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WOMAN Life Style & Career Interview|池上朋子<前編>

女性の自分らしい生き方を応援するための、ライフスタイルとキャリアをテーマにしたインタビューブログ。
今回は、このインタビューブログを企画・運営している私自身のキャリアについて書いてみたいと思います。新卒で再生医療ベンチャー企業の開発部門に入社。結婚がきっかけで転居することになり、引っ越し先の土地では今までと同じ業界や職種の求人がなく、新しい業界&職種へキャリアチェンジ。
つわりの激しい妊娠期間、切迫早産、マタニティブルー、産後ブルーを経験後、育児と仕事の両立生活を楽しめるまでに。
現在は、マーケティングがとてもおもしろく、天職ではないかと感じている。もっとマーケティングに没頭できる環境に身を置くため、ポジティブキャリアチェンジ間近。
私がどのように自分らしい生き方を見つけていったのか、自分自身でも振り返ります。大学生活から異業種&異職種のキャリアチェンジまでの話を前編で、妊娠から出産、両立生活が楽しめるようになった現在までの話を後編で紹介します。

池上の紹介

Q出身地
福井県。越前ガニがとてもおいしいです。
Q幼少期のエピソード
夏休みは毎日海へ。夏休み明けは学校で一番肌が黒くなるくらい、海が大好きでした。
Q学生時代に熱中したこと
バスケットボール。うまくないけど、部活の仲間と一緒に過ごすのが楽しかった。

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臨床検査技師への道は病院実習で挫折

「だれかの役に立つ仕事をしたい。」と漠然とした想いから、「だったら医療従事者じゃないか?」と単純に考え、臨床検査技師の国家資格を取得する大学に進学しました。人体や臨床検査に必要な勉強や実験だけをやっている期間は平穏に過ごしていました。

しかし、病院実習がはじまり、「病院」とはどういうところか、「臨床」とは何をするところなのか、目の当たりにしました。病院実習では病気を抱えた患者さんがいて、寄り添う家族の方にもたくさん出会いました。うれしいことや喜ばしいこともある一方、悲しく心の痛むこともたくさんありました。

このまま「病院」を職場にして仕事をすることは、なかなか心理的な負担が大きいと感じ、病院以外で就職活動をしようと思いました。今までの医療に関する知識を活かしつつ、臨床からは少し離れた企業に就職しようと考えました。

再生医療ベンチャー企業へ就職するも、力量不足!?

縁あって、再生医療ベンチャー企業に就職が決まり、開発チームの一員としての仕事がはじまりました。開発中の再生医療製品の有効性や安全性を証明するための研究に携わりました。ベンチャー企業らしく、まだ世にない価値を生み出すための仕事はとても楽しく、同世代の仲間と遅くまで職場で過ごすような日々を送りました。

しかし、開発者に必要な力量や素質が自分にあるとは思えず、今後のキャリアは見通しが立ちませんでした。携わっていた製品の開発ステージが次の段階に移った時点で、大学時代に学んできた知識を活かせる臨床開発部門への異動願いを申し出ました。

長距離移動と病院訪問がストレスに

大学時代に身に付けた知識を活かせる臨床開発部門は、開発中の製品の治験を担当する部署でした。最初に担当になった役割は、病院を訪問して、製品を使用した患者さんのカルテを閲覧し、有効性や安全性に問題がないかモニタリングをする仕事でした。患者さんに近い立場で、医師から患者さんの様子や、患者さんやご家族が新しい治療に期待していたり、満足していることを聞くことができるとてもやりがいのある仕事でした。

日本全国の大学病院を訪問する必要があり、早朝から長距離移動、日中は病院で仕事をし、夜遅くに帰宅する生活でした。この生活がはじまってから、自分がとてつもなく乗り物酔いがひどい体質だと気付き、体調を崩す日々でした。また、診察を待つ患者さんがいる状態で、アポイントをもらっているとはいえ、患者さんや医師の貴重な時間をもらいながら、仕事を進めるのにもストレスを感じていました。

チーム異動で得意分野を発見

臨床開発部内の役割ローテーションがあり、治験の品質管理やデータマネジメントを担当するチームの一員になりました。異動後は、社内での仕事が多く、体調も戻りました。品質管理やデータマネジメントの仕事に携わる中で、「この仕事の本来の目的は何か?」「この法律や規則、ルールは何を目的としていて、何をクリアすればいいのか?」を考えることが得意だし、楽しいと感じていきました。

品質管理を推進するために、一定の品質を誰もが再現できるプロセスを設計することや必要なツールを整備をすることも面白く感じました。自分自身の得意分野や強みとチームに求められる役割が合致し、チームへの貢献ができているという感覚も強く、とてもやりがいがありました。

突然の営業部門への異動命令

得意分野が見つかり、チームリーダーとしての役割にも慣れてきた頃、会社から突然の営業部門への異動の内示を受けました。入社当時に開発に携わっていた再生医療製品が販売されるステージになったため、営業担当者を一気に増やしたいという会社の意向で、私を含む10名ほどが対象でした。当時、会社として大規模な方針転換かつ転居が伴う異動のため、対象者と対象者のいる部署はもちろんのこと、関わりのない部署も少なからずざわざわとした空気でした。

私は異動の内示をを受けた際に「全国各地の出張が伴う営業職は体調や体質的に厳しいこと」「現在の部署での役割が合っていること」を伝えました。また、会社が指定した異動対象者が、性別問わず家庭と仕事の両立を理由に転居が難しい人が多く、会社が一方的に指定するのではなく、営業職に関心のある人を募った方が、その後の成果が上がるのではないかと伝えました。

結局、私のように体質や体調的に営業職での勤務が厳しい人は営業職ではなく別部署への異動となり、転居が難しいという人は異動命令が出ることになりました。転居が難しいという人の中には退職を選択した人も何人かいて、会社と従業員の中で”溝”のようなものを感じました。

営業職への異動命令を断った後、再生医療製品の開発を監査する部門へ異動しました。それまで開発の現場で経験してきたことが活かせ、第三者的立場での視点が求められるようになり、一段視座が上がったように思いました。

結婚でキャリアチェンジを決意

結婚をすることになり、夫が住む地域に引っ越すことを決めました。何より移動時間がストレスになる私としては、勤務継続をすることは難しいと判断し、転職活動をはじめました。引越し先の地域で転職活動して、これまでの業種や職種の求人がないことに気付きました。転職支援サービスの求人を眺めていると、どうしても”条件”の部分に目が行ってしまい、何を決め手にしたらいいのかがよく分からなくなりました。

夫とこれからの生活や夫婦で送りたい人生のこと、その中で仕事には何を求めるのかを話ながら、自分の中の答えを出し「せっかく新しい業界や職種に挑戦するのだから、おもしろいことができる仕事を選ぼう!」という軸が決まりました。そんな中目に留まり、縁があったのがNOKIOOという会社でした。

妊娠から出産、両立生活が楽しめるようになった現在までの話を後編でご覧ください。

私が育休後も仕事のある人生を楽しみたい、けれど漠然とした不安がある方に届いてほしいと願う『育休スクラ』はこちらをご覧ください。

自己紹介

池上朋子
育休スクラをはじめ女性のキャリアを応援するサービスのマネージャーをしています。2018年に結婚を機に浜松に移住し、NOKIOOに入社しました。2019年4月産休取得、2020年1月半育休半復帰、2020年5月フルタイムで復帰、2021年6月にNOKIOOを退職し、ポジティブキャリアチェンジ。2歳の息子を育てながら、子育てと仕事の両立生活を楽しんでいます。とにかく息子がかわいい。