坊やの野望 果てしなく


shihoさんが、シャボン玉坊やのリライト編を書いてくださいました。
  ↓ ↓ ↓

シャボン玉坊やは、なんて幸せ者なんでしょう!
命短し弾けよシャボン!って感じです。(意味不明)

私がブツブツ言ってたことをササっと拾って下さって、新たな世界を描き出して下さってます。ホント、有難いです。
私は、今夜からどの方角に足を向けて眠ればいいんでしょうか?とりあえず、南と北はアウト?

shihoさんは、「粘度」という言葉から、お話を膨らませてくださってて。
オーロラのように色鮮やかなマクロの写真を上げて下さってます。物凄く神秘的なお写真なので、是非是非!!
これは、もう宇宙です。マクロの中に宇宙がある。


みんなが無色だと思っているものに沢山の色がある。
みんなが儚いと思い込んでいるものにこそ広がりがある。

透明の光には、本当は沢山の色が含まれていて、虹や夕焼け、空や海の青など、光は時折り肉眼にも映る色を少しだけお裾分けしてくれてるだけなのかもしれなくて、無色透明は、実は最強の色なんじゃないかと。


目に映る形を持たないことが無いことにはならない。
弾けたわけではなくて、消えたわけではなくて、周囲に溶け込んで広がっていく。個と全は、もしかしたら正反対のものじゃないのかもしれない。


上手く言い表せないですけど、shihoさんのお話を読ませて頂いて、「無限」っていう言葉がふわっと湧きあがってきました。



坊やは、あんこさんのストーリーで空高くのぼり、shihoさんのストーリーで全てのものと同化し、そして大きな大きな何かになり、やがてまた何かになって戻ってくる。そしてまた、あんこさんのストーリーに…。

私は、そんな風に感じました。


たった31文字の短歌(実際は29文字ですが…)から、こんなにも素敵なお話を作り上げてくださったshihoさん、そして最初に目を止めて世界を広げてくださった 拝啓 あんこぼーろさん、お二人には、本当に本当に感謝しかありません。ありがとうございました。(私は昨日からこの言葉を何度言ったろーか。有難味が段々薄くなってきたよーに思わなくもない…)









☆余談☆

短歌って、ものすごく取っ付き難いものだと思ってます。
感想やコメントが書きにくいし、何が言いたいのか、どう伝えたいのか、全部説明しろよ!と、思われても仕方ないと。

昔々に和歌と呼ばれ雅といわれる時代に詠まれていた歌。特に、一部の上流階級の人々の間で詠まれていたものは、それなりの教養が当たり前で、同じ知識を持つ者同士の多くを語らない凝縮の文化だったんだと。歌の真意が分からないと、無能呼ばわりされて馬鹿にされたり。(本歌取りなんていうのが、その典型だと。)
その後、短歌の世界がどういう風に変化変遷していっているのかは、よく知りませんが、やはり共通言語や共通意識のようなものは少なからずあるんではないかと思っています。そして、これだけ多種多様になった現代に、そういう感覚はちょっと厳しいとも。
短歌の世界は、よく知らないままですが、なんとなく閉鎖的で難しいと思われているというのは感じてます。でも、それもしかたないのかなと。現代短歌と呼ばれる世界では、なんだか色んな変化も模索もあるみたいですけど。
アタシャ、そういう所に身を置いてないので、よーわかりませんが。

ただ、ある種の言葉が分からない、通じない、のは、無知なんかじゃなくて、♪育って来た環境が違うからぁ~♪に尽きると。

通じなければ意味がない。伝わらなければ意味がない。もっともな話です。

ただ、学があるわけでもない私は、自分自身の目の前に立ち上がってきた感覚や映像を現す方法として、たまたま31文字を選んだというだけで。
脳内の映像や音を取り出して、純度そのままにお見せしたりお聞かせすることは、不可能だから。

同じ言葉でもそれぞれ思い浮かべる景色や色や温度は違うと思います。それでいいと思っています。数少ない共通意識の中でも紡ぎだせるものもあると。

それぞれの世界、映像、風、音、温度、触感、色、などなど、どれか一つでも立ち上げることができれば、それでもう本望。

ということで、今回ほど31文字をまたやり始めて良かったと思ったことはないです。
本格的に勉強されてる方からすれば、何言ってんだ?でしょうけども。
いいんです。noteの隅っこに生息しているこんな小さな虫ケラが、そういう方々の目に触れることもなければ、ご迷惑を掛けることもないでしょうし。笑




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