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「みんなに意見聞いてたら収集がつかないだろ」への違和感

職場の中で、ときどきふっと生まれるセリフ。

たとえばの事例。あくまで妄想だけど、職場のトランスフォーメーション(変革)の推進部門の責任者Aと担当者Bが会話を繰り広げていて、冒頭のセリフが生まれる。

B:すいません、A課長!
A:どうしたB主任? というか、全社トランスフォーメーション人材化プロジェクト報告書、まとまった? 来週の経営会議で報告する予定なんだが。
B:すいません。まだ着手すらしてません!
A:自信満々に言うな。まあいい。どうした?
B:業務処理のデジタル化について○○部の部長に説明したんですけど……。
A:で、どうだったの? 何となく想像つくけど。
B:○○部長に、現場担当者にも私から説明して意見集約してほしいって。
A:お前がやれよって感じだよな。でも、みんなの意見をイチイチ聞いてたら収集がつかないだろ
B:そうなんですけどねぇ。けんもほろろ、とりつくしまもなく……。
A:わかった。俺から○○部長に話するわぁ。まったく。

この後の展開は、「経営レベル」とか「上から」とか「鶴の一声が~」といった漠然としたことばを免罪符に、現場への説明をおざなりにしてヌルヌル進める、ということになる。

そして、こうしたリーダーシップもオーナーシップもない漠然とした方針と説明では誰もやる気も起こらず結果的にうまくいかない。目に見えている。

ただ、ふと思う。

なぜに職場では、こういうセリフを生みがちなんだろう、という違和感。だって、社会のどんな決め事も、満場一致で進むことなんてなくない? 学園祭の出し物でも、国会での議員立法でも。

程度の差は会社によりけりだけど、職場には秩序に対する過度な厳密さ、があるように思う。これが、昨今のトランスフォーメーション(変革)の足枷になる。

たとえば、職場で仕事の進め方を見直す、新しいシステムを入れるなどして、既存の仕組みを変えようとする場合、強迫的なまでの反応に出くわす。強迫的とは「きわめて強い不安や不快、恐怖」を指す。

冒頭の会話のように、推進部門が案を持ちかけても、現場責任者は下からの反対に対峙することを回避したがる。なぜなら、「意見を一度聞いたら、採用するか却下しないといけない」という考えが当たり前だからだろう。

この結果、推進部門は現場との対話を回避して、穏便に(むしろ秘密裡に)進めようとする。問題の先送り。もしくは変革の取り組み自体がとん挫する。トランスフォーメーション"あるある"である。

この原因って何?

「波風立てず」という考え方、マインドが問題なんだろう。けっきょく。精神論になってしまうけれど。

なぜそのようなマインドになってしまうのか?

会社の既存の仕組み、根幹になる業務フローが長いあいだ固定化していると、何かを変えるたびに伴う不安や恐怖への耐性が薄れる。これが一つ。

もう一つは、変化を受け入れる過程での衝突、対立、折衝への慣れが無くなってしまう。人間は、変化に不快や腹立たしさを感じる、という前提が忘れ去られる。

この結果、会社としては「わが社もトランスフォーメーションしなければ!」と経営レベルが鼻息を荒くしても、現場に具体的な話が及んだ途端に、強迫的な拒否反応が生じる。

そして、推進部門もどのように対応をすればよいのか、経験がないために、なるべく矢面には立たないように説明を回避する。

もっといえば、こうした推進部門に抜擢される人間はエース級の人材であり、「会社としての意思決定で、業務命令なんだから、言うこと聞けよ」と非協力的な社員に高飛車に臨んでしまい、溝が深まるなんてことも。

どうすればいいのか?

職場での新しい取り組みでは、推進部門は反対者がいることを前提で臨まないといけない。むしろ現場担当者に主体的に参加してもらうべく働きかけることが役割だろう。それが現場の心理的安全性の確保につながる。

推進部門の人はたいへんである。会社のため「善かれ」と思って働きかけても理解されないし、現場からは不快をもたらす悪魔か疫病神かのごとく忌み嫌われる。陰口を叩かれまくる。

それでも現場社員に寄り添いながら、根気強く変革していく。取り組みが進めば進むほど生傷を負う。トランスフォーメーションの受難者。そういう人が、いまの日本の職場に増えてきているんだろうなぁ、と思うと心配。

ぼくはフリーランスの身分なので、どの口が、という感じだけれども、現代の受難者であるトランスフォーメーションの推進者には、会社の心理的なケアやサポートを手厚くしてあげてほしいな、と願う。

そして、そういう受難者が職場にいるのなら、忌み嫌う気持ちを抱えたままでけっこうなので、温かく見守り、気が向いたら協力してあげてほしい、とも思う次第である。

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