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ライフラインは紙切れ1枚?命の危機を本気で感じた、イタリアでのガチ迷子 part1

みなさんこんにちは。BLACKです。
好きなパスタはカルボナーラです。

前回の記事で書いた通りメッセンジャーを通じて世界中に友人が出来ていく中で、初めて海外へ招待していただいたのは、イタリアでした。

「ヨーヨーチャンピオンになると、イタリアにも招待してもらえるんだ!すごい!」

などと、初めのうちは喜んでいましたね。この後、何が起こるとも知らずに。

2003年の冬、まだスマートフォンも普及していない、ガラケー全盛期の時代の話です。


Delayed

渡航当日、成田空港で電光掲示板を確認すると、搭乗予定のフライトの横に見慣れない文字が書いてありました。

「Delayed(遅延)」

どうやら、自分が乗る予定の便が遅れているようでした。


家を出るのが遅れ、搭乗まで時間が無いと焦っていた私は、

「よかった、時間に余裕が出来た。遅延と言っても、きっと30分~1時間くらいかな。」

と安心した気持ちに。

しかし、チェックインを済ませ、保安検査場や出国審査を通過し、ゲート前に到着した私の耳に飛び込んできたのは、こんなアナウンスだったのです。


「機材交換のため、出発が遅れる見込みでございます。新しい出発時刻は、7時間後となります。」


7時間の遅延。

これには、かなり慌てました。

と言うのも、当初の旅程は、以下のようなスケジュールだったからです。


成田発: 12:00 → ミラノ着: 17:00
(ミラノでの乗り継ぎ2時間)
ミラノ発: 19:00 → ヴェネツィア着: 21:00


成田発が7時間遅れると、乗り継ぎ地のミラノに着くのが深夜0時頃。

その時間からでも、ヴェネツィアへ向かうことが出来るのか?

それとも、ミラノで1泊して翌朝の便という事になるのか?

その場合のホテルの手配は?ホテルへの移動は?


また本来は、ヴェネツィアの空港到着後、招待主であるイタリアのヨーヨー大会主催者と合流、一緒に車で市街地へ向かう予定でした。

しかし、成田時点で航空会社の方に聞いても、「ヴェネツィアへの移動については、ミラノ到着後に現地スタッフに聞いてください」の一点張りで、現時点でどう合流するか予定を立てることはできない。

とりあえず、イタリアの大会主催者であるCarlo氏に現状を伝えるべく、航空会社の方に電話を借り、Carlo氏の携帯電話へと連絡。


・どうやら、フライトが7時間遅れるらしい

・今日中にミラノからヴェネツィアへ移動するのは難しいと思う

・いつ、どこで合流すべきかは、ミラノ到着後にまた連絡します

という3点を、たどたどしい英語で伝えました。


「バス」という言葉の定義

スマホの無い時代にゲート前で7時間を過ごすというのはかなり堪えましたが、おかげで機内では爆睡。

気付くと、本来は乗り継ぎ地点であったミラノへ到着しました。

時刻は、やはり深夜0時をまわっていたと思います。


入国審査を済ませ荷物を受け取り到着ロビーへ出ると、そこに広がるのは、全フライトが終了しガランとした空間。

しかし、よく見るとロビーの一角に人だかりが。

どうやら、乗り継ぎ予定のあった乗客たちが、係の方とやり取りをしているようでした。


自分もそこへ混ざり、ヴェネツィアへ移動予定であった旨を伝えると、

「ここミラノで1泊して明日のフライトで移動していただくか、今からバスで移動していただくかお選びいただけます」

とのこと。


正直、体力的に限界だったのでホテルで休みたいというのが本音だったのですが、自分はイタリアのヨーヨー全国大会のゲストとして渡航費を出してもらっている身。

大会の審査員も務める予定だったので、翌日からのミーティング等に出席するためにも、一刻も早く現地入りする必要があります。

疲れた身体に鞭打って、バス移動を選択しました。


「何時間かかるのか分からないけど、航空会社がバスで移動できると言うのならせいぜい2,3時間くらいだろうし、また車内で爆睡しちゃえば感覚的にはすぐ着くだろう」


そう思いつつ待っていると、そこに現れたのは1台の古いワゴン車

「荷物は後ろのトランクに入れてくださいね。」

とうながす航空会社のスタッフさん。


え、バスって、これ!?


飾らずに言うと、正直かなりのオンボロです。

しかも、8人乗りに対し乗客6名プラス運転手の方で合計7名と、かなり詰め詰めで乗る形になり、とても道中ゆっくり眠れそうな様子ではありません。

加えて、12月のイタリアは最低気温1~2度とかなり寒く、吹き込んでくるすき間風は安眠を許してくれませんでした。


それでも、長旅の疲労によりうとうとしながら揺られること4-5時間。

ワゴンのドアが開く音で目覚めた私は、車が停まっていることに気付き、どうやら目的地のヴェネツィアに到着したのかな、と理解し、車の外に出ました。


私がスーツケースを降ろすとすぐにワゴンは発車。

時間は、まだ薄暗い4:30am頃だったでしょうか。


「Carlo氏に連絡しようにも早朝過ぎるので、せめて7:00amくらいが適切だろう。」

空港なら、それまで休めるベンチくらいはあるかな、と思い周囲を見回すと・・・


ヴェネツィアの“どこか”

足下は石畳。見える建物も石造りやレンガ造り。

飛行機の音は全く聞こえず、見えるのは川やゴンドラばかり。

どうにも、空港とは思えません。


そう、私はてっきり、本来の目的地であったヴェネツィア空港へ連れてきてもらえると思っていたのですが、実は空港ではなく、ヴェネツィアのどこかへ到着していたんです。


12月の寒空の下、4:30amにヴェネツィアのどこかへ放り出されてしまった、当時大学3年生のBLACK青年。

2003年の出来事ですから、スマホや海外で通じる携帯電話も持ち合わせていません。

果たしてどうなってしまうのでしょうか!?


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