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Structure of the organism〜生物体における構造の意義〜

 一部の例外を除いてあらゆる動物は、必ず死を迎える。このことは私の記事で幾度となく述べてきたことであるし、皆さん自身の経験からもご存じのことと思うため、改めて述べるまでもないことだろう。

 死に付随したテーマを過去の記事で何度も扱ってきたが、今回はもっと根本的な問題を考えてみたい。それは、そもそも死とはどう定義付けられるものなのかということだ。

 死という概念が余りにも当たり前のことである私たちからすれば、何とも莫迦らしい疑問に思われるかもしれない。しかし、生物の誕生や死といった概念には、常に定義付けの議論が行われることを思い出してほしい。例えば、私たち人間の誕生に関しても、日本と欧米で若干の認識差がある。日本では出産を誕生と見做す傾向にある一方、欧米では受精が起こった時点で生物が誕生したと見做す傾向にある。このように、生物の誕生に対する定義付けは、法律や文化的背景によって異なっている。生命の誕生に関してこのような状態にあるのだから、当然死という概念も法律や文化的背景の影響を免れ得ないものであることが分かる。

 つまり、死とは何かという根本的な問いかけに対して、私たちは人間の決めた法律や長年の慣習を以てしか答えられないわけである。それほど死という現象は難しいものであると同時に、多くの人の頭を悩まし続ける根本的な問いかけなのである

 しかし、死は難しいものというところで思考を停止させててしまうと、余りにも面白みがない。なぜなら、死というものは生きるということと密接に関連しており、死を理解することと生命を理解することは言わばコインの裏表のような関係にあるからである。加えて、生命科学に取り組むものからすれば、死という現象に向き合わずして、生についても語れないというのがある。確かに、生命科学は生きているものを対象とするが、同時に生きていることに対しての関心も忘れてはいけない。生きることに目を向けるのなら、その裏側にある死ぬことに対しての理解も深めなければならないのである。

 そんなわけで、本稿では死を普遍的に定義付けるに当たって、どんな点に着目すれば良いのかを生物の個体性と個体発生の観点から考えてみたい。この際に一つの鍵となるものが生物体の構造であるため、”構造”という観点を念頭に置いて是非読み進めていただきたい。そして、動物にとっての死とは何か、生きることと死ぬことはどう関連付いているのかといったところにも少し踏み込んでみようと思う。

1、生物の個体性

 皆さんはポール・ワイスの思考実験をご存じだろうか。その名の通りポール・ワイスという生物学者が考えた思考実験であり、その内容が聊か残酷であるため、どこかで聞いたことがあるかもしれない。

 内容としては、次のようなものである。先ず、発生途中のニワトリの胎児を実験用の管にいれる。次に、どんな方法でも構わない(ミキサーにかけるなど)が、このニワトリの胎児を磨り潰して均一な溶液を作り出す。これで実験は完了となる。では、元々のニワトリの胎児とその後の均一な溶液の間で何が異なるだろうか?ちなみに、ニワトリの胎児もすり潰した後の均一な溶液も、原子組成は全く同じものとする。

 さて、この思考実験の残酷さは除外したとして、皆さんはこの思考実験の問いかけに何と答えるだろうか。人それぞれの考え方があるかと思われるが、恐らくニワトリの命が失われたという考えが多いのではないだろうか。勿論、ニワトリの命が失われているのは当然である。つまり、ニワトリの胎児と試験管の中の溶液で決定的に異なる点は、生き物であるのか、或いは生き物を構成する物質の集合体であるのかというところである。断り書きで述べた通り、どちらも原子組成は同じであるものの、片や生物として存在することができ、片や生物として存在していない。このことは冷静になってみると非常に不思議なことで、物質的には等価な存在でありながら、生物的な意味では全く異なる存在になっているのである。

 このことから、当然次のような疑問が生じる。物質と生物を隔てる存在とは一体何なのだろうか、と。この疑問に答えるに当たってヒントを与えてくれるものが、生物の個体性(individuality)という概念である。個体性などという概念は馴染みがないかもしれないが、要は生物が個体として存在するためにどのような条件を満たせば良いのかというものを表わしている(文献 1 )。具体的には、原子→分子→細胞→組織→器官→個体という階層構造をとっていることと、それぞれの部分が密接にコミュニケーションをとり統合されていることの2つの条件が満たされるとき、それは個体性を満たす生物と見做される。本来、個体性という概念は個体を定義するものであるが、多細胞生物に限っては生物として存在することとも同義になっている。先ほどのニワトリのような話で言えば、ニワトリの溶液は原子レベルでは全く同様な存在でありながら、階層生と各部分のコミュニケーションを失うことによって生物ではなくなっている。このことから、個体性という概念は多細胞生物が生物として存在する条件とも換言できるわけである。

 どうやら、ポール・ワイスの思考実験から、個体性があるか否かによって生物と物質が隔てられていると考えられる。何となく小難しいことを言っていると思われる方もいらっしゃるかもしれないが、要は生物の体の構造が崩壊してしまえば、それは生物とは言えないよという話である。人間にしても肉体がなくなってしまえば、死んだと見做されることは当然のことである。また、肉体そのものは残っていたとしても、生命活動が行われなくなれば、生物体は維持できなくなり、腐敗が進行した末に最終的には骨しか残らなくなる。この定義付けは様々な場面で活躍し、例えばクラゲの学術研究をしようと考えた場合、クラゲの構造が消失してしまったときにそのクラゲは死んだと見做したりすることが多々ある。つまり、これは人間に限らず、あらゆる動物の死を定義する際に有効な考え方であると思われる。

 以上のことにより、生物と物質を隔てるものとして、その生物の体の構造が機能しているかどうかという観点があることが分かる。単に生物を構成する原子や分子を集めたところで、それが生物と言えないことは誰の目からも明らかであり、その原子や分子を構造に従って秩序付けてこそ生物になるのである。原子や分子そのものは周囲の環境によってその平均的な運動は自ずと決定(統計力学などにより分析可能)するが、生物の場合は生物体の持つ特殊な構造によって、原子や分子の運動を制御していると言える。この構造が崩壊してしまえば、生物の体など分子の運動によりバラバラになるのがオチである。従って、生物体の構造とは生きるために不可欠なものであり、またそれが崩壊することにより死を迎えると結論付けられる。

2、個体発生と個体性の崩壊

 個体発生に関しての説明はもはや不要と思われるが、初めて私の記事を読む方のために少しだけ説明しようと思う。個体発生を一言で言い表わすのなら、受精してから個体が死ぬまでの一連のプロセスを扱うものである(注 1 )。例えば、人間で言えば両親の配偶子が融合してから、その人間が死ぬまでのプロセスを個体発生と言う。つまり、図 1 のような受精から死までの一連のプロセスを個体発生と言い、生物がどのように変化していくのかを調べる上で非常に重要な概念である。

 さて、個体発生の一連のプロセスを表した図 1 をじっくりと眺めてみてほしい。この図を先ほどの”生物体の構造”という観点から見てみると、面白いことに気が付く。個体発生の前半に当たる受精→誕生→成熟までのプロセスでは個体性を構築するベクトルを有しているが、後半部の老化→死というプロセスでは寧ろ個体性の崩壊するベクトルを有している。今一つピンとこない方もいらっしゃるかもしれないため、人間の個体発生で考えてみよう。

 人間では、両親の配偶子が融合するところから体力のピークを迎える20代頃までが前半部に該当する。受精から出産までは一つの細胞から赤ん坊にまで成長するため、当然細胞→組織→器官→個体という階層化が起こっていることが分かる。また、胚の発生(狭義な個体発生)では予定中胚葉が外胚葉を内胚葉へ誘導する(ウニの胚発生で有名な現象)などの現象が起こっており、各部位のコミュニケーションが行われていることが分かる。このことから、まさに受精から誕生までは個体性の構築が最も激しく行われている時期と言えるだろう。しかし、誕生したからと言って個体性の構築が終わるわけではない。例えば、大脳などの各種臓器は誕生後も成長を続け、所謂大人になるための個体性の構築が行われている。こう考えてみると、個体性の構築、つまり人間の体の構造化は或る程度の時期まで続いていることが分かる。

 では、後半部はどうだろうか。老化をすることにより体のあちこちにガタがくることになるのだろうが、これは構造性の緩やかな崩壊によって起こる現象と捉えることが可能である。例えば、DNAの変異や結合組織(真皮に当たる)を構成する分子の量の減少などによって、老化に関連した様々な現象が引き起こされる。これらはDNAやタンパク質といった個体性を維持するものの構造的な崩壊と言うことができ、まさに生物体の部分的構造が少しずつ崩壊していく結果として老化が引き起こされていることが分かる。そして、究極的な死という部分では、先ほども述べたようにまさに構造の完全な破綻によって引き起こされる現象であると言えるわけである。

 このように、個体発生は生物体の構造を構築し個体性を獲得していく現象と、生物体の構造を崩壊させ個体性を失っていく現象という正反対の現象が組み合わさったプロセスであることが分かる。よくよく考えてみると、これは非常に興味深いことである。と言うのも、生物体の構造を構築するプロセスは生物として存在するために不可欠である一方、構造を崩壊させるプロセスは無用なものに思えるからである。勿論、これには本来の分子運動を制御づけることの難しさが潜んでいると考えられる。多細胞生物は分子本来の運動を制御する精密機械のようなものであり、そんな精密機械を半永久的に動かすことそのものが不可能な芸当に近いと言える。一般的な精密機械は徐々に劣化し、何れ壊れてしまう。多細胞生物もそれと同じことで、最初は分子の運動を制御できていても、その構造に綻びが生じ、最後は構造に支障をきたすということだと考えられる。つまり、個体発生における後半部のプロセスは、生物が複雑な構造を持つという特徴から避けて通れないものであると予測されるわけである。

 従って、個体発生というプロセスには個体性を支える生物体の構造の構築が組み込まれている一方、複雑な構造物が徐々に劣化していく過程も組み込めれていると考えられる多細胞生物が個体性を獲得する、つまり多細胞で生物として生きていくためには、多細胞生物特有の構造が不可欠であったと考えられる。しかし、その一方で構造を半永久的に維持する能力も失い、有性生殖という戦略を獲得していったのではないだろうか。そんなことが、生物の個体発生から読み取れるわけである。

図 1 生物の個体発生の過程

3、終わりに

 以上の議論から、生き物が物質と異なる存在になり得たのは、まさに生物体の構造に起因しているのではないかと考えられる。この構造が崩壊すれば、それはもはや物質としてしか存在しないことになるとともに、その生き物は死んだと見做される。つまり、死を定義付けるに当たっては生物体の”構造”が最も重要な観点になる。特に、動物にとってはその動物の構造こそが生命線になるものだと言えるわけである。

 このような動物特有の構造は、言わずもながら生物の個体発生によって構築されるものである。受精、胚発生、成長という一般的なプロセスを経て、その動物は成体として個体性を確立する。その一方で、動物の体は高度な作りになっているため、非常に複雑な構造になっている。そのため、精密機械で言う劣化のような現象、つまり老化が起こる。そして、生物体の部分的な構造の崩壊が積み重なることで、やがて構造が完全に崩壊し死を迎えるのではないだろうか(注 2 )。仮にこのような話であるとすれば、動物は複雑な構造の元に生きる選択をしたからこそ、老化や死といった現象を生み出したと言える。

 勿論、複雑な構造のトレードオフとして死を獲得したというのは単なる想像の話である。しかし、複雑な構造の元に生き、そしてその構造が崩壊することで死ぬということは一つの事実のようである。つまり、生きるということは生物体としての構造の構築・維持という現象であり、死ぬということは生物体としての構造の崩壊である。従って、生き物では構造が非常に重要な働きを担っているのであり、ポール・ワイスの思考実験において失われたものとは生物体としての構造(ポール・ワイスはこれを生物学的組織と表現した)であることが分かる

 死を定義付けることは難しいと言ったが、人間も写真のウニ(プルテウス幼生の段階)もこの構造があるからこそ生きられるのであり、その構造が失われたときこそが死と捉えるのが今のところ最も妥当であると考える。皆さんは、死をどう定義付けるだろうか?



注釈

(1)狭義な意味で個体発生を扱う場合は受精から成体になる(直接・間接発生を問わず)までのプロセスを指し、学術的に個体発生を研究する場合もこの範囲を扱うのが一般的である。しかし、広義に個体発生という場合は受精から個体が死ぬまでのプロセスを指すと同時に、再生現象といった分野も扱うことがある。本稿では広義な意味での個体発生を個体発生と定義し、特に断りがない限り全てこの意味で個体発生という言葉を使用する。

(2)この問題は非常に難しく、ひょとしたら構造全体の崩壊を抑制するために部分的な崩壊を許容する仕組みになっている側面もあるのかもしれない。例えば、老化の一つの特徴である細胞老化はヘイフリック限界に起因した現象であるが、本来はテロメラーゼを発現しヘイフリック限界を無視した細胞の増殖も可能である。しかし、テロメラーゼの過剰発現はガン化を引き起こすというマウスでの実験結果もあり、老化をすることで致命的な死を遅らせているという考え方もできる。そのため、老化の蓄積で死ぬというのは偏った見方であり、死なないために老化をしている側面もある可能性が存在する。

参考文献

(1)巌佐庸, 倉谷滋, 斎藤成也, 塚谷裕一(2013). 岩波 生物学辞典 第5版, ”個体性”. 岩波書店.

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