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『風景に自分を接続していく』 半農半セラピスト 竹田麻里さんインタビュー

こんにちは。おでかけスコープです。
私たちは「人と自然の関係性を捉え直す」を軸に、世界の見え方を、ほんのり揺るがしてしまうような視点の発見と、そうした視点を体感できるプログラムづくりを行っています。
今回は4/22,23に開催する、
瀬戸内海の島で、人と自然の関わりを考える
~流れを追うと視点が変わる二日間~

というプログラムで、自然の見方のガイドをご担当いただく半農半セラピストの竹田麻里さんに、
これまでのご活動や、『自然との接続』についてインタビューをさせていただきました!
 (プログラムの応募締め切りは4/19(水)です!ぜひご参加いただけると嬉しいです!!)

竹田麻里さん

竹田麻里
半農半セラピスト。呉市郷原で自給的な農を目指した「まりもり自然農園」を営む。
「耕さず」、「肥料・農薬を用いず」、「草や虫を敵とせず」を原則とし、自然に沿い、応じ、任せるという自然農の在り方を実践しながら、同時に大地の再生の矢野智徳氏からの学びを得て、水脈と空気の流れを意識した農地づくりを研究・実践を行う。

「自分で食べるものを作ることができれば人と会わなくても生きていけるかも」

自然農のきっかけは、ひきこもれるかもしれないという希望から

―今日はありがとうございます。島ではいつもお話しさせてもらっていますが、実は麻里さんのこれまでを伺ったことはありませんでした。早速ですがご経歴を伺ってもいいですか?

竹田さん:ネガティヴだけど、いいですか?(笑)
10代の頃家族関係があまり良くなくて、いつも両親が喧嘩をしていたんですね。 二人とも余裕がなかったのが原因だったのですが。 それで自分も体調が良くなくて、中学から不眠症になったり、便秘がすごく続いたり。
同時期、人間の環境破壊が報道されるようになっていて、熱帯雨林が焼き払われているとか、オランウータンが森を追われているとか。
だから生きるのが苦しい、なぜ生きていかないといけないのか、とずっと思っていたんです。
学校の勉強もあまりできず、美術の短大に行き卒業してからは就職氷河期時代でフリーターに。書店員だったのですが、09:00~17:00まで体力が続かず、ちょうど連載が始まったワンピースを読みながら寝るみたいな(笑) そんな感じで心身ともにずっと不安定だったのですが、
生きていくためには食べることが必要だからと農業の棚を眺めていると、福岡正信さんの『わら一本の革命』という本に出会って衝撃を受け、無為自然の思想に惹かれました。

福岡正信
人間の管理による近代農法を否定し、自然が本来持つ力だけで作物を育てる「自然農法」を提唱し、実践した福岡正信。土を耕さず、肥料・農薬を与えず、雑多な種を包んだ【粘土団子】を蒔くだけで作物を育てることに成功し、近代農業の常識を覆した。自然農法は特に海外で注目され、自ら足を運んで食糧不足や砂漠化に悩む途上国に向かい、普及に尽力する。元は農業の研究者でありながら、その科学や文明に背を向け、独自の農法を実践し続けた生涯が語られる。

福岡正信|人物|NHKアーカイブス

対人関係もなかなかうまくいかず、できれば人と関わらずに引きこもりたいと思っていたのですが、「そうだ、自分で食べるものを作ることができれば人と会わなくても生きていけるかも」と思いつきました。
福岡さんへの憧れもあり、実際に会いに行ったのですが、「君は自然のことをわかってないから、アホになれ」と言われました。
福岡さんにお会いしたあと、自然農に希望を感じていたこともあり、川口由一さんという方が主宰する赤目自然農塾に入塾しました。
そこでは自然農について学ぶと同時に、一緒に通っていた方々が今の文明社会はおかしいんじゃないか?ということを老若男女問わず真摯に考え取り組まれていて、カルチャーショックを受けました。
赤目自然農塾での体験が自分の基礎となっているところがあります。
一方で、両親からはお金を稼ぐことを説かれ、そのコントラストについていけないところもありました。

川口由一
奈良県桜井市在住。1939年、農家の長男として生まれる。小学6年の時に父親を亡くし、中学卒業と同時に専業農家となる。化学肥料、農薬、機械を用いる農業になじまず、心身共に疲労するなかで、生命を損ね、環境を汚染し、資源を浪費する農業の誤りに気付き、38歳の時に、「耕さず、草や虫を敵とせず、農薬、肥料を用いない」自然農を始める。試行錯誤を繰り返すなか、いのちの営みに添う自然農の栽培技術とその理を確立する。

赤目自然農塾
まりもり農園の畑


「手の感触、足の感触、胸を味わうとか、心地よい感覚を大切にする」

再起は自分の世界観を大切にすることからはじまった

―ありがとうございます。赤目自然農塾の後、いつ頃から畑を持ち始められたのですか?

竹田さん:赤目自然農塾には足かけ3年間ほど通いながら、自分で二枚ほどの畑を借りて
しかし、全然育てることができませんでした。一つは体力的な問題。特に自然農は機械を使わずに自分の身体で畑に入るので、ある程度の体力が必要でした。
そしてもう一つは、事象を見れていなかったこと。川口由一さんの手引書なども読みながらやっていたのですが、全然うまくできませんでした。例えば豆に芽が出なくて、掘り返してみたら、ぐちゃっとなってダメにしてしまったり・・・今思えば、頭でっかちになっていて、自然と対話ができていなかったのだと思います。
2年ほど畑で試行錯誤をしていたのですが、30代になって体を壊してしまいました。
20代の終わりに精神的にも不安定になっていたこともあり、依存症や摂食障害になり、自分の心身を保つのが難しかったです。
そこで出会ったのが藤原先生というお医者さんでした。広島大学の医学部をご卒業された方だったのですが、東洋医学も勉強されていて、鍼灸や漢方、補完医療や代替医療など、薬を使わずにじっくりと向き合っていただきました。二十代の終わりから藤原先生には、かれこれ十数年お世話になっているのですが、その間にも、福岡さんや川口さんのようなカリスマの思想や考え方に、のめり込んでは疲れ果てるということを繰り返していました。
大地の再生にもその頃出会ったのですが、またのめり込んでしまえば同じことの繰り返しになってしまう。そうしたら、藤原先生から、「麻里さんは自分の世界観でやってみた方がいい」という言葉をいただき、もう一度自然農をやってみることにしたのです。

大地の再生 結の杜づくり
造園技師・矢野智徳(やのとものり)が長年にわたる観察と実践のくり返しを経て見出した環境再生の手法を学び、傷んだ自然の環境再生施工と、この手法の研究・普及啓発をテーマに活動しています。(中略)特に水脈は大地の要であり、分断されてしまうと様々な環境破壊を起こします。そこで私たちは、依頼のあった地域に赴いて分断された水脈・地脈をつなぎ直し、その土地の自然と人間の共存を目指す環境再生施工を行っています。

大地の再生 結の杜づくり

再び始めるにあたって、飯田茂実さんというダンサーの方との出会いも大きかったです。自分は、こうした方がいい、こうせねばならない、という強い言葉や正しさにこれまで縛られていました。そこまで美しくなることができない自分が疎ましかったんです。
でも、飯田さんのおっしゃる、手の感触、足の感触、胸を味わうとか、心地よい感覚を大切にするという考え方に救われました。言葉を大切にするかたで、言葉を味わうとか身体感覚をもって言葉を味わうとか、自分の感覚に素直になるという考え方に大きく影響を受けました。
おかげさまで、自分が畑に入るときも、今まで囚われていた「これが正しい、こうせねばならない」ということから少しづつ解放されて、とにかくさまざまな感覚を楽しむことができるようになりました。
すると、初めて自分の畑でお米を作ることができたんです。それで、いけるなと思いました。

まりもり農園での作業の様子
えのきのはたけ郷原市民農園有限責任事業組合も立ち上げており、
隣では違う方が畑作りをされている。


「風景に自分を接続していく」

人が特別な存在ではなく一つの生き物でしかないという感覚が、自分を肯定する

―初めに畑づくりに挑戦したときと、再度挑戦したとき、どんなことが違いましたか?

竹田さん:まず自然に沿うには体力が必要ですが、体力がついてきて、精神的にも落ち着いてきました。すると自分の周りの事象をみられるようになりました。
自分のやっていることは、隙間でごそごそと、虫とあんまりかわらない感じでごそごそしている、遊ばせてもらっているイメージなのですが、自然をコントロールしようとするのではなく、あくまで、人が一つの生き物でしかないという感覚になることができました。

それと、自己効力感もつきました。例えば埋まってしまっている水脈の溝を直してみる。すると周りの苔の色が変わる。食い潰すだけじゃないことが、ちゃんと人にもできる、ちゃんと良い影響を与えることができると思えたんです。
そうなってくると、モグラとかオケラとか猪とか、他の生き物たちの動きの規則性にも気づくことができるようになりました。なんでここを掘ったんだろうとか、どうしてこういう掘り方をしているんだろうと、他の生き物の活動が無意味なものではなく、実は良い影響を与えるんじゃないかと見えるようになって。
自然の一部になるというか、風景に自分を接続していく、という感覚になれたんです。
生きてていいのかとずっと思っていたのですが、風景の中の自分の存在意義が感じられたのがありがたかったです。
少し水脈の話をさせていただきましたが、大地の再生の矢野智徳さんと出会ってからは、水脈の重要性に感銘を受け、とにかく溝を掘りまくっていました。

2023年2月に竹田さんが企画された、『「杜人」に学ぶ 大地の再生 呉講座 2月』
大地の再生の矢野智徳さんを招いて開催された。

私の営む「まりもり自然農園」は呉市郷原町にあるのですが、水が豊富な土地なのもあって、氾濫しないための川辺の工事によって、水脈が堰き止められている影響が大きくあります。
水脈が詰まっていると、さまざまな循環が止まってしまい、上流にある植生の元気がなくなってしまったり、土砂崩れが起こったりと、大きな悪影響を与えてしまいます。なので自分の土地の中だけでも、水脈を通せるように溝を掘っていたのですが、掘れば掘るほど、初期の頃はどんどん良くなっていって、やめられない止まらない感じになってしまいました(笑)
特にまりもり農園の中にある大きな榎があるのですが、溝の整備によってみるみるうちに元気になっていきました。今は、榎と話ができるような感覚が自分の中にあって、榎の様子を見ながら農園の状態もわかるようになっていきました。

左の大きな木が『榎』

これは聞いた話なのですが、現代人は溝を見てすらいないけれど、戦前の人は草を刈った後に溝を手入れしていたらしいんです。手入れの仕方も大切で、現代の土木ではコンクリートで固めていますが、それだと溝に水や草木が流れる時にスピードが出過ぎてしまう、適度な速さが大事なんです。

掘られた溝の様子
水が自然と流れ出す


「消費するだけではない、自然との関わり方があるのでは」

依存をしない生き方は”耕うん”にヒントがある

―ありがとうございます。お話を伺っていて、流れを育む溝の重要性を痛感しました・・・最後になるのですが、これからの活動への思いも伺ってもよろしいでしょうか?

竹田さん:自分自身、カリスマに惹かれてしまう、依存してしまい、結果的に体も心も不安定になってしまうということを繰り返してきました。
ですが、同じカリスマと会っても、持っていかれない人もいる。なんでだろうと考えた時に、自分がある人、拠り所がある人が持っていかれずらいし、ない人が持っていかれやすいんだろうなと思ったんです。自信がない、自分にokが出せないからのめり込んでしまう。だから、依存をしないために、自分が自分である、その人がその人であるということを保証する、そういう状況を創出できたらいいなと思っています。
それと、私は耕すことは依存なのではないかと思っているんです。自分の農園では不耕起栽培、つまり耕さないのですが、『耕うん』はやっています。

耕起は農業において、そのままでは作物の栽培に適さない土壌に対して、掘り起こしたり、反転させることです。 それによって、表土を破砕して土壌を柔らかくし、乾土効果をもたらすことを目的としています。
一方で耕うんとは、土をまんべんなく砕いてやわらかく耕すこと。 耕うんによって土に空気が混ざり、ふんわりと柔らかな、作物の根がすんなりと伸びる土にすることができます。

本田技研

農耕の歴史は10000年前くらいから始まりましたが、メソポタミアや黄河文明は、耕しすぎた結果、地下水汲み上げすぎて、海水があがってきて塩害で農耕が壊滅してしまったといいます。大規模に耕起をやってしまうと土の元素を大気中に放散してしまい気候変動にも影響与えているというエビデンスもあるそうです。
そこに畜産が加わると、当たり前に行っている食べる行為が、土地の豊さを保つよりも食い潰す方にいってしまいます。限りある資源になってしまうからこそ、人と人のパワーバランスの差が大きく生まれてしまい、結果として搾取や依存に繋がってしまうのではないかと思っています。消費する立場でしかいられないという感覚です。
消費するしかできないからこそ、生み出す方に依存してしまう。
一方で、かつての先住民の人たち、未開の人と呼ばれる人たちは、その土地の資源を食い潰さずに暮らしていました。その姿に依存を感じないというか、消費するだけではない、自然との関わり方があるのではと、妄想ですが新しい文明のヒントがある気がしています。

(おわり)


聞き手:福崎陸央・横須賀道夫
撮影:福崎陸央


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