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猫のように暮らしてみたい(その27)

私は精神障害者年金の申請をして2級の手帳を交付された。

現在は年金と少しの貯金を取り崩して生活している。

とりあえず生計のめどが立ち、私は思考を停止することにした。

時間に縛られず、
MUSTしなければならない事を放棄し、
無理はせず、
気乗りしないことはやらない。
出来なくても気にしない。
眠ったら毎日リセットして元通りと思う。

もちろんすぐにそう出来た訳ではない。
それなりに葛藤し時間をかけて
そういう自分を受け入れていったのだ。

うつ病になり、
双極性障害になりまたうつ病になり・・。
かれこれ12年以上いろんな不調になった。

その間色々なことを考えたり思い悩んだり
迷ったり焦ったりずっと堂々巡りで日々過ごしてきた。

今もはっきりとした答えは出ていない。
答えはたぶん探したところで見つからないだろう。


まめ ひびき ちょこ

それでもまだ自分がこうして生きていられるのは、
3匹の猫と2匹の犬のおかげかも知れない。

自分のために出せる力が尽きたと感じても、
みんなが居てくれたから生きてこられた。


しゅうとくっついて寝るちょこ

この子達の面倒を見るのは自分しかいないんだ
という思いが支えになっていたと思う。
みんなにご飯をあげないとな、
トイレも掃除しないと、
たまにはお風呂に入れよう、
猫ご飯カリカリ買いに行かなくちゃ。


大きくてやさしいぶん

今思い返すと自分を動かす原動力はこの子たちだった。

あぁそうか、

人間はひとりでは生きられないと聞くが、
それはきっとこういう事なのかもしれない。

自分以外の何者かのために自分の力を使う。
それが人であっても猫であっても
犬であっても、植物であっても。

それが人間の本来の姿であって、その何かに、
誰かに尽くすことで「生」を感じる
生き物なんじゃないだろうか。

人間は神様を模して造られたと言う。
似ているだけで神ではないから不完全だ。
だからいつも何かが足りないと感じている。

その何かが欠落した感覚を誰もが持っていて、
それを埋めようと探し求め彷徨っている。
足りないから何かを誰かを
求めてやまないのかも知れない。

いくら自分の中に原因や答えを探しても
見つからないはずだ。
自分はずっと近くに一緒に居たのに
ちゃんとこの子達を見ていなかった。
いつも自分の事ばかりで。


まめとしゅうなかよし

それならば自分のことなど忘れてしまう程の
愛を与え続けることが
「幸福」への第一歩なのではないだろうか。

自分が求めることを優先させるのではなく、
何の見返りも期待せずただ自分の愛を与え続けること。

それを生きる事の軸にできたなら
自分は安らかな気持ちや
満足感を味わうことができるかも知れない。

はっきりと確信がある訳ではないが、
自分はまずは一番身近なこの猫たちに
本気でまじめに向き合ってみるところから
やり直してみたいと考えている。


今日も読んでくださった方ありがとうございます。


田中もなかは読者様のサポートをパワーに執筆活動をしています!よろしくお願いします!