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何者にもなれない俺達の逆襲

趣味で培ったクリエイティブなスキルを副業で提供し、対価として食事をごちそうしてもらう「〇〇でメシを食う」シリーズの近況。

最近は投稿こそ少ないけれど、地元でデザイン事務所を営んでいる友人がけっこうな頻度でメシを食わせてくれる。私と彼とそのお仕事について記す。

※副業ではあるけれど、純米酒やギョウザや天然塩で現物支給されるため、本業で禁止されている副業規定には該当しないものとして堂々と書く。

私とデザイン

私自身はもともとエンジニア出身で、使いやすいUIを追求するうち、デザインがやりたくなって転職して今に至る。もともと人間中心設計(デザイン思考みたいなもの)から入って専門家を張っているものの、実のところ色や形を対象とした狭い意味でのデザインはできない。

では何が出来るのかと言えば、ユーザーや市場を調査・考察すること、作るべきモノ・インタラクション・ビジネスモデルを言葉や図解して認識を合わせること、ソフトウェアの仕様へと落とし込むこと(←前職の本業)、デザインの使いやすさを評価して改善することなど。

(広い意味の)デザインを遂行する上では重要なことで、それなりにプロジェクトに貢献している自負はあるけれど、いかんせんデザイン組織において(狭い意味の)デザインが出来ない奴は活躍できないことも分かってきた。それが「何者にもなれない」である。

周囲に得意な人が多い影響から、写真や映像に興味が湧いて、出来ることだけは増えてきた。多くの事をそれなりに器用にはこなすけれど、どれも第一線で戦える程ではない器用貧乏である。

彼とデザイン

小学校の同級生だった彼とは、一緒に学級新聞を作っていた頃からの仲で、一年に一度は飲みに行く程度で付かず離れずやってきた。お互いにデザインの世界にいるということで、最近またやり取りが増えている。

彼は彼でクリエイティブへのこだわりが強い。1mmの違いを追及するタイプではないけれど、デザインに意味を込め、物語を紡ぎ、涙腺にうったえかける能力が凄い。いくらデザイン思考を極めても真似できない。

彼は何年か前に「若手デザイナーの登竜門」と言われるイタリアのデザインコンペでグランプリを獲った。日本で史上2人目とかの快挙なのに、ぜんぜん大先生になれていない意味では、商売下手の器用貧乏である。

作文でメシを食う

一言で「デザイン」と言っても、私と彼とは180度タイプが違う。なんなら、彼はクリエイティブの出来ないデザイナー気取り(私)をずっとDISってきた。

きっかけは彼が参加していたローカルな某コンペのお手伝いをした時だった。審査項目がビジコンっぽく、クリエイティブ一辺倒では戦えなかったので、会社から予算をとるためソレっぽい論理的な説明に長けていそうな私に応援要請があった。

結果として出来レース感のあった某コンペでは落とされたけれど、一石を投じることはできた手応えはあった。クリエイティブとロジックが揃えば、鬼に金棒という手応えであった。

それ以降、彼の世界観を汲み取っては言葉で表現する「作文でメシを食う」副業をやっている。最近ではデザインでも言葉による説明が求められることが増えてきたけれど、彼は文章を書くのが苦手である。そこで、(彼に言わせると)作文が上手い私がお手伝いしている。

観光庁のそこそこ大きな予算が採択されたりと、メシを食わせてもらうに値する成果が出始めた。アワードの類のネタも仕込んだので、世の中から評価されることがあればお披露目したい。

深夜のサイゼで野望を語る

深夜のサイゼでワインを飲んでくだを巻きながら「日本のデザイン界はもっとこう…」とか話すのが許されるのは、たぶん美大の学生までだろう。

先日「作文でメシを食う」報酬をいただいた際に、何軒目かで行き着いたサイゼで千円ワインを飲みながら、「俺達がデザイン界に一石を投じる!」と話していた。学生なら許されるだろうけれど、こじらせたアラフォー前のオッサンが話すもんだから、隣のお姉さんも引いておられただろう。

何者にもなれないことを受け入れたつもりが、やっぱり何者かになりたい欲は否定できない。酔って忘れないようにと、俺達2人がこれから成し遂げることをサイゼの伝票の裏に殴り書きした。

俺達は世界初の世に問うようなデザインをやって、ハクを付け、業界の歴史の文脈になる。お互い妻を幸せにする。3年後にはその方法論を本を書いて3万部を売る。…そんな内容のメモをスマホケースにしまっている。

お互いメイクマネーなお仕事も持っていて、もし挑戦して失敗したところで路頭に迷うことは無い。その中で、何者かになる夢を未だに見続けられるのは、男のロマンと言えるかもしれない。

「文章でメシを食う」の道を開くため、サポートいただけると励みになります。それを元手にメシを食ってメシレポします。