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ハラスメントに怯えず、孤独を“ひとりマグマ”に換える組織開発

人には、不安を和らげたいという欲求があります。これは、現代がVUCA時代あるいは格差社会と呼ばれているから生まれた欲求だったり、あるいはSNSに象徴されるバーチャル社会に対する反動であったりするかもしれませんが、本来的には、多くの動物にも共通して備わっている欲求であって、それは本能と言っても良いものだと理解されています。
そしてこのような欲求は、人を通じて安心を感じること、すなわち人と安心できる関係を持つ(人と繋がる)ことで満たされると考えられています。単純に言えば、「一人じゃない」「助けてくれる人が身近にいる」「頼っても良い」と思えるということです。しかし、その本能が満たされていないと感じる人が多くなっているのも、事実かもしれません。
そもそも、この欲求を満たすには、物理的に触れられるという行為が必要だと考えられています。この時、触れてくれる対象は、誰でも(何でも)良いのではなく、信頼関係を築けている人物に限られます。
発達論的に考えれば、幼児期に抱かれるという原体験が出発点となります。そして幼少期には、手をつなぐことや、頭を撫でられることや、ケガをしたりお腹が痛くなった時にさすってもらったりすることで、触れるというレベルや方法が多様化していきます。さらに成長していくと、息のかかる距離に居てもらえるだけで、さらには同じ空間(家など)に居ると感じるだけで安心感が獲得できるようになります。そして信頼関係の深まりとともに、声(電話)だけ、あるいは手紙だけでも感じることができるようになります。余談ですが、メールやLINE(もろんワープロで打った手紙も含まれる)が手紙の代替になるかは、確かなことは言えません。手書き文字は声と同じように、その人が表現されますが、デジタル化(均一化)された“モノ”から、果たして“その人”を感じることができるのか…?
さて、このような安心感は、人を“外”の世界に誘います。親といるよりも、友達といる方が楽しいと感じるのは、親との間に安心を形成できているからに他なりません。つまり、「帰る場所がある」と思えるからこそ、外に飛び出して行けるわけです。このような成長段階を経ることによって、人は外の世界を積極的に探索するようになります。換言すれば、不安が拭えなければ、外に目を向けることはないのです。この点で、物理的に一人でいることと孤独はイコールではなく、ある意味“ひとりマグマ”(積極的、意図的に一人になり、得たいものを得ようとする行動~博報堂生活総合研究所)であると理解することもできます。
そして、外の世界を探索していくなかで、少しでも不安を感じたら、安心を確認します。そして安心が確認できたら、また外の世界を探索しにいくのです。このような繰り返しによって、最初「安全な避難場所」であったものが、「安心の基地」になると考えられています。
さらに安心を与える人は、原体験を与える人だけではありません。親から親族、近隣の人、さらには先生や友人など、その数は増していきます。それによって「安心の基地」が増え、『安心感の輪』が形成され、より遠くへ、そして長い時間一人でいられるようになるわけです。だから、その対象者となった者は、変わらずに「安心の基地」で在り続けることが重要となるわけです。もっとも、上司として部下の「安心の基地」になろうとするには、無理があります。現実的には、部下の一生を背負うことはできないのですから、部下にとっての「安全な避難場所」になることが重要だと思われます。殊に物理的接触がハラスメントと誤解される危険度が高まった現在、これでさえ実現することは容易ではありません。非接触なノンバーバル・コミュニケーションに努めることが最善であるように思われます。
一方、このように対象者は、原体験を与える人から離れていくに従い、その関係性は希薄になっていきます。したがって、時には「安全な避難場所」ではなくなることもあります。このような経験が精神発達となり、人間の社会性を構築していくのだと考えられています。すなわち、対象者との関係性は、原体験を与える人から離れていくに従い、自らが構築していくことも必要になるのです。
ところで、このような安全圏の構築にあたっては、人によりスタイルがあるとされています。例えば、自ら構築することに躊躇する結果、自分のことを隠したり、他者と距離を置こうとしたりする人がいます。また、人間関係にとても敏感で、相手にどう思われているのかが常に気がかりとなる人、あるいは人と親密に関わることが容易で、信頼(頼ったり頼られたりすること)を心地よく感じる人などもいます。これらは持って生まれたスタイルであり、良し悪しも、優劣もありません。
一見すると(その瞬間は)損得があるように見えますが、“心の距離”は自分でしか測れないものであり、他者に惑わされる(他者と比較する)必要はありません。重要なことは、自分の思考のクセを知り、勝手な思い込みを排除することでしょう。つまり、相手のスタイルを知り、それを受け入れることです。周囲は自分基準で見ず、関係性は自分基準で構築することがストレスフリーに繋がるのだと思われます。
個々人が、自己肯定感を高め、協力的に取り組む組織文化を形成するとは、他者にも自分にもスタイルがあり、そこには裏も表もないことを理解することではないでしょうか。そして、そのためには、この原点に立ったコミュニケーションを、組織行動の源泉にすることが、上司にとっても部下にとっても、新入社員もシニア社員も、必要なのだと考えます。

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