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#家族 | 私は母の親友を母と呼ぶⅡ

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私は母の親友を母と呼ぶⅡ

遡る事、高校時代…
私は兄妹が全国レベルの環境下でスポーツに励む姿を身近に感じる中、
自分の存在意義を上手に見出す事ができずに苦しんだ時代がある。

近所の人からの会話の大半は兄妹について、
家族の会話も兄妹についてが多いように感じていた。

2人が載っている雑誌も日に日に増えていき、
食卓近くに並ぶ兄妹のメダルやトロフィー、賞状が
当時、思春期だった私を更に苦しめた。

学生時代、
家族旅行の大半は
兄妹の遠征を追いかけ全国を回る事だった。

私は両親の車に乗り込み、
一緒に各地を周り、試合の応援をする。
合間に観光や温泉を楽しむのが定番だった。

一方で
兄の関係者からは「妹さんはスポーツしてないの?」と言われ
妹の関係者からも「お姉さんはスポーツしてないの?」と言われるのは拷問だったし
いつも
「私は遊びな感じでやってます〜」と
おどけて答えるしかなかった。

2人のように全国レベルではないけれど
好きで同じスポーツをやっていたし
一生懸命に練習もしていた。
それなりの成績は残していたけれど
2人みたいに秀でるスポーツの才能がないのは感じていた。

その頃からだろうか…
私は2人にないものを探すようになり、
2人とは違う世界で生きたい、
何かで「1番」になりたいと強く思うようになったのは。

そして、
とにかく迷い、何度も悩み、何度ももがき苦しみ
何度も泣きじゃくり、
先生にもコーチにも止められ、また悩み苦しみを
繰り返した後…
私は高校2年生で部活、スポーツを辞めた。

ただこれだけで…
何かに縛られて苦しかった日々が
嘘かのように心身ともに軽く感じ、世界が明るくみえるようになり
何かの呪縛が解けた気がした。

そしてそんな時、
近くに寄り添ってくれていたのが
「オゼ」で、
この頃から一緒に過ごす時間も多くなった。

当時オゼは大都会の高層ビルで働くOL。

私は「バリバリ働く女性」への憧れをきっかけに
早く社会にでたいと強く思い、
専門学校へ進学することにした。
進学校とされていた高校に通い
成績も上位を維持していたゆえ、先生達はこの選択に冷ややかだったのを覚えている。

しかしながら、目標が決まれば一直線!
毎日が楽しかった。

部活もアルバイトもしていない私は
時間を持て余していたので
オゼの仕事終わりに合流し、
「OLディナー」と題し、
たくさん美味しいご飯に連れて行ってもらった。

「これは、とても有名なの!」
「オゼもここは先輩に連れてきてもらったのよ!」
「今日はこんな人がいたの。こーゆー人はよくないわよ」
など、OLトークをよく聞かされた。

ある時は、
オゼの会社を訪問した。
大都会の真ん中にそびえ立つ大きなタワービル。
綺麗なエントランスに、綺麗な受付。

綺麗なお姉さんに
「訪問先を書いてください」と言われるも
初めてみる項目ばかりで…
私は、
貴社名にも、氏名欄にも、自分の名前を書いた。
目の前のお姉さんも
高校生が1人で訪問しているとは思わず、知識が乏しい人が来たと思っていたであろう。

この時「高層階のラウンジで待っていて!」
と言われていたが…
ドキドキしながらエレベーターに乗り
高層階からの景色を見ることなく
ものすごくおどおどしながら、
広いラウンジの隅っこで待って居たのを
10年以上経っても鮮明に覚えている。

そして、この経験が
オフィスで働く女性へのイメージを確立し、
「プラダを着た悪魔」をバイブルに
苦手なコーヒーを飲むようになり
少し背伸びしながら大人な女性を意識するようになった。

さらに、オゼは野球観戦が好きで
よく野球トークもした。
誕生日にはプロ野球の観戦チケットを用意してくれて、よく観に行った。
加えて、野球部のキャプテンに恋した私は
野球観戦が趣味になり、どんどん視野と世界を広げていった。

時にオゼとは
過去に社会人野球の仕事もしていた関係で
地方予選や都市対抗の試合を観に行くこともあり、
現地ではオゼの会社仲間と会うことも多かった。
そしてこの時
オゼはいつも私のことを「私の娘」だと紹介した。

オゼは独身だと周知されていたので
きっと各者驚く姿を楽しんでいたのだろう…笑

こうしてたくさんの大人の中で
社会の様々な話を聞いたり
時に、飲み会の場へも混ざって
おじさん達との会話に参加した経験が
今となっては原点となり…活かされている。

私はコミュニケーションにおいて大切なのは
会話の引き出しを増やす事だと思っている。

美味しい物を食べる事、
旅行に行く事、
趣味を最大限楽しむ事、
見た事や聞いた事をシェアすること、
自分の考えをアウトプットすること、
誰かに何かを伝えること、継承する事、
相手を思い、気遣い、尊敬すること、

これらを私はオゼを見て学んだ。

私には最強の母が2人いる。
この環境に生まれてこれて良かった。

2人が長生きしてくれますように…
いつもありがとう!

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