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コモディティ化を克服するビジネスとは

栄枯盛衰くらい自明の摂理として、あらゆる製品やサービスが持つ魅力品質は、いずれコモディティ化を経て当たり前品質となる。特に昨今は刹那に価値が消費されるため、魅力の寿命が短くなる。そんな寿命を克服するようなビジネスをつくることができるか?自分なりに考えて、宗教や武士道の類かなと考えた。

狩野モデルの復習

冒頭でサラッと「○○品質」と書いているのは、狩野モデルから概念を借りている。備忘録がてら説明を試みる(関心ない人は最後の節まで読み飛ばしOK)。

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2017年1月に狩野先生から直接お話を伺う機会に恵まれたので、この節では覚えている限りご講演の内容を記す。

狩野モデルを恋愛のライフサイクルに例えてお話していたのが印象的だった。

1.最初はいてもいなくても意識していなかった相手が(無関心品質
2.会えた日は嬉しいことを意識しはじめ(魅力品質
3.付き合い始めは会うと嬉しく、会えないと苦しく(一元的品質
4.停滞期になると嬉しい気持ちは薄れるけど、いないと不自由する(当たり前品質

人生の中でも1つの恋愛が終わって次の恋愛が訪れるように、ひとつの品質も1→4の順番を辿ってコモディティ化し、次の品質が繰り返し発展する。具体的には①機能創造→②性能発展→③操作性向上→④心理的特性向上→①機能創造→...それぞれの中で1.→4.を繰り返す。

書き下すのであれば①-1. → ①-2. → ①-3. → ①-4. → ②-1. → ... → ④-4. → ①-1. → ...のようなサイクルである。

コンピューターの例で言うと①ミサイルの弾道が自動計算できる→②複雑な計算が一瞬で済む→③マウスで直観的に操作できる→④5色のカラバリから選べる→...①スマホ誕生みたいなイメージ。講演での事例はカメラのAFだった。

商品企画においては、自分の業界が①~④のどこに位置するかを意識することで、次の一手の準備に役立つことを強調されていた。このnoteでも1.~4.を搭載案件の優先度づけに活用するような話が多いし、私もお話を伺うまではそのように狩野モデルを捉えていたので、新鮮に感じた。

デザインと狩野モデルの関連

note内にも狩野モデルを扱う記事が多く見つかった。デザインとの関連で言えば、見た目のdesignは④にあたり、操作性のDesignは③にあたり、経営に関わるDESIGNは①~④を包含すると私は捉えている。

1.~4.のどれがデザインとは言えない。時間軸の中で2. 魅力品質としてdesignがもてはやされる時代もあるだろうし、世の中に優れたdesignが溢れれば4. 当たり前品質となる時代もくる。

designを追及するタイミングは重要で、おそらくコンピューターが真空管だった時代①にdesignを追及しても、この時点では無関心なため「ええから性能を上げろ」と言われる。

iMacみたいなカラバリのdesignが喜ばれる時代④には、もはや性能・操作性の改善では差別化しにくいので、そろそろ①に向けて新しい価値を模索しだすタイミングだと判断できる。

design, Design, DESIGNの言い回しについては、以下の記事から拝借した。

無関心品質への投資

1. 無関心品質ではなく2. 魅力品質に投資できれば効率的ではあるのだけど、「外れ馬券ではなく当たり馬券だけを買えば儲かる必勝法」のようではある。新しい価値づくりには不確実性が伴うので、2. 魅力品質をつくる手段として1. 無関心品質に投資する

新規事業界隈で言われるのは、10個に1個でも当たれば100倍のリターンが得られるブラックスワンの性質である。ホームラン狙いにおいて、①~④のトレンドを先読みすることで打ち筋は良くなる。ただ、確率や目利きと言うよりかは、次の時代をどうしたいかという意志の問題と捉えている。

スキルアップなどにも転用が効くのは面白いなと感じている。スキルもコモディティ化するし、昨今ますます短命になっている。ポートフォリオを組んで次世代のスキルにも分散投資することで、10~20年後も食いっぱぐれないようにしたい。

他の話題として、オリジナルの論文でアリストテレスの形而上学まで遡る必要があったのは、存在する品質の善し悪しだけでなく、①機能が無いことまでを品質の範疇で捉えてよいのかというツッコミ対策だと狩野先生が話していた覚えがある。うろ覚え。

アップデートとして「逆品質」なんて話も伺った。新機種を出すごとに機能を追加した結果、多機能過ぎて使いにくくなるのは逆品質なので気を付けよう。

多機能の話題になると引き合いに出されすぎて、むしろ多機能ナイフが欲しくなってきた。おそらく、この製品はコモディティ化を克服している。

コモディティ化を克服するビジネスとは

上に挙げた新機能・性能・操作性・心理的特性ともに、品質が満たされるものは時間が経てばコモディティ化して4. 当たり前品質になる宿命を持つ。寿命という宿命を克服できるのは何だろうと自分なりに考えた。

・悟りの境地
・文化的な儀式
・人生の通過儀礼
・憧れ
・依存

利用者に精進を求める「宗教」や「武士道」は、悟りの境地を目指しても到達できないため、ライフサイクルを留まり続けることができる。憧れがあるために、到達しえない境地を追い求められる。満足度が利用者の頑張りに依存する意味では、狩野モデルの範疇を外れているかもしれない。

「就職活動」は採用者・志望者の両方が創造された文化的な儀式をこなす。めんどくさい儀式だからこそ誠意を示すことができるので、革新や効率化の対象になりにくい。良い企業に勤めたい、良い人を採りたい憧れが動機付けとなる。人生の通過儀礼でもあり、就活生が満足しても次の年には別の就活生が現れる。

「冠婚葬祭」も同じく、文化的な儀式憧れ人生の通過儀礼の合わせ技であるため「一生に一度の事ですから」という殺し文句が効く。ただし、布教した儀式の遂行において差別化ができないと、競合との競争にさらされる。「なくても良い」と気付かれないため、憧れの維持にもコストがかかる。

「タバコ」「ギャンブル」のような依存も、欲求が満たされないためライフサイクルを留まり続ける。度が過ぎるものは法律で規制されるけれど、「レンズ沼」は規制されていないし、たいていのSNSは承認欲求の奴隷にしている。

最近、これらの例に「note」がノミネートされる予感がしている。30日連続投稿の果てに90日、365日があるのは、もはや悟りの境地である。note内で30日連続投稿した人の記事に励まされて、自分も「投稿を続ける秘訣」のような記事を再生産させるのは、外野から見れば宗教か文化的な儀式である。動機付けとして憧れもあれば、SNSやメダルで依存させている。今後、職を求めるクリエイターのポートフォリオを兼ねるようになれば、人生の通過儀礼を担って役満が揃う。noteスゲェな!!

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