ほぼ毎日エッセイDay5「二十億光年の孤独」

実存的な不安を常日頃から抱えるには、私は年を取りすぎた。眠り、起き、そして働き、壁のカレンダーの赤い日付と、足元の掃除ロボットの仕事ぶりを眺めているその間で、我々はようやく手持ちぶさたに不安を抱える。


「1年後は何をしているんだろう」
「1年前はこんなことになるなんて思ってもみなかった」


火星に探査機が降り立ったニュースが流れる。開かれた広大な砂漠に生命体の痕跡がないかと人類の期待を背負った探査車パーサビアランスが、降り立ったと。生命体の痕跡を証拠として得られれば、かなりの進歩である。歴史的にも科学的にも哲学的にも娯楽的にもロマンが溢れる。

宇宙船に付着した地球の生命体が、なにかの間違いで火星の生態系(もし本当に現存するならば)に影響を与えないようにするため、彼らは細心の注意を払っている。同じような理由で、火星から持ち帰る土に関しても、国際的な取り決めで厳重に地球の生態系から隔離するらしい。

火星の生命が(火星人とそれをざっくばらんに捉えてもいい)ひとりぼっちで死んだとき、あるいは今も大きな孤独を抱えて生きていたとしたら、我々の持つ実存的な孤独とはレベルがたとえ違うとしても、我々と火星人は惹かれあうだろうか。

なんでもないのにくしゃみが出そうなとき、火星人のことを思うと実存的な不安も宇宙の霞となって霧消する。


辛い時、くしゃみは我慢することはない。

この記事が参加している募集

よろしければお願いします!本や音楽や映画、心を動かしてくれるもののために使います。