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日本人のピュアさは諸刃の剣か


なるほど、男女とも日本の

バレーボールの代表チームは

ネーションズリーグ準優勝か


以前も書いたが、見せすぎたり

ピーク早すぎにしてしまうのは

チャレンジャーという立場だから?


いや、それもあるが日本人独特の

国民性も関係してそうな気がする


明らかに本番はパリ五輪で共通

でもすべてを出しつくそうとする

目の前のことを一生懸命にやる

出し惜しみなどせず、出し尽くす

それはもう日本の美徳にまで高めた


監督にセーブしろと言われても

一生懸命やっちゃう、止められない

さらに選手選考で選ばれたいから

惜しみなく自分ができることを結果的に

見せてしまう、監督にも、外国にもね


これまでの順調な結果から感じるのは

ヤバイな、本番いかにもコケそう

研究、対処されてうまくいかずに

崩れて結果出せないケースもよぎる


日本のスポーツでも結構あるから

そこまで本番前に調子いいチームは

なぜか本番で崩れてしまうことが多い


日本の国のスポーツに限らず

うまくいきすぎて本番に入ると

ソレ以上は案外、出せてないし

ピークの維持はどのレベルでも困難


大事な本番前にピークアウトする

本番で勝つために情報コントロール

外国の強豪国ほど、この観点を

ちゃんと理解して逆算してるはずです


日本と強豪国との決定的な違い

事前に見せない、すべて出さない

出しているように見せて実は隠す

これができるメンタルの違いがある


日本は一時期、データバレーの潮流に

乗り遅れて低迷した感覚がある

その歴史が見れるのは五輪の出場権可否


その後、遅ればせながら日本も

データを活用し始めて学び直した

欧州のクラブレベルで選手たちも

切磋琢磨をする世代が現れて

協会などの改革や育成も含めて

上がってきたんだろうと思う


日本はこのパターン、よくあります

同じものを学んで使いこなすと

ある程度まで器用にやれてしまう


だけど、そのポテンシャルをさらに

引き出した日本の成果をご苦労さんと

偉そうに年貢を受け取るかのように

外国が逆に利用するんですよ笑


日本の中で1を2や3にする技術

開発、辛抱強い研究の積み重ね

いきいきとしてやれる材料が揃う

これが日本が発展する得意パターン


ただし、その成果を発揮してしまうと

今度はそれを強豪国がデータ化して

マネをされてしまう流れが始まる

文化や経済などでも見られる現象


今回まで研究されるデータを提供し

時間は五輪に間に合うかはわからぬが

相手に情報を与えたことによって

外国はいつもご苦労さんと満足げ


日本人は素直すぎるんだよと笑う

そういう人のことも忘れてはならない

また逆転される時期は来るだろう


日本のチームもそれはイタチごっこで

その顛末はわかってはいるとは思うが

現時点で互いに戦って勝つために

できる最善のことをするだけになる


五輪前のタイミングでの戦略ミスと

思う外国人と本番前にやり尽くし

自信をもって自分のプレーを出す日本人


そこしか大事にしていないのは?

相手がいることはあまり重視してない

相手よりもまずは自分を完璧にする

その過程で相手にすべて見せてしまう


非常に重要な視点だが日本人は欠く

そこを認めてプライドを捨てて考えて

改めなければまた歴史は繰り返す


いまは、この日本がやる掘り下げを

外国が今度はデータ化して研究

日本の狙いを防げば、知っていれば

マークすることも可能になる


そうやって今度は体格で上回る外国が

また隆盛を取り戻すみたいな、流れ

その渦中にいまあるんだろうなと思う


前にも書いたけど、本番に向けて

どのタイミングで自分たちの情報を

解禁するか?っていう戦略を立てる目線


私たちはあんまりソレ潔しとしない

小賢しく感じてズルいみたいなね

正々堂々としてない、フェアじゃないと

感じてしまうことが正直、ある


でも企業がうまく売るために同様の

戦略を立てることもあるでしょう?

スポーツだけが正々堂々と言う

選手宣誓のアレに仕込まれすぎでは?笑

スポーツこそは、なのかもしれないが


これは日本の言い分ももちろんわかる

だが、勝負事に勝つために世界各国は

なんでもやろうとする、やろうとするのが

可能であれば、やろうとしてしまう


究極をいえば、そのずる賢さは

ないほうが人間的に信頼しあえる

争うということは、人間の本能を

むき出しにしてしまうこと


計略の限りを尽くし疲弊するなら

あえて逆に無策を肯定していくことも

日本人らしい清々しさの継承に

繋がっていくのかもしれない


どちらも間違ってはいないと思う

こうしろああしろとは言わぬが

どちらのパターンも知って理解を

しておくことだけは、大事だ


どちらを選択するにしても

そういう人もいると知っておく

対処する物事によっては大事では?


ダブルスタンダードと言われようが

両者を理解しておくスタンスが

世界中のケンカを仲裁できる立ち位置で

生きていくにふさわしい日本の

生きる道なのかもしれない


最後、重いけど究極はそういうこと

でもスポーツの争いも世界の戦争も

根本は考え方が同じですからね


イヤらしいやり方もしてくるし

弱点を突いてくるし非人道的で

正々堂々はほぼないでしょ?


いろんな考え方を排除するのでなく

許容しつつうまく共存して進める

そのためには日本のピュアさは

実は逆にね、重要なのかもしれない


ただオリンピックでスポーツで争う

今回は、このケースでは戦略として

見せすぎでは?ピーク早めすぎでは?

っていうのは正直、思いましたね



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