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オタクである自分を認められたあの日まで #2

#2 入り口はイケメンの存在だった

前回の「#1 オタクを辞める“べき”だと思っていた」の中で、

ちなみに私のオタクで在り続けたい理由というのは、リアコと呼ばれるものでもなければ、推しの容姿や人間性、作品が好きだからというものでもない。

と綴った。たしかに現在の私は綴った通りである。きっと本当に容姿“だけ”が好き、というオタクはどの界隈でも多くはないように思う。容姿がきっかけになることは多々あっても、そこに別の要素が加わらないと、そこまでの熱狂には繋がらないのではないか。“推す”ことにまでは至らないのである。

しかし、私のオタクの原点。人生最初の推しができた理由、好きになった理由は「カッコいいから」だった。そう、イケメンとの出会いだった。なぜなら、その推しの人柄や活動のことなんて理解できるような年齢ではなかったからだ。



「イケメン」という言葉は非常に便利である。「イケメン」と発するだけで、他者となんとなく同じイメージを描くことができる。一方で、「イケメン」の定義、すなわち「どんな人をイケメンだと思うか?」ということについては個々人の価値観が表れ、大人になっても飲み会で取り上げられる永遠のテーマだ。「誰がイケメンだと思う?」なんて芸能人に限らず、職場のメンバーのことなんかで大盛り上がりすることもしばしば。とにかく推しがいる・いないに関わらず、日常的に使われる身近な言葉である。

でもふと思う。そもそもイケメンってなんだ?どんな人のことを指すんだ?「イケてるメンズの略だよな?」と思い、辞書をひいてみた。大人になって辞書をひくことになるとは。そしてこんな言葉をひくことになるとは。世の中何があるかわからない。
辞書によると、

「いけてる+(顔を意味する)面」とのこと。

え?顔に限定した言葉なの?という衝撃。内面に対する意味もあると思っていた。そうか〜〜顔なのか〜〜。その定義であると踏まえ、改めて考えた時、冒頭の話に戻る。私が人をイケメンだと思った初めての相手のことだ。



私の中で記憶にある、自覚のあるイケメンとは3歳の時に出会った。24年経った今も忘れることのない人生初めての推しである。その推しは河村隆一。おそらく私の世代でもギリかもしれないが、伝説のバンドLUNA SEAのボーカリストである。ちなみに出会ったきっかけはさすがに覚えていないのだが、親が好きだったとかいうことではない。ある日突然どこからか見つけてきて、「カッコいい、好きだ」と言い出したらしい。3歳児のミステリー。

自分でも覚えているのは河村隆一の下敷きを左手に持ち、お気に入りの「まやこちゃん」という人形に「河村まやこちゃん」という名前をつけて、右手に抱え、毎日過ごしていた。毎日河村隆一、一色の日々を過ごし、遂にある日、母に「駅員さんに『はい』って渡すやつを渡したら、河村隆一お家に来てくれるかな?」と言い出したらしい。まだ切符という言葉も知らないのに、いわば自分の家までの交通費を出したら、家に来てくれるんじゃないか?という発想だ。我ながら天才か?と思う。河村隆一は3歳児までをも虜にし、河村隆一に虜にされる3歳児がここに存在していた。


次に覚えている人生第二の推しは山下智久・赤西仁・大倉忠義のジャニーズイケメン三銃士である。歳の離れた姉がジャニーズにハマったことをきっかけに山Pと出会ったのだ。NEWSがバレーボールのイメージキャラクターを務めていた頃の話だ。まさしくキラキラ輝く“アイドル”という存在を私に教えてくれた。コンサートというものも経験し、応援グッズであるうちわやイッピ袋を作ったり、振付を覚えたり、雑誌を買い漁ったり、グッズを集めたり、推しを応援するということの基礎をここで学んだ。夢の世界を見せてくれた3人である。感謝。


河村隆一には3歳の時の、ある一時期だけだったが、ジャニーズイケメン三銃士は小学3年生〜中学1年生頃までの約5年間もの間夢中になった。しかし当時の私は、オタクという感覚も推しという感覚もなく(そもそもオタクや推しという概念がメジャーではなかったと思う)、ファンである感覚が強く、強いて言うのであれば、ジャニヲタだ〜!という同世代の友達よりもちょっとだけ大人な趣味を持つ特別感を楽しんでいたように思う。
そして推しに求めていたことはまさしく「イケメンであること」だった。画面の向こうで輝く彼らを見ていることに幸せを感じていた。「夢を見せてくれる王子様」に憧れていたのだ。
この経験こそが、何かに夢中になることの楽しさを教えてもらったものであり、ここから私のオタク人生が始まるのだ。

ちなみに後にも先にもシンプルにイケメンに夢中になったのはこの時だけだった。貴重な私のシンデレラオタク時代。今や容姿だけで好きになることは難しくなってしまった。容姿や表情、立ち振る舞いの裏にある人間性に目がいくようになった。私も大人になった。この頃の自分と今の自分を比較すると、オタクの経験として紆余曲折があったことを感じる。



大学時代、一緒に推しを推していた友人から言われた言葉がある。
「(おけいには)推しを妖精枠に移行する能力自体はあると思うけど、本能が『嫌だ』って言ってるんだと思う。」
ここで言う妖精枠というのは、推しを俯瞰で見られるようになることを指している。適度な距離を保ち、推しを応援することとも言える。残念ながら、俯瞰、まではできていなかったが、適度な距離で、という点でいうと、それができたのは今考えれば、このジャニーズイケメン三銃士までと、社会人になってからしかなかった。その間の学生時代は捻くれ、拗れて、依存し、摂取するように推しを推すこととなる。くっつきすぎたり、疲れて離れたり。つくづく思うが、オタクという生き物の情緒は扱いづらく厄介だ。


次回は私のオタク人生の中でもいちばんディープな時間を過ごした話。所謂黒歴史ではあるけど、同時に人生の宝物。




おけい

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