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最初の小部屋 (隔離室の体験談)

僕は二十代を大手メーカーの正社員としてバリバリ働いていました。

上司や職場の仲間からは仕事ができる奴と言われるくらいに、人間関係でもほとんど問題もなく、逆に仕事や悩んでいる人の話を聞いて勇気付けるような立場にいることがほとんどでした。

その日は突然やってきます。

あの頃、俗に言うリーマンショックが起こりました。

安定している会社ですが、さすがにあの頃は自分を取り巻く環境や何もかもガラリと変わりました。

仲のいい同僚も、よくしてくれた上司も、仕事内容も世間も何もかもが一度散り散りになったのです。

僕の勤めていた会社は倒産はしませんでしたが、友達の会社は倒産したり、生き残っても生き残れなくても勝手に大きくみんなの人生が動いた時だったと、今になってそう思います。

どんなに会社が大きくとも、社内でやることがなくなるのです。
作っても吐き出す先がない製品は作る必要がない。

早退したり、その間に有給を消化したり、この先どうなっていくんだろうと誰もが思っていたあの頃。

僕は会社のその状況を打破する企画の立ち上げや、もう本当にあの時はコマ以外の何者でもないくらいに応援にたらい回しにされました。

柔軟になんて言ってられないくらいに、馴染めた頃には次の場所へと。
中には超絶劣悪な環境もありました。

大きな会社とこの世界は驚くほどよく似ています。

大きな会社の中には自分が知らないだけで、裕福なところと貧しいところ、独裁者がいたり、一日中歌って過ごすような楽しい場所もあります。

僕が病院に通うことになる時の職場は、独裁者がいてそれに対して戦争を仕掛けようとする者もいて、それを眺めながら「何そんなたかが仕事に真剣になっちゃってんの?」みたいな人もいたり、とにかくグチャグチャな環境でした。

相当身体も動かしながら、心も日に日に弱っていく中、僕はそこでうまいことやっていくのも応援だからちょっとの我慢!と気合いで何とかしようともしていました。

ある日会社に行こうとすると、車のキーが回せません。

溢れる涙は何が言いたいか自分でもわかりません。

ただ頭を巡ることはといえば

「もう、疲れたよ」

たったそれだけです。

病院に行ったら問診をして、正誤のマークシートみたいなのを記入した記憶があります。

病院の先生は一言。重たい感じで『鬱ですね……』と言いました。

よくわからない頓服と、寝れてなかったため睡眠導入剤を出されて、僕の精神科との付き合いが始まりました。

確かその年の半年後とかに僕は入院になったと思います。

復帰した仕事の最中にまた崩れたのです。

その時よくわからない感じで僕を見た先生が『統合失調症……とかそんな感じっぽいんだよなあ……』といったのを覚えています。

とにかく安定してない感じもあるから、入院てことでいいかい?と言われて

それが【医療保護入院】でした。

何も理解していないわからない状態で、隔離室に入れられ、看護師のおばさんが僕のズボンのベルトを外しだします。

これもあれもとポケットから何もかも没収され、床にペタンと敷かれたうっすい布団。毛布はありません。枕もありません。


その何もない空間で『はい、じゃあここで休んでてハイハイ〜』ガシャン

分厚い鉄板みたいな頑丈なこちら側にドアノブのない扉を閉められ、鍵を掛けられ、僕何かしましたか状態です。

完全に独房です。

ここでも謎だったのですが、誰も取り合ってくれないんですよ、この時って。

理解しようにも教えてくれない。聞いても『ハイハイ〜先生に言おうね〜』って感じなんです。

どういうこと? 元気がなくなった人間ってこんな体罰みたいなこと受けなきゃいけないの? 今まで頑張って生きてきて、あれもこれも我慢してまたこんな思いするの? 全部一言も聞いてくれません。

無言の『怠けたお前が悪いんだろ?』状態ですよ。

絶対逆効果。と、この時は思ってました。

前の記事で僕は二度目の隔離に入った話を途中までしましたけど、だからこそ言います。

これは誰しもが経験するかもしれない話なので僕がわかりやすく説明しますから、頭の片隅に入れておいてくれたらいつか役に立つかもしれないことです。

あなたが道を歩いていると、全く知らない人が目の前に現れます。
その人は目の前で物を壊したり、あなたの持ち物に危害を加えてきます。
でもあなたは、それをなんとかする使命というのを国からお願いされています。
相手は何の情報もなしに初見の状態ですので、サイコパスな犯罪者か薬物乱用で気が狂っているのか正気なのかもわかりません。

拘束するしかないんですよ。

そしてそれは連帯責任になっています。
前回突然殴られたのならば、また次に目の前に現れたやつも急に殴りかかってくるかもしれません。そう思うのは僕らもそうです。

原因もわからない、ちょっと人と違う動きをしたら警戒して、起こってもないことを片っ端から規制する。そうするしかないんです。向こうも。

もし僕の腰ベルトを没収しないで、それで僕が首吊ったら責任はその看護師。お風呂の時間に渡したシャンプーをそいつが飲んだら渡した人の責任。

疑いのあるものの全てで、この人はダメ、この人には渡そう、この人は外出もオッケー。そう区別してやっていかないとクシャクシャになってしまうのです。

じゃあそれって他の人が過去にやったからってなんで僕まで規制するの?ってそれが大きく連帯責任のようになってるんです。

実は全てがそうです。

信号のない交差点で事故を起こした人がたった一人いたから信号をつけました。
なんでうちらまで無駄に信号待ちしなきゃならんのだって思うでしょ。

あの人が自傷行為したからあれもこれも規制されて、俺はやらないっつーの。でも連帯責任です。

知らないよ、どこぞの国から入り込んだウイルス。連帯責任です。

気づかれないように書いたつもりですが、勘の働く人ならもう僕が言おうとしている着地点にそろそろ気づいてそうですね。


毒親育ちでもう〜 職場がブラックだから〜 お金お金ってこんな世の中だから〜

全部ちゃんと連帯責任になってます。

そんな家庭環境だったのね、大変だったね。と言いながらしかるべき機関がなんとかしようとしてくれます。

ブラックならそのうち労基が叱ってくれます。それもまた責任を持って。

不思議な話に思うかもしれないですが、国が発行したお金に困るとまた救済措置として国から助けられます。

そもそもこうやっていい感じにバランスとってなかったら世界が滅びるんで当たり前ですけどね。

結局しょうがないものはしょうがない世の中ですよ。

中にはそうするしかないからそうしているに至ったものと、もっともっといいやり方あるのにバカじゃないの?ってことが混在していますが、精神科の隔離室に関しては他の患者さんと話していてもやっぱ今のところは他にやりようないなって結論にいつもなります。

ただ一つだけ言っていいのならあの時にもっと説明して欲しかったというのはありますし、普通に生きてきた20代にあんな隔離施設が病院にあるなんて少なくとも僕は知らなかったのですから。

この時代にメンヘラだとかちょいちょい耳にするからほとんどの人は存在だけでも知っていると思いますが、わからない人のために箇条書きで書いておきます。
よくわかりませんがファッションメンヘラとか最近呼ばれてる人たちはそのまま隔離にブチ込まれないように十分気をつけてくださいね。

【隔離室】

・最低一週間は閉じ込められます

・高い天井に開かない窓、6畳ほどの何もない部屋に備え付けのトイレ
 ステンレスの塊のようなトイレです
 中には鉄格子のガチ隔離もまだ存在しています

・トイレは勝手に流せません
 トイレットペーパーではなく半紙が積まれています

・そこのトイレ含め全ての様子は、
 天井の監視カメラでスタッフがいつでも見れます

・テレビもラジオもスマホもお菓子も何もかもありません

・だからといって前にいた人が爪か何かで刻んだであろう
 壁の落書きはあまり見ない方がいいです。怖いし不安になります

・水分はたまに来る看護師さんがコップに一杯くらい飲ませてくれます
 紙コップ以外、紙一枚ですらその部屋には入れてはいけない決まりです

・優しい人はだいたい一人くらいしかいません
 まず話しは先生にと言って取り合ってくれる人なんて少ないです

・時折他の隔離室から奇声が上がりますが、気にしないようにしましょう

・あまりにうるさいと看護師か他の患者がブチ切れる声がしますが
 自分には関係ないと横になっていましょう

・そしてその奇声をあげる人の声がだんだん小さくなってきたり
 泣きわめく声が聞こえると不安になりますが大丈夫です。
 あなたはそこで大人しく寝てるだけでそのうち出られます。

僕の話したことある人でも隔離室から一般病棟に出られるようになるまで、最長3カ月です。

このまさに独房に放り込まれた最初、僕は一週間で一般病棟に移りました。
とても苦痛で長い長い【無の部屋】この間まともに主治医とは話もせず、スタッフに「寝てて、休んでて」しか言われなかったです。

ただ1人の男性スタッフは、僕が別に危害をくわえたりそこまで頭がおかしい人じゃないとすぐわかってくれて、内緒で1本だけジュースを買ってきてあげるから何がいいか聞かれた。
スポーツドリンクを紙コップに入れて渡してくれ、それを飲んだ時「あれ、ただのスポーツドリンクってこんなに美味しかったっけ」と思ったのが嬉しくも悲しくも虚しくもあり涙を流しました。

一週間が過ぎ「先生の診察!」とスタッフのお迎えが来ました。
その部屋から久々に出る時、完全に気力を奪われてトボトボと両脇にスタッフの体制で連行されるように診察室へ行きました。

診察室のイスに座るとニッコニコの笑顔で先生が「どうだい?だいぶ楽になったかな?ずっと横になって眠ってたみたいだし、相当疲れてたんだなぁって……」
と話してくるけど僕の心の中は(なんだよ楽って?よく眠れたみたいだと?あんなとこで寝る以外になんかあんのか?横になってただけで、こんな不安な状態で完全に孤独な状態でマジで寝まくってたと思ってんのか?身体は休まったかもしれないけど究極に脳疲労だし、なにもない明日に対してその部屋で考えることなんて辛かった記憶ばかりで……)
そんなことを考えた。
この状況じゃなかったら、まだ怒る気力があったなら、あの時完全にブチギレてたと思う。

でも、もう、そんなの言葉にしたら【またあの部屋にぶち込まれる】と恐怖もあり言えず。
僕は俯いて、悔しさや悲しさ虚しさといった負の感情にかき乱され、泣いた。

「ありゃ!そんなに辛かったかい?!」そんなこと言いながら笑ってる先生。

僕はただ頷いて返事をすると、先生は慌ててスタッフと取り合ってそのあとすぐ、僕は一般病棟に移った。(一般病棟と言いながらもちろん閉鎖病棟には変わりないのですが)

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そしてこの時に僕は【絶対に隔離なんかに入れられてたまるか】とその後も数回入院をすることになるが隔離にだけはぶち込まれずに来た。

しかしそれは前の記事の通り崩れ落ちた。

しかも今回に至っては自分の無意識の間にブチ込まれているのである。

僕が前回スタッフに、ここは病院だと名札を見せられた時に「最っ悪……」と絶望したのはこの最初の隔離から7、8年経って舞い戻ってしまったからである。

その意識が戻ってからもパッと記憶が飛び錯乱したり急に走り出して逃げようとしたり、最初の隔離室よりもおとなしくしてられなかったのです。

僕は躁鬱病から【統合失調症】になってしまったのです。

次の記事からはそのあたりも交えながら解説していこうと思います。


————今日までの清晴————

最近少しバタバタしていて更新が少し間が空いたのですが、通知は確認していました😁いろんな方が僕の記事を閲覧し、毎日スキやフォローしてくれていて嬉しいです☺️

最近僕はワクチン接種に行ったり、動画編集におけるガジェットを見に出かけたり、友人と電話をしたり、ゲームをしたり、プライベートにおける事柄が増えてきていて自分の時間割に大きく変更を加えないととても入らなくなってきた感じもあります😓

以前何かの本で読んだ
【時間がないなんてことはない、みんな等しくある。時間は作るものだ】
とまさにその通りだと僕は思っているのでうまいこと週の時間割に組み込んでやって行こうと思います☺️

それではまた次回お会いしましょう😄

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