ソラニン

おろおろ映画日記-第1回 ソラニン-ささやかな満足から抜け出せなくなってる

2011年の今頃、僕は好きな女の子に『ソラニン』をやたらと薦めていた。すっごく、いい話だからって。前年に公開された、浅野いにお原作の実写映画『ソラニン』。当時、なにより僕は宮崎あおいが大好きで、『好きだ、』や『ただ、君を愛してる』、『少年メリケンサック』、『篤姫』、『海でのはなし。』などなど彼女の出演作品を見漁っていた。はて、あの子は見てくれたんだろうか。単に邦画でよくある、大切な人が死んじゃう、でも前見て歩こうっていう単純なハッピー青春映画ってだけじゃないんだよ。

それで、『ソラニン』の話なんだけど、僕はここに自分の未来を夢見ていた。
東京の片隅の、河川敷沿いのアパートに彼女と同棲して、会社の文句をグチグチ言いながら、仲間と一緒に好きなことして生きていくみたいな。そういう等身大の満たされた生活があって然るべきなのだと信じていた。しかしその、恰好の付かない、がらんどうで漠然とした生活への憧れは、叶った瞬間に、虚ろな響きを鳴らす。ギターのサウンドホールのような空間にサビれた弦の音色が響いていく。

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『ソラニン』は、どこにでもいるような人間が考える、ありふれた若者の話で、不条理な世の中で、時に破滅的になりながらも前へ進んでいく瑞々しさ、青臭い雰囲気が丁寧に描写されている。
就職氷河期の中やっと就職した会社に限界を感じて辞めて、にっちもさっちも行かない檻のような時間のなかで、大学時代のような束の間の自由を満喫する芽衣子。ほとんどフリーターの恋人・種田は、バンドで食っていくという夢を諦めきれずに拗らせている。社会人=大人というのならば、大人になりきれていない。バンド仲間の加藤もビリーも、バンドを諦めきれないけれど、かといって本気で向かい合えるほどの度胸もきっかけもない。そこには人生単位の葛藤が横たわっていて、だけど決断できなくて、ダラダラとした時間だけが毒のように溜まっていく。芽衣子に激励され、それを打破しようと真剣に夢に向き合ったところで、結局それも上手くいかない。その矢先、種田は事故死してしまう。
失意の中、芽衣子はあらゆる「もしも」に苦しむ。発破をかけなければ、あのとき別れていれば、そもそも付き合っていなければ…。だが、ふと手にした種田の日記帳にソラニンの歌詞が走り書きされていて、新たな決意もそこに書かれていた。「大切なものが見つかった。また明日から頑張ろう」
芽衣子はソラニンが、恋人との別れの曲ではなく、過去の自分との決別を歌った前向きなものだと知る。そう思えた彼女はステージに立ち、ソラニンをうたう。

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日本では、なにになりたいかと聞かれて職業を答えなければならない暗黙の了解みたいなものがある(今は変わりつつあるのかな?)。それで、その職業を見定めて、中学校では良い高校に行くために勉強をし、そして、その職業に直結するような大学を目標に、また高校でさらに勉強を重ねる。
でも、なれなかったその時は? 本当になりたいわけでもなかったんだよ、とある友人Aは言う。たしかにな、と言いながら僕は電動カミソリで髭を剃る。
なれたところで理想と現実にはやっぱり差があってさ、本当にこんなことしたかったのか分からないと友人Bは嘆く。そういうもんなのか、と僕はネクタイを結ぶ。
あれ、ちょっと待った。じゃあ僕は一体全体なにになりたかったんだっけ? 
一日中液晶画面で目を苛めた、その帰路、ガードレールに腰掛けて一考してみる。とりあえず自分で稼いでいるし、それなりの生活を営んでいる。よろしい。
ただ、脱モラトリアムの影の中で、歯が浮いてしまうような発言も出来ず、奥歯を噛み締めている。何かしゃべろうとすると犬歯が唇を噛んでしまう。痛ぇ。

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5年ぶりくらいにこの映画を見返してみて、あまりに劇中の人々と生活がシンクロしてしまっていて、時折つらくて、弛んだ希望も、張り詰めた不安もまざまざと手に取れるように感じてしまった。人生単位の葛藤は、僕の寝床に横たわり、何食わぬ顔して枕の上の夢を食っている。皮肉なことに、僕が高校時代に夢見た未来の残像は、実体を失いかけたその手で僕の肩を抱き寄せる。まぁいいじゃないか、と。東京の片隅の、河川敷沿いのアパートに住んで、退屈な生活への愚痴を吐きながらも週末は仲間と遊んでるじゃないか。

思えばそれは、ゆるい幸せというやつかもしれない。だがしかし…、、

中学校の時買ったギターを売ろうかと思っているんだ、と友人に話した時、彼は「それは絶対にだめだ」と言い放った。そしてこの前電話した時、「お前んちで掻き鳴らしたい、高校ぶりに」と彼は言った。


映画を見返した後、クローゼットにしまってあったエレキギターを取り出した。ギターをEADGBEにしっかりチューニングし、4フレットにカポをつけ、Eadd9を鳴らす。恰好の付かない、がらんどうで漠然とした生活の虚ろな響きがコイルとアンプに増幅され、木造アパートを揺らす。たぶん苦情が入っちまうだろう。ヘッドフォンを買わねばなるまい。

思うことは、ギターを掻き鳴らすような青臭い衝動はまだ僕の中にもあるみたいだ、ということだ。そういう衝動を後生大事に抱いて生きていくのかもしれない。

退屈にだらっと続く日常を幸せなんて呼んで 満たされたふうな格好だけの大人になんてならねぇぞ!

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ソラニンというタイトル、これ自体が全てを表している。じゃがいもの芽の毒。多量に摂取すれば中毒になってしまう危険な成分だが、じゃがいも自体の成長には必要不可欠なのだ。
ともすれば、矛盾を抱えた我々青年期を肯定してくれる、優しくて残酷な言い訳を手に入れることが出来たも同然だ。
もう少し大人になったとき、僕はこの映画を真っ直ぐ見ることが出来なくなるかもしれないな、という恐れもある。

だからこそ、今見返すことが出来てよかった。この映画は、たぶんすっごくいい映画なのだ。


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