焼くようなさみしい小学生だった。今考えると祝ってくれ感満載だ。笑えると同時に哀しくなった。

高学年になると普通にカレーやシチューなどは作らされていたし、その頃には片づけまでしっかりとするように躾けられていた。

そのおかげか、小学校・中学校・高校と調理実習の時は家庭科の先生に褒められたものだ。(もっとも家庭科の先生は僕より母親を賞賛していたが・・・・)

大学に入り一人暮らしにあこがれていた僕は、一人暮らしの友人の家で料理を作ることが多かった。18、19の男ばかりだ。何もできやしない。僕が狭いキッチンで準備から後片付けすることも増えた。

当時、長髪だった僕は調理の際は髪を束ねていた。そんな僕の後姿を酒を呑みながらにやにやと笑ってみていた友人がいた。「啓介、ほんま後姿女みてえやね~」と福岡弁丸出しで言っていた。なるほど、確かに冬場に大きめのニットを着ていた細身の僕はそう思われても仕方かっただろう。髪型も髪型だ。

その後、実際に洗い物をしていたときにその友人に後ろから抱きつかれたのだが・・・・。

その後、キャンプをすることが多くなった。遊びではない。仕事でだ。

そのような折にも、料理ができない女子を尻目にたんたんと僕は火を起こし料理を作った。

とにかく一人暮らしの友人の家に行き、小腹がすいたら「なんか小腹空いたからつくっていい?」ときいて了承が出たら、冷蔵庫の中身を物色して勝手に作るということを繰り返していたのだった。

前述のバイト仲間の家に昨今集まった時に「けいすけ~。なんもつくってないで~。どうせ啓介やるやろ~。勝手に冷蔵庫の中あけて勝手に何かつくて~」と言われた。揚句に「鶏肉早めに使って~」と指定もされた。鶏肉で一品作らされたのは言うまでもない。

しかし、それはあくまで己が空腹を満たすという欲求に従う、あるいは、まわりができない、しない、から仕方がないからするというスキルでしかなかった。

それが変化したのは社会人になってからだ。

読書遍歴のところでも登場したが、中学サッカー部の後輩のF原あつし、という者がいる。1歳年下だったが中学時代からうまがあい、社会人前後にF原あつしの兄とあつし、僕や僕の兄などでチームを作り、サッカーをすることがよくあった。

F原家は変わっていて、土日の晩御飯はF原兄とあつしとで交代で作ることになっているらしかった。僕も普通に家に呼ばれてF原一族の中に混じりご飯をごちそうになることも多々あったのだが、二人とも料理がうまい。

ある日、仕事終わりにあつしと久しぶりに飲みに行こうと思い誘ってみた。あつしは「今、家で酒飲みながら本読んでいるんで、けいさんうちにきて」と言った。時刻は23時をまわっている。あつしは実家暮らしだ。「家族の方いいのか?」というと、「みんなそれぞれに本読みながら飲んでるから一人増えたくらいで何の問題もない」とあっけらかんと言ってきた。

家に着くとリビングに通され、あつしは「とりあえずビールでいいですか?」と冷蔵庫を開けて「キリンとアサヒどっちがいいですか?」と聞いてきた。僕は「じゃあキリンで」とリビングに突っ立ったまま答えた。

ダイニングテーブルでワインのボトルとグラスをおいて読書をしていたF原母は本から目を話し、僕を見ると「ああ、いらっしゃい」というと再び視線を本に戻した。

F原父は風呂に入っていたようで、風呂上りにリビングで棒立ちしている僕を見ると、「おお、いらっしゃい」といい、「あつし、ビールとって」とビールを飲み始めた。

愛犬の白いヨークシャーテリアは僕の足の周りを走り回り、僕はなおさら動けなかった。

あつしは僕のビールをもってきて、「けいさん、何やってんですか。ほらスーツ脱いで貸して。くつろいで」と僕のスーツを上着をはぎ取ると「お、夏用ですね。仕立てたんですか?リッチ~」といい、上着をかけてくれた。そうだ。季節は夏だった。F原父も風呂上りに短パンTシャツだった。

僕は誘われるままダイニングテーブルで読書をしているF原母の隣に腰を掛け、霜がかったグラスに自分でビールを注いだ。

F原母は「坂井田君、ビールでいいの?あとでこのワイン一緒にのも」といい、再び本の世界に入っていった。

「けいさん、飯食いました?」

「いや、まだ」

「今だったら、パスタくらいしかできないけど、いいですか?」

「あぁ、おかまいなく」

そういうと、ひとしきり冷蔵庫や棚を開けたり閉めたりして再びきいてきた。「けいさん、カルボナーラ食べれます?」

「あぁ、食べたことはないが大丈夫だ」

そうだ、僕はカルボナーラを食べたことはなかった。どうもカルボナーラというと女子供が食べるようなものの気がして敬遠していた。男はだまって(注文するときはもちろん声に出す)アーリオ・オーリオだとオイル系ばかりを食していた。

てっきり、レトルトのソースを温めてゆであがったスパゲッティにぶっかけるものだと思っていた。あつしは違った。ちゃんとフライパンで炒めている。卵を溶く音が聞こえる。

「こいつマジなやつだ」

僕は思った。

できあがりは、とても女子供がたべるものではない。卵の黄色いソースに黒こしょうがこれでもかとちりばめられていた。旨そうだ。ほのかに酸味のある香り。白ワインの香りだ。これにはビールよりワインだろう。

こんなものを女子供にたべされることができるだろうか。いや、できない(反語)

「けいさん、ごめん。ちょっとパンチェッタの塩加減間違えて塩辛いと思う」

(なんだこいつ・・・・パンチェッタまで手作りかよ・・・・正気か・・・・)

驚嘆した。そして、狂っていると思った。しかし、そんなあつしが2割増しで格好良く見えた(実際F原兄弟は男前兄弟で通っている)

もちろんカルボナーラは比べようもないほど旨かった。文句なしだ。比べようにも比較の対象がないからだ。

あのカルボナーラをこえるのはここ数年までなかった。「あつしのカルボナーラ」がNO.1だった。

ここ数年まで更新されなかったほどインパクトが強かった。僕の中でカルボナーラと言えば「あつしのカルボナーラ」だった。(外でやはり食べようとはおもわないからだ)。

今は順位は更新された。「彼女のカルボナーラ」を食べたからだ。

あつしは「やっぱり塩抜きの時間をもう少し・・・・」などとぶつぶつ言って酒を呑んでいたが、あっという間に僕はあつしのカルボナーラをたいらげた。なんなら、「後2人前は食べれるよ」、的な感じだった。

それからだ。僕は料理に熱を上げだした。もともと食べることと呑むことには執着が強い。自分で食べたいものを作りながら酒を呑み、出来上がった肴をつまみながら酒を呑む。こんな楽しいことがあるのか?と発見したからだ。

ベトナムに来る前に、最後に日本で髪を切っておこうと、馴染みの床屋に行った際店主に「最近、外で飲んでます?」と聞かれた。「たま~にですね。それより、家で自分で作って飲む方が楽で楽しいですから」といった。

店主は「そうなんですよね。一緒です。」というとさらに「僕いくの、寿司とか割烹とか焼き鳥だけになっちゃいましたよ」と続けた。

フレンチは敷居が高く、また値段も張るし、飲みに行くような場所ではない。巷にあふれかえるイタリアンバルやフレンチバルの料理だったら、ある程度自分で再現できるし、その方がコストパフォーマンスに優れている。という理屈らしかった。

なるほど、その考えは面白いし、的を得ていると感心した。

出始めた当初はフレンチバルもイタリアンバルも物珍しく安価にフレンチやイタリアンをつまみつつ酒を呑めるというのはよかったが、今の時分になると物珍しいメニューもなくなるし、びっくりするくらいおいしいということもない。アヒージョやコンフィなんてありきたりだ。家でも作る。僕の飲み友達は家でハモンセラーノをまるごと買おうかと真剣に悩んだと言っていた(その人も料理好き)

もう少し値が張るビストロやレストランになると到底太刀打ちはできないがそこは料理を食べる場所になってくる。当然の飲むが酒がメインではなくなる。

しかし、寿司や焼き鳥はそうではない。寿司はとても家で握ろうとは思わないし、焼き鳥は手間とコストがかかる。炭火を起こす準備からと考えると気が遠くなる。割烹はやはり魚の扱いや出汁が違う。家庭ではできない。

家で飲むのは楽だ。そして楽しい。

「今日は日本酒の気分だから、最初に簡単にできてビールとつまめるやつをかって、飲みながら日本酒のあてを作ろう。腰を落ち着けて日本酒は飲みたいからなぁ。お、イワシ3尾で200円かきれいだな。こいつでいっぱいやるか・・・・2尾はなめろうにして、1尾は刺身にするか・・・・」とか

「今日はワインな気分だから、ルッコラとトマトでサラダで、お、アボカド安い。これを前菜にして・・・・イワシも安いよ3尾で200円だもんな。きれいだな。こいつを今日はトマトとソースで・・・・そうそう、ホールトマト買わなきゃ。」

などと買い出しに行きながら考えることがとても楽しい。

ニタニタしながら、かつ、ぶつぶつと何かを呟きながらスーパーを徘徊する40手前の男は通報される一歩手前までいっているだろう。

僕は「ケ」の料理もつくるが、「ハレ」の料理をつくるのが好きだ。

(カリフラワーのムース)

(奥・バーニャカウダ・手前・ローマ風モツ煮込み(勝手に命名))

(アリスタ)

メニュー構成を考える時からすでに楽しい。買い出しも楽しい。作っているのももちろん楽しい。


そして、「美味しい」といってもらいながら食べるのが一番楽しい。幸せだ。

そんな風に好きな人を幸せにできる料理は、もはやスキルではなくった。


※写真は彼女との記念日のために僕がちゃんとつくった過去の栄光です




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